笹食べたいパンダのコピー

好きな食べ物は体に必要なものってホントですか―??

「好きな食べ物はその栄養素が体に不足しているからだよー」

という話を聞くことがありませんか?

漢方の世界でも、

漢方を服用して美味しいと感じたら身体に合っている証拠!!

という方がいます。

実際どうなのか?
私の経験の範疇でお話するとそう思えることはあります。

例えばの話、私は皮膚の相談を受ける事が多いです。
皮膚疾患でお悩みの方には苦味が強いお薬を勧めるケースが多くあります。
この薬、ほんとーに苦くて「THE 漢方」的な味がして飲みづらいです。
ですが皮膚の症状が強い方は「全然平気!!」と言われること多くあります。

まれに「この漢方まずい」と言われる事もあります。
体質的にピッタリ合っており、身体もグングンよくなっているにもかかわらずです。

ではなぜ人は食べ物を好き嫌いするのか?

誰しも大なり小なり食べ物の好き嫌いはあると思います。
私は日本の食べ物でしたら今のところ好き嫌いなく何でも食べれます。
海外の山奥で食べたサルは、次回食べるチャンスがあったとしても断ろうと思っていますが…

どんな食べ物が好きか嫌いかは、味、匂い、色、形、社会的要因、経済的要因などが混在して決定しています。

例えば
サルの味が嫌いとか(味)
サルの匂いが嫌いとか(匂い)
サルの見た目が嫌いとか(色、形)
サルを食べるのが可愛そうとか(社会的要因)
サルを食べるための旅費が大変(経済的要因)

などです。サルに失礼ですね。申し訳ございません。

しかし、嫌いだから食べないと選択できるのは安定的に食料を供給してくれる社会環境と経済的な余裕のおかげですね。甚謝です。

農業を初めた歴史は浅く、人類史のなかでも最近の1%くらいと考えられています。

それ以前は野生のものを採って食べる「狩猟採集」をしていました。

野生のものを採って食べることは自然環境の影響をとても強く受けます。
したがって現代のように食料供給をコントロールすることはできません。
そして自然の数ある動植物の中から生存にとって必要なものを正しく選択しなければ子孫繁栄などできません。

現代の食べ物の好き嫌いは単純に「食べたい」と「食べたくない」だと思うのです。

でもなぜそのような機能が発達したのか?

「美味しい」や「好き」などの感情は

「もっと食べたい」

ということですね。

狩猟採集の時代に「もっと食べたい」という感情が「体に不必要なもの」を選択するとは考えにくいです。生存していくためには非常に不利ですから。

「もっと食べたい」という感情が引き起こされることが、その時点で体に不足している栄養素などを摂取する目的ならば生存に有利ではないではないか?と考えると好き嫌いは狩猟採集の時代を生き抜くための人間に備わった機能はないかと考えられます。

そして「好きな食べ物はその栄養素が体に不足しているから」という仮説もうなずける。もちろん、全ての人間がそうだったとは思いませんが…


好き嫌い対する社会的な意味を後天的に獲得する場合もあったはずです。

例えばマンモスが大好きな原始人A君が原始人B子に恋をします。

可愛いB子…B子の事を考えるとマンモスも狩れない…

あーB子!!君はなんて良い毛並みなんだ!!
この気持をどうすればいい
この気持をどこにやったらいい

そうだ!B子に愛の告白をしよう!!

そして原始人A君はついに告白の決意をします。

「B子…素敵な毛並みだね。結婚しよう」

と言いました。しかしB子は


「え…ムリ…アンタ毛むくじゃらじゃん?マンモスみたいダサーいwww」

ガーーーーーーーーーーン

原始人A君は非常にショックを受けます。

もう世の中のことなんてどうでもいい
もう世の中のことなんてどうでもいい
もう世の中のことなんてどうでもいい

もう世の中のことなんてどうでもいいーーーーー


そしてA君は考えた末に出した結論は

全部マンモスが悪い( ゚д゚)

です。
そしてA君は二度とマンモスを食べることはありませんでした。
チャンチャン。

このような事例が合った場合、体に必要なマンモスでも摂取しなくなることもあったはずです。たぶん…


最初の方にお話しましたが好き嫌いには様々な要因で決まります。

そして「好きな食べ物はその栄養素が体に不足しているから」という仮説もあながち間違ってないかなーっと思います。

ちなみに人に飼われてるリクガメも毎日同じ食べ物だと嫌になり食べなくなります。死ぬまで食べないそうです。


おしまい



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