舞台上のゾリン

和久は売れない役者をしている。
最近の仕事は専らショッピングモールなどでのヒーローショーの怪人役。それも事務所からの情けの仕事。良くしてくれていた前社長は数年前に亡くなり、効率を重視する現社長からはそういった仕事しかもらえなかった。しかし、仕事を選べるほどの生活の余裕もなかった。
気づけばここ数年、舞台や映画などでの演劇の仕事はしていなかった。役者歴だけが伸びていく。

役者になりたての頃は希望に満ち溢れていた。俳優の養成所に通いながら、アルバイト漬けの日々。若さゆえなところもあったかもしれないが、目は輝いていた。
地元に残してきた母は事務所所属になったことだけでもすごく喜んでくれた。しかし、母との約束である、主演の映画の試写会に招待することは叶わなかった。

今日もショッピングモールでのヒーローショーの営業である。朝起きた和久は壁に貼ってある自分の若い頃の写真を見た。一緒に演劇の勉強をしていた同期はみんな俳優を辞めてしまった。同期で1番才能がないと言われた自分だけが最後まで残ってしまった。

荷物をまとめ、ショッピングモール行きのバスに乗る。日曜日の昼前のバスの窓から見える景色は心地いいほど穏やかであった。

本当は分かっていた。もう潮時だということを。だが、最後にどんな舞台でもいい、役者として「やりきった」と言える芝居がしたい。悔いのない芝居がしたい。それさえできれば、もう辞める覚悟はできていた。

そうこうしていると、ショッピングモールに着いた。怪人の衣装に着替え、本番。なんとかやりきったが、なかなかにしんどくなってきた。和久はもう今年で48の年。周りは家族を持ち、会社でもある程度の地位についている学生時代の同級生もたくさんいる。そんなことを考えながら、いつもの帰りのバスに乗り込んだ。営業が終わってから片付けなどをした後の時間のバスはいつもガラガラだった。

しかし、今日は珍しく、それなりに人がいた。
いつもの定位置の席に座った和久は、前の座席の少年が持っているフィギュアに目をやった。
数時間前に自分を倒したヒーローのものだった。
しかも、この少年、この時間帯に1人でバスに乗っている。なかなかに珍しかった。

ショッピングモール始発のバスがあと少しで出発するとなったとき、ある男が乗り込んできた。男は大きな黒いカバンの中から棒状のものを取り出した。次の瞬間、バス内に大きな音が鳴った。

男はバスジャック犯だった。

黒い目出し帽を被った男は運転手にライフルを突きつけ、乗客のスマホを回収した。そのまま、バスはどこかに向かって出発した。

張り詰めた空気の中、ふと少年を見るとヒーローのフィギュアを握りながら、
「大丈夫。ヒーローが来てくれる。大丈夫。ヒーローが助けてくれる。」
と、繰り返していた。自分がこの歳なら絶対に大泣きしていただろう。本当に肝の据わっている少年だと和久は感心した。

バスは普段通ることのない山道を走っていた。
紅く染まった紅葉がどこか不吉な予感をしていた。

「おじさんは、ゾリンなの?」
と不意に少年が和久に問いかけた。ゾリンというのはヒーローショーにおける、和久が担当している怪人の名前である。和久が呆気に取られていると、少年が和久のカバンを指差した。カバンからは怪人ゾリンの仮面が飛び出していた。返答に困ってあたふたしていると、バスジャック犯が、
「そこ、なにをべらべらしゃべってんだよ、死にたいのか!」と怒鳴り散らしながらライフルをこっちに向けた。
和久はただただ謝ってなんとかバスジャック犯を落ち着かせた。

バスが走り始めて1時間が経った頃、急にバスが止まった。山中の砂利の駐車場。山奥だけあり、怖いくらい静かだった。紅葉だけが紅く染まっていた。バスジャック犯は運転手に
「てめぇ、どこで止まってんだよ、もっと山奥だ!」と怒鳴り、ライフルを再び運転手に突きつけた。それからは一瞬だった。

急にバスの扉が開いたと思ったら、機動隊が乗り込んであっという間にバスジャック犯は鎮圧された。本当に一瞬だった。バスジャック犯は取り押さえられている。
かくして、バス内の乗客は全員救出された。無事に和久も少年も保護された。バスの後部の扉から警察の人に誘導され、出ようとした瞬間、
取り押さえられていたバスジャック犯が警察を振り払い、胸から拳銃を取り出した。次の瞬間、バスジャック犯は人間が発する言葉ではないような奇声を上げ、少年に向かって拳銃を撃った。

和久は咄嗟に少年を押しのけ、身代わりとなった。和久は凶弾に倒れた。
バスジャック犯は再度、より強く押さえつけられ、警察に連れていかれた。
少年は、「おじさん、おじさん」と体を揺さぶった。自分はこの少年のヒーローになれたのかなと思いながら、「人を助けてやったぜ、これでこのゾリン様もヒーローの仲間入りだ!」と消えそうな声で少年に向かって話した。
徐々に視界から少年の姿が消えていくのが分かった。

「俺の最後の舞台、うまくできたかな。やりきったぞ。みんなにも見せてやりたかった…」

気づくと、和久はスポットライトが当たった舞台の上にいた。大勢の観客からの鳴りやまない拍手が和久を包んだ。永遠に続く拍手が和久を包んだ。


バスジャック事件から10回目の紅葉の季節になった。

ショッピングモールではとある面接が行われていた。
「なぜ、ヒーロー役ではなく、悪役のゾリンを希望するのですか?」面接官は聞いた。

「僕にとってはゾリンがヒーローなんです。今の僕がこうやって生きているのはゾリンのおかげですから。」と応募者は言った。

「何を言ってるんだ君は。面白いね。いいよ、採用。」



応募者は山中の砂利の駐車場にそっとゾリンの仮面と花束を置いた。

「おじさん、今日から僕もゾリンです。」

紅葉は今日も山を紅く染めた。

~終~


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