聞こえるということとうるさいと感じることの違い
日曜日です。
朝から起きてパソコンに向かっていますが、お隣の子供の声が聞こえます。我が家は2軒続きの長屋で、壁で接するお隣が1軒だけあります。他の家の音は聞こえない(ピアノの音だとしてもその家の前で微かに聞こえる程度。家と家の間の空間が十分過ぎるほどある)のですが、壁を接している家はアパートと同様の条件なので聞こえます。
この子供の声は、例えばギャン泣きが1時間続くなど余程心配な声なら別だと思いますが耳を素通りします。私にとっては生活の背景音でしかないので、瞬間的に「おっ」となってもうるさいとは感じません。音に集中していないのもあります。
しかし、家族の出すテレビの音やゲームの音は違います。開放的な居間、さらには部屋のドア開けっ放しなどの理由も加わって壁越しにならない音だからでしょうか、時には頭の中を掻き回されているような気分になります。音量の問題もあると思います。壁越しになればそれだけで音量が減りますから。
音が聞こえるのは自然な話です。コンサートホールでジョン・ケージの「4分33秒」を聴いている(とはいえこの楽曲は無音ですが)時でさえ、何らかの音がします。
うるさいと感じるかどうかはそれが気になるかどうか。
以前、我が家の壁向こうの家に我が家が立てる音に対してうるさい人が住んでいました。その家だって決して音を立てずに暮らしていたわけではないのですが、我が家の出す日常生活音に苦情を言い続けてきて少々参っていました。
ある朝、次男が自室の椅子につまづいてその勢いでカプラ(小さい板状の木製積み木)の箱を蹴飛ばしてちょっと大きな音を立ててしまいました。そうしたらすかさず隣から壁を叩かれました!
あ、あなたとあなたのご家族はお皿や調理器具などをうっかり落としたり、部屋の中で何かにつまづいて転ぶということを100%絶対にしないという自信があるんですね!と心の中で呟くと同時に、隣人の狂気に近い執着に恐ろしさを感じました。
そりゃ、朝から積み木がぶつかり合う音を聞いたらうるさいと思うでしょうし、それが毎朝起こっている、あるいはその後積み木を投げ続けているのなら壁を叩かれても仕方ないと思いますが、この話をした友人にも「それ、事故でしょ?なんで壁叩くんだろうね」と言われました。
と取り止めもない話になりましたが、補聴器での聞こえ方だと音が全部聞こえるのでうるさく感じると聞いたことがありますが、補聴器を使わずに生活している人なら音は選別して聞けるはず。
聞こえても無視できる音は無視する。
最近、日本のメディアでお目にかかる騒音問題を垣間見ていると、この「無視する」ことができない人が減ってきているのではないか、と思います。
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