私を剥ぐ

いつからだろうか。世界がこんなに息苦しくなったのは。
千佳は地下鉄に乗りながらそう思った。似たようなマスクをつけた、仰々しい目たちは各々何かしらやっている。スマホを見る目。閉じて寝る目。本を読む目。景色を眺める目。他人の目しか見えない世界になってしまった。

千佳が高校に入学する年、世界的に新型ウイルスが流行した。その影響は日本にもやってきた。そのせいで、千佳は高校の同級生の顔を知らないまま卒業した。知っているのは目だけ。

大学に進学した千佳を待っていたのも数多の目だった。教授の目、先輩の目、バイト先の店長の目、自動車学校の教官の目。そして、愛する彼の目。様々な目に囲まれて千佳は生きていた。

新型ウイルスは一時と比べれば、下火になったが、人々はマスクを共に生活することを強いられた。その結果、マスクは人々の顔の一部となっていった。

それは千佳も例外ではなかった。マスクが顔の一部になっていった。千佳もまた、世の中に多く蔓延る“目”の1つとなった。

そんな千佳が息苦しさを覚えたのは大学2年生の春のことだった。世間はウィズ新型ウイルスとして、以前とは異なる生活方針で進んでいき、そんな生活にも慣れてきた頃だった。
地下鉄に乗っていた千佳の目の前に座っていた女性が急に息を荒げ、倒れたのだ。倒れた瞬間車内の“目”が一斉に女性の方に黒目が動いた。女性は倒れた後も明らかに痙攣している。しかし、“目”たちは誰1人助けようとしない。千佳も怖くなって動けなかった。なぜなら女性は、倒れる寸前にマスクを取ったからだ。久々に見た自分以外の顔の下部に、千佳をはじめとした乗客は体が動かなかったのだ。

いつからかマスクを取ることは服を脱ぐことと同様若しくはそれ以上にセンシティブになっていた。マスクを取ることをタブーとされる社会。
そんな社会になってしまったのだと千佳は悟った。マスクのように息苦しい世界。

その夜、千佳はマスクを捨てた。千佳が自らの意思で何かを変えようとしたのは初めてだった。改めて自分の顔の下部を見た。笑うとできるえくぼが可愛い。顎にあるほくろが色っぽい。
千佳はその日、ただの“目”から“千佳”に戻ったのだ。数年振りに“千佳”という存在に。

それから千佳は家にいる時も、外出する時もマスクをしなかった。周りの”目”からは怪訝な目で見られるが、千佳は気にも留めなかった。マスクを捨てた千佳からは、数多くの“目”が離れて行った。しかし、千佳の本質を知っている“目”は離れることはなかった。さらに、新たな“人”との出会いもあった。

マスクを外さなかった方が千佳は幸せに暮らせたかもしれない。だが、千佳はマスクを捨てることを選んだ。ここから、千佳は波乱の人生を送ることになるが、それはまた別のお話。

〜終〜



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