音楽について考えることから得られるもの
楽器を習う子供がただ弾くだけではなく、音楽について考える、考えるために必要な材料を学ぶことで得られるものについて考えてみたいと思います。音楽を通じて「考える」ということを学ぶことは、生きていくために大切な何かを得ることにつながります。
子供にとって考えながら弾くとは?
「ピアノは考えながら弾くもの」と言われた
5歳でピアノを習い始めた時「ピアノは考えながら弾くものです」と言われました。しかし、先生は「今日のおやつは何かな? と考えるのではありません」としか教えてくださらず、では、何を考えるの? とわからないまま時を過ごしました。
結局、何を考えるのか? という形で教わらずにその先生のところを離れることになりました。少なくともその先生のところでは、楽譜を読んで、受け止めたそのままを弾いていただけです。ただ、年とともに楽譜が複雑になってきたから弾くために色々と頭を使うようにはなりました。それがその当時言われた「考えながら弾く」ということだったのではないか、とは思いますが、それ以上のこともあったのかもしれません。
今となっては当時の先生が具体的に何を言いたかったのかを知る術はありません。今日、その先生に尋ねたとしても先生ご自身にとって答えられるものではないはず。40年前の先生の音楽観と今の先生の音楽観は同じ人間であっても違いますからね。
何を考えて弾くのかというと
月並みな言い方をすると「楽譜に書かれた音を正しく読む」ことを考えるというのは間違いのないことではあります。それから、その音から受ける情景を思い浮かべるというのも「考えながら弾く」ということにはなります。
音から受ける情景はタイトル付きの曲なら具体的に思い浮かべやすいのは間違いのないことです。我々が思考する時には言語の助けを借りるので、タイトルという形で言語化されているものは、考えるという行為の基盤になります。
しかし、タイトルがない曲の場合は何を基準にして考えるのか? 一体何を考える必要があるのか? という問題が起きてきます。楽譜に書かれた音を正しく読むということにしても「五線の上に描かれてる音符を正しく音にする」以上のことを考えるのには音楽言語の習得が必要になってきます。
楽器を始めたばかりの初心者に、難しい音楽言語による思考を求めるのは無理です。しかし、フォルマシオン・ミュジカルの視点で教えることで「何を考えるのか?」ということを少しずつ教えることはできます。そして、何を考えるのかを学ぶことで音楽に対する、作品に対する集中力を得ることができます。
子供は本当に考えながら弾いてる?
これは傍目から判断できる問題ではないです。考えながら弾くようにと言われている子供は実は何も考えずにただ弾いているだけであっても、聞かれたら「考えながら弾いている」と答えるに違いありません。また、楽器を習い始めたばかりの子供は「音を正しく弾く」「正しい音を出す」だけで精一杯ということもあります。そういう子供にとっては、ただ音を出しているだけの演奏でも「一生懸命考えている」のは間違ってはいません。
フォルマシオン・ミュジカルでソルフェージュの力をつけることで、楽譜を正しく読む力がつきます。楽器のレッスンで楽器を弾くことに余裕が出てくるのはあるでしょう。そうして楽器の演奏法を身につけることで楽譜の他のところに気をつけられるようになって、音楽について考えて弾くことができるようにはなります。
フォルマシオン・ミュジカルの視点で伝えられること
表現のベースとなる音楽言語を学んでいるからこそ
楽譜には、音の高さとリズム以外の色々な「音楽を演奏するための材料」が書かれています。調性、拍子、速度記号、表情記号など、それらを見てまずその音楽が「どう演奏されるのか?」を考えます。速度記号、表情記号の捉え方には間違いというのはあっても、一つの正解はありません。
ゆっくりと書かれているのに走るような弾き方をしたら「ちょっとそれは違うんじゃ」とはなりますが、快速にという速度記号を見て誰もが完全に同じメトロノームの速さの演奏にはなりません。軽く、と書かれているのにどっしりした演奏はしませんが、歌うように、という表情記号を見て歌うといっても、全員が同じ歌い方にはなりません。
楽譜に書かれている音楽の要素を見て、どういう風に弾こうかを考えるのは立派に「考えながら弾く」ことになります。さらに、音楽の文法である理論や楽典を学ぶことで考えるための材料が増えてきます。楽譜に書かれていることを深く読むことそのものが考えることにつながります。
弾く前から考える
「音を出したら訂正できない」というのは音楽をしている人ではなくても想像の範囲だと思います。覆水盆に返らず、というように、絵筆を一度下ろしたらそこから描くしかないように、音楽も一度音を出したらその音を直すことはできません。失敗した、と思ったらリカバリーが場合によって不可能とは言いませんが、当初の予定と違ったものになってしまいます。
それをできるだけ防ぐには弾く前から考えます。第一音のことだけではなく、その後のことも考えて音を出します。こうやって何かに関して集中して考えるという行為は、他の全ての物事に通じます。集中する力、考える力は何をやるんであっても大切です。
こういうことを書くと「私はリラックスするために楽器を習っているんで、集中するためではない」という声が聞こえてきそうですが、同じリラックスするんであっても他のざわつきに惑わされないで楽しむのと、気が散って楽しむのとではリラックスの度合いが違うと思うのですが、どうでしょうか? リラックスをするのであっても集中してリラックスする方が、いい気分になれるような気がしませんか?
学校教育へのつながり
文部科学省の指針
総合的な学習の時間で育成すべき資質、能力の三つの柱というのが、文部科学省作成資料に示されています。
知識・技能「何を理解しているか、何ができるか」
思考力・判断力・表現力等「理解していること、できることをどう使うか」
学びに向かう力、人間性等「どのように社会、世界と関わり、より良い人生を送るか」
といったものが三角形で示されています。
理解しているだけではダメ、それをどう使うか、その知識でどのような人生を送るかということが問題になっています。より良い人生を送るために知識を得て、その知識を使います。考え、表現することのために学びに向かい、実際に学びます。
知識偏重だった教育にメスが入り、学んだことを活かして人生を構築していこうという方向に向かっています。
フォルマシオン・ミュジカルでの学び方はこの総合的な学びに結びつくものです。楽器のレッスンで総合的な音楽の学びをすることは、学校での学習の基礎力になるのです。
フォルマシオン・ミュジカルで得られる総合的な学び
フォルマシオン・ミュジカルでソルフェージュを学ぶことで、楽譜に書かれていることを理解できます。それを使ってどう演奏するかを考えます。また、楽譜に書かれていることをよりよく理解するために学びます。この連携は文部科学省のいう総合的な学びにつながります。
また、フォルマシオン・ミュジカルは音楽そのものばかりではなく、歴史や地理とも、算数ともつながる内容を学習することになるため、そういった学習に向かう頭の使い方をすることになります。これらの科目を混ぜ合わせて何かを学ぶという経験にもつながり、学校で学ぶ科目はそれぞれが孤立しているのではなく、人生をよりよく生きていくためのつながった学びだということを体感することができます。
人生に大切な何かを得られる学び
フォルマシオン・ミュジカルの学びに限定はしませんが、楽器の習得を通じて音楽を総合的に学ぶことになれば、自分自身の演奏を深めることになります。自分自身の演奏を深めるということは自己表現につながります。自己表現ができるということは、一生の心における精神的な支えを得ることになります。さらに音楽の総合的な学びを通して考える力、集中する力を得ることで、他の物事であっても、何かの材料をもとに考えようとする力、そして物事への集中力が育ちます。
そもそも楽器の習得そのものが人生の知恵を学ぶようなものです。なぜなら楽器の習得という時間のかかるものを学ぶことで「時間をかけて大きな何かを習得する」ことを学びます。そこにフォルマシオン・ミュジカルなどで音楽を丸っと学ぶことができれば、生きていくのに大切な人生に対する基礎力がついていきます。
フォルマシオン・ミュジカルの学び、音楽の学びから得られることはまだまだありますがまとまりがつかなくなるのでこの辺で。
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