性別とわたし

はじめて一度更新してから数ヶ月が経ちました。気付きました?三日どころじゃない坊主。

おひさしぶりです。今回はわたしの性別ってなんぞやというところを残したいと思います。
まず簡単に当てはめるとわたしは「Xジェンダー」という自認の人間です。そしてそのXジェンダーっつのは簡単にいうと「男性」や「女性」に当てはまらない性。
ほんでそのXジェンダーの中にも複数あって、男性と女性の両方を自認していたり、日によって男性だったり女性だったりに変化したり。そしてわたしは男性・女性どちらでもないという自認です。
なんかほかの詳しい説明はググってみてください。だいたい載っている。
ちなみに男女どちらでもないという自認のことを「agender」と呼ぶそうで。ははーんわたしはこれかなと当てはめているところです。

わたしが自身のことをXジェンダーだと確定づけたのは大学生のころです。きっかけはなんだったか朧げですが、LGBTQというワードに久しぶりに出会って探索していたときでした。
それまでは自身が女性であることに違和がありつつも、男性になりたいわけでもない自覚があり、まあでもみんなこんな感じで生きてんだろって、とにかく「女性」でいなきゃいけないと思っていました。
そんなときにパーンと頭に刺さった「Xジェンダー」という単語。もしやわたしってコレなんでは……?そう思ってから馴染むまでに時間はかかりませんでした。
今まで感じてきた違和はみんな当たり前にあるものではないことにはだいぶん衝撃を受けました。え、自分の身体に吐き気を覚えたことがない……?赤色のランドセルに、制服のスカートに気持ち悪さを感じたことが……ない……?てな具合で。
同時に、自分ひとりだけでないという安心感がぽっと生まれました。単語があるってことは単語が生まれるだけそういう人間がいるってことです。
形になれないことってほんとうに不安で。それまでずっと「女性」という形になろう、なろう、でもなんかへん、なろう、なれないを繰り返して、最終的に「女性の成り損ない」みたいな気持ちで。不安で。成り損ないってやだなって。
革命か!という気持ちで自分にはめた「Xジェンダー」。しっくりくるくる。なんやこれ、ちょーしっくりくるやんけ。
我が家の居心地が愛おしいように、サイズの合った服が心地よいように、すっきりしたことを覚えています。
いやでもな……?違うかもしれんしな?なんてXだと思うことを複雑に感じてたのも一瞬ありましたけどほんと一瞬。

Xジェンダーと自覚してからというもの、過去について振り返るようになります。ああ、あのときああ感じていたのは、あのときそう感じたのも、もしかして。思い当たる節がたくさん出てきます。
いっこいっこ向き合って納得して受け止めていく作業。あーそういうこと、こういうこと。ぽいぽい。
たとえば、と聞かれると思いつくことはたくさんありますのでまたおいおいまとめられたらいいなと思います。

いろいろとややこしいし、なんやねんXジェンダーとかって思われることもあるだろうけど、「Xジェンダー」ということばに救われた一人間の話です。

過去に「Xジェンダーでよかったことはありますか」と聞かれたことがありますが、これは今でもそう思いますが、いまこの社会で生きる上でよかったことなんてほとんどないです。
シスジェンダー(身体と心の性が一致)だったらどんなによかっただろうと考えることは多々あるし、そもそもシスジェンダーだったら性違和を感じなくてよかったんだって、いいなあってなります。
シスもシスでそれぞれねあるんだろうけど。その悩みはわかることがないんだろうとも思う。
でもこう生きてる以上は死ぬまで「女性」にも「男性」にもなれないし、「Xジェンダー」なんだろうし、最期のへんには「Xジェンダーも悪くなかったなあ」って思いたいなあ。
あ、ひとつよかったことを挙げるとするなら今あるこの価値観を得られたことです。わたし、自分の思考回路結構すきなので。その点はよかったかな。

「Xジェンダー」と「わたし」のような感じになりました。
次は、「Xジェンダー」に当てはまるに至った出来事たちを残そうかな。

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Twitterで募集したマシュマロも今度ここにまとめよう。


それではおやすみなさい。

ハルヒ

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