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このまちに行きたいけど、わたしにはハッカーの資格がない。

 よし、今日もうまくアバターを“乗っ取る”ことができた。

 ぼくはいつものように、お手製のプログラムを走らせると、画面がアバター視点に切り替わるのを待つ。

 毎回、この瞬間のワクワク感がたまらない。

 他人のアバターをコントロールするプログラムを書いてる最中も、楽しいことは確かだ。いまでは、誰もがアバターを持ち、日常生活でバーチャルとフィジカルを自由に行き来する生活をしている。そのアバターをハッキングする=乗っ取ることはつまり、その人の人格を支配することに他ならない。その感覚はまるで自分が全知全能の神になったかのようなのだ。
 楽しみはそれで終わりではない。自分で創造したプログラムが走り始め、実際に他人のアバターの視点の映像から世界をのぞき込むのは、背徳感と征服感が入り混じる何とも言えない感覚に満たされ、ハッキング可能な時間制限も相まって、スリル感も加わる。

 そう、ぼくは、“ハッカー”だ。

 インターネットを介して、あらゆるコンピュータ―に侵入し、操作することができる。とはいっても、別に他人のお金を盗ったり、コンピュータ―ウィルスをまき散らして混乱させるようなことは一切しない。やろうと思えばできるかもしれないけど、ぼくの目的にはそぐわない。
 ぼくがやりたいのは、単に他人の人生経験の一部を、ほんの少しの時間だけ“のぞき見”させてもらうだけだ。

 コンピュータ―画面に目を戻すと、さきほどのハッキングプログラムがそろそろ終了しそうな頃合いだ。プログラムが上から下へ次々スクロールし、しばらくするとその動きは止まって、新たな画面が立ち上がる。

 どうやら、成功のようだ。

 ぼくはその画面から、最初にどんな景色が映し出されるのか、固唾をのんで待つ。

「はぁ~~早くこんな都会から出て、田舎に住みたいな~」

 わたしは、思わず誰もいない自分の部屋で声を出してしまっていた。
 なにしろ、同じゼミ生の友人が、地方での就職が決まったのだ。とはいえ、この首都圏への遠隔出勤だから、またいつでもアバターを介して会うことはできるのだけど。

 わたしは隣のベッドにごろんと横になった。
 別に寝たいわけではないので、空中ディスプレイに爽やかに効果音と共に表示された安眠誘導機能をOFFにし、上空にランダム表示されている様々な風景をぼんやり眺める。

 その昔は、人は基本的には物理的に対面で会ってたんだっけ?なんでアバターを介するのが不都合だったんだろう?お化粧とか身なりの心配もないし、見た目を自分である程度選択できるんだから、これほど都合いいことないと思うんだけどなぁ。
しかも、就職の概念も今とは違っていて、首都圏の優良企業でずっと働き続けることが良しとされてたらしい。確か、この間観たX-Tubeで歴史に関する動画で、しゅうしんこよう、とか言ってたっけな。
 それにしても、なんで昔の地方の人たちは、都会に憧れていたのかな。いまでは、自分の住みたい地域に“本体”の身体で生活して、いつでもアバターを介して仕事なり遊びに行くなり、自由自在なんだけど。

 それはそうと、アバターを自由に操作できるようになるには、「アバター操作資格」を取らなければならない。これは、世界中の国ごとに規定されているが、日本では、アバター交信法に基づき、14歳以上が試験に合格すれば取得できる。そして、アバターが実施する操作行動の難しさや安全面、情報秘匿性などでレベル設定されている。
 もちろん、レベルが高いほど高度で複雑な操作体験ができるようになって、最高峰レベルになると、その昔はホワイトハッカーと呼ばれていた職種に近いリテラシーレベルが必要なんだよね。だから、言ってみれば、これはハッカーになるための資格取得ということもできる。

 わたしは、ベッドに寝そべりながら、脳波検知機能に基づいて表示されてると思われる全国各地の風景映像を眺める。
 あ、このまちなんか住むには良さそう。

 でも、このまちに行きたいけど、わたしにはハッカーの資格がない。

 わたしは、やりかけの資格取得の勉強の続きに勤しむべく、ベッドから起き上がり、机に向かった。

 ぼくがそのアバター越しに視えた景色は、美しい自然風景だった。

 とてもいい風情だったので、何気なく過去の映像記録を確認してみると、いくらか残ってるみたいだ。
 そのうちのいくつかをスクリーンショットで記録する。

 ぼくは、アバター操作資格、それもかなりレベルの高いものを持ってるので、この手のハッキングは自由自在だ。
ハッキング先のアバターは匿名指定なので、どういう人の使用記録かは不明だが、この人の体験記録は、ぼくの好みに合いそうだ。

 その記録の時間と場所を確認すると、「2018年8月・長野県松本市」となっていた。

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