リリカルスローモーション

銀髪ショートの久美は黒髪ロングが似合うようになりたかった。メイクも目元にピンクのラメをキラキラさせるのではなく、素朴な感じのメイクをしたかった。流行りの横文字のお菓子なんか食べたくない。いつものみたらし団子を食べたい。流行りのタピオカなんて飲みたくない。あったかいお茶をゆっくり飲みたい。

自分の殻を破るのは難しい。だってその殻は自分で作ったものだから。
求めるものはいつだって手の届かないところにある。だって手が届くところのものは求めなくても得られるから。
心揺さぶられる出来事にも出会うことがない30歳手前。昔は好きだった映画鑑賞やドラマを見て感動することも、笑うことも少なくなった。そして、ネットを見る。ネットの世界は日々動き続けている。地球のようにゆっくりとゆっくりと何かを形成することはなく、いつも急に山ができたと思ったらすぐになくなる。移り変わりが激しいネットの世界で久美は少しずつ感受性をすり減らして行った。

生活にドラマのような出来事を求め過ぎていた節はあると思う。久美自身、今の生活は退屈であるが、抜け出したいと思ったことはなかった。だから、生活にドラマを求めるのではなく、生活をドラマとしてみることにした。
するとどうだろうか、世界が鮮やかに見えてきた。

何気なく通り過ぎていた用水路沿いの道。よく見てみたら、木の枝にマスクがかかっていた。しかも、かなり深くかかっているため、ちょっとやそっとの風では落ちたり、飛んだりする様子はない。しかも、なかなかに黒ずんでいる。よく見ると頬のあたりにチークのようなピンク色の何かが付いている。つまり、このマスクを枝にかけたのは女性。しかも、かなり前からあると推測される。
なんだか、名探偵にでもなった気分だった。楽しかった。思考を巡らせることが。最近では忘れていた感情だった。表現があっているかどうかは自信がないが、興奮した。生活に求めるものが見えてきた。

30歳手前の独身女性。華やかな生活は諦めた。色恋はもう捨てた。ただただ、毎日を健やかに暮らせればよかった。
そんな何気ない日々をスローモーションにして、切り取って飾りたい。人生というたった一瞬のシャッターチャンスを逃さないように。

涙が溢れるような悲しみなんていらない。
そんな悲しみにさようならを告げた。
やることなすこと全てに意味があるわけではない。そして、すべての出来事に自信があるわけでもない。

ただただ、笑いたい。

擦り減った感受性を蘇らせたい。

人生なんて一瞬だし、私だけのもの。私だけのオンリーワンな人生。
私らしく生きる。私らしく過ごす。私らしく進む。
ないものねだり。
そんな感情にさよならを告げた。
自分だけのプライスレスな人生を送っていきたい。

そう思って久美は今日も美容室に行く。
「銀髪ショートで。」

~終~




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