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和声の大切さ

今日は、音楽を専門に勉強された方なら触れているはずの「和声」について思うことをお話します。

和声は音楽の響きを扱う

音楽は音程、リズム、音の重なりでできています。音の重なりが和声(ハーモニー)なのですが、好きなようにただ重ねても思うような響きになりません。ハーモニーに調和という意味があるように心地よい響きが和声です。
ピアノの奏法に複数の鍵盤を塊のように弾くものがありますが、これは和声とはいいません。和声はあくまでも3つ以上の音の重なりを、お互いの調和を考えながらいくつも続けていくものとなります。

なぜ作曲家でもないのに勉強するのか?

国語の学習は、作家になるわけでもないけれど作文の学習があります。音楽でもプロを目指す人には和声の学習が欠かせません。作曲家だけに必要なものではないのです。どちらも「自分で書いてみることで作り手の考え方を知る」ことであり、それによって既に書かれたものを別の視点で見るためのものです。

規則は厄介、でも

和声を嫌いになる人の多くは「規則が面倒くさい」という理由からだと思います。しかし、規則ってなんのためにあるのでしょうか?
私が中学生の時に「規則はその中で自由に動くためにある」と聞きました。その話はバスケットボールの規則を例にあげてだったのですが「バスケットボールではボールを持って3歩以上歩いてはいけなくて一度止まったらパスをしなくてはならない。その規則を守りさえすればあとは自由に動ける」と。そして規則がなかったらみんながてんでバラバラに動いて収集がつかなくなるとも言われました。

和声の規則は「音楽を美しく響かせるため」にあります。連続五度が禁則なのは五度で動いていると響きが空虚になるから。近代の作曲家はそれを敢えて無視して作曲していることもありますが、だからと言って現代の古典和声を学習しない理由にはなりません。なぜならその和声があったからこそ近代の意外な音の組み合わせが生きるのです。
和声の学習で規則を学ぶことは、言い換えれば「古い曲が作られた時代に美しいとされていたもの」を知ることにもなります。温故知新の精神です。

フォルマシオン・ミュジカルでは

フランスのフォルマシオン・ミュジカルでは、早いうちから和音への意識を育てています。5年目(第二課程)以降では、和音の数字づけや機能の学習を少しずつ始めます。
数字づけは馴染みのない人が多いかとは思いますが、数字付けをすることは、その和音が基本形なのか転回形なのかを区別する作業になります。そこにある和音がどういうものなのか、ということに意識がいくので、感覚的になんとなく知ってた形による和音の響きに理論的な裏付けがつくようになります。


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