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私が本を読まなくなった話

私は読書が好きだった。

「だった」と過去形にしているのは、本を読むことが嫌いになったからではない。

自分が「読書が好きだ」と堂々と言えない、おかしな気持ちになっているからだ。


私が「読書が好きだ」と認識したのはいつだったか。幼稚園の頃から絵本を抱えて1人部屋の隅に座って読んでいるような子供だった。

小学生の頃はあまり友達がいなくて(今もいないけど)、学級文庫の本を片っ端から読破し図書室も通い詰めていた。昼休みに本を借りて、放課後と朝と業間休みの間で読んで、昼休みに新しい本を借りに行く。こんな学校生活を続けて、図書室の貸出カードは自分のだけ4枚にも5枚にもなった。

中学生になったらもっと悪化した。全国大会に出場するような強い部活に入って休みも時間もほぼ無くなったのに、読書の習慣だけは消えなかった。

そもそも私は学校が_正確に言えばクラスが嫌いだった。学校に通っていたのも部活のため。部活がなければ学校に行く意味も理由もないと本気でそう思っていた。部活が活動停止になるテスト前が何より苦痛だった。

そんな大嫌いなクラスでも1日の半分以上はいなければならない。休みが多ければ部活に行かせてもらえないかもしれない。それだけは絶対に避けなければならなかった。

私は本に没頭した。この頃から学校の図書館ではなく自分の本を持ってくるようになった。中学生の自分が読める本、小さなサイズの文庫本が増えて持ち運びが楽になったからだと思う。

本を買って、読んで、違う本を買って、読んで、何度か繰り返したら以前買った本をもう1度持ってきて読んで、それが終わったら次の本を___。

これを繰り返したせいで、本棚には今でも紙が手に馴染んだボロボロの本が何冊も収まっている。

中学の時の自分の趣味といえば、読書とゲーム。あとはニコニコ動画を見ることだった。スマホを持たされていなかったので、友達とSNSでやりとりすることもない。家まで遊びに誘ってくる友達も時間もない。少ない自由時間は3DS(懐かしい)でどうぶつの森をしたりうごメモを見たり、ニコ動を漁ったりしていた。こうして、私の義務教育は過ぎていった。


こんな生活が明らかに変わったのは、高校生になってからだ。正確には2年生くらいだと思う。

本を全く読まなくなった。来る日も来る日も活字を求めていたのに。そこに紡がれた物語を渇望していたのに。

スマートフォンを持ったのは大きいと思う。中学でも多くの友人が持っていたが、私には遠く、憧れの存在だったスマホ。

最初は慣れず程々に使っていたが、1年経った頃には使いこなしていた。使いこなせればその分、多くの情報も娯楽も手に入る。手軽に、簡単に、短時間で。

1人の時間がつまらなくても、楽に過ごす方法を知ってしまった。戻れなくなった。

勉強が難しくなり本を読む時間をわざわざ取れなくなったことも理由としてはあると思うが、大きな原因はスマホだと思う。


そして、読書をやめたからか、私には変化があった。

文字が読めない。

目が文字の上で滑るのだ。伝わるだろうか。

読んでいるはずなのに、内容が頭に入ってこない。教科書も、参考書も、新書も全部。右から左へ言葉が流れるように、目から頭の後ろの方にスーっと抜ける。

私はどうしてしまったんだろう。


今日、久しぶりに本を開いた。小説。途中まで読んで、忙しくて読むのを止めていたもの。

内容はほとんど忘れてしまったから、最初から読み直している。

前とは明らかに違う。鮮やかにはっきりと見えていたはずの景色が、もうぼやけて、不鮮明で、濁っている。

昔は文字がスラスラと脳内に流れてきて、登場人物が想像する姿で動き、声で喋り、泣いて怒って、笑っていたのに。

起きている情景が、思い描けない。中に生きる人々が、私に語りかけてくれない。


違う、聞こえなくなったのは私だ。私が、彼らを見る術を忘れてしまったのだ。


悲しくなった。



私は、もう1度読書の習慣を戻そうと思う。思えば、本を読まなくなってから、空虚な気持ちが拭えなかった。自分を満たしていた何かが、少しずつ漏れて、渇いて、消えていたのかもしれない。

また、彼らは私に語りかけてくれるだろうか。

私は、再び彼らの言葉を聞くことができるようになるのだろうか。


時間がかかっても、取り戻したい。そう切に願う。




追記:本を読まなくなってから、日常生活でも言葉が出てこないことが増えた気がする。SNSでは自分の心情をスタンプや絵文字で簡単に表せるけれど、やはり自分の感情や考えは自分の言葉で表現するのが1番だ。散らばった言葉を、また集めていきたい。

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