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1型糖尿病とともに生きるのは大変なんだ、それでも

 1型糖尿病とわたしの話。



 「きちんと血糖管理してインスリン注射さえしていれば、普通の人と同じように生活できる」


 なんて、心の底から文字通りに実感したことは今のところありません。(きっぱり)

 私の1型糖尿病歴は20年弱になります。
 小学生のときに発症したのが不幸中の幸いと言うべきか、人生のわりと早い段階で当たり前のように血糖測定をしてインスリン注射をする生活が始まったおかげで、最初から「治療」として捉えるというよりも「日常生活の中にあるルーティン」としてそれらを受け容れていました。

 いや正確には、何もわからないまま入院、言われるがままに注射や勉強の日々、どうやら「退院=完治」というわけではないらしいと察知、あきらめに近い形で1型糖尿病を受容した、といったところでしょうか……。

 まず「きちんと血糖管理してインスリン注射さえしていれば」って、その前提がもはや普通じゃないですよね(笑)。(笑)とか付けておかないと正気を保っていられないですよね。

 乗り越えなければいけない壁は多いですが、病気があることを強みやバネにして生きていくのも不可能ではありません。なんなら賢く利用するのもひとつの手段。というか、そうせざるを得ない場面は生きてりゃ必ず訪れると思います。


 だけどやっぱり、私にとって1型糖尿病は1型糖尿病なんですよ。病気です。個性でも強みでもなく、ただ病気なんです。

 血糖測定も注射も、ポンプやCGMの装着も、高血糖や低血糖の対応も、糖尿病をよく知らない人からなんかゴチャゴチャ言われるのも、(うまく対処できるかどうかは別として)それらが存在する生活にはもう慣れました。

 慣れただけです。「慣れちゃえば楽」ではないんです。めんどくさい、しんどい、その状態に慣れてしまっただけで、発症して20年近く経とうがめんどくさいものはめんどくさいし、うまくいかないことばかりでメンタル振り回されるし、心無いことを言われたら傷つきます。
 死にもの狂いで普通の人に擬態しているだけで、別に普通の生活なんて送っていません。

 ただ、人生で起こるしんどいことや嫌なことをまるっきり病気に責任転嫁することだけはしないように心がけているつもりです。
 「糖尿病だから」「糖尿病だけど」と前置きして、なんでもかんでも病気と結びつける必要はないんですよね。だって、糖尿病だけが私の人生ではありませんから。

 逆にいうと、そこがとても難しくて。
 糖尿病だけが私の人生じゃない。だけど、生きていくうえで病気を無視することはできない。
 その葛藤はずっと続いていくのでしょうね。


 「病気を受け容れた」と最初に書きましたが、自分が本当の意味で1型糖尿病を受容できたのは、つい最近だと思っています。発症からもうすぐ20年ですけれど……。

 発症当時の私は、自分の置かれた状況を理解できていなかったんですよね。
 1型糖尿病は治らない。一生インスリン注射をしなければいけない。そこに関しては、なぜかショックを受けた記憶がないんです。あー、そうなんだーって感じで。めんどくさいなあとは思ったけれど、落ち込むことはありませんでした。

 でも、今になってみればそれは、「病気を理解して受け容れたから」ではなく、「この先のライフステージで待ち受けている困難をきちんと想像できていなかった」だけに過ぎないのだと思います。
 傷つかないために、自分の病気と真面目に向き合うことを避けていたのでしょう。幼いなりの自己防衛でした。

 しかし、病気から逃げ切ることはできません。歳を重ねるにつれて、どうしても埋められない周囲との差を実感する場面は増えていきました。

 校外学習の途中で低血糖になったのを周囲に言い出せず、意識を失って救急搬送されたり。
 マラソン大会で気分が悪くなり、ゴール直後に血糖測定したら500を超えていて、閉会式が終わるまで救護室で休んだり。
 高校で出会えた親しい友人に、ついぞ病気のことを話せないまま卒業して後悔したり。

 それから、大学の先生に「あなたの病気はたいしたことない、努力が足りない」と言われたのが引き金になり精神的に病んで中退したり。
 そのまま就活せずバイトの延長で非正規の仕事に就いて、少ない給料から治療費をまかなったり、通院のために有給消化したり。
 職場の人に恵まれて日々サポートされているありがたさを感じるいっぽう、迷惑をかけてしまうことへの申し訳なさや経済面における将来への不安は常につきまとっていたり。

 ふとしたときに、ああ自分は病気なんだな、って現実を突きつけられるんです。


 今、糖尿病治療のデバイスって日進月歩で新しいものが続々と出ているじゃないですか。
 それこそ自分が1型糖尿病を発症した2000年代初頭から現在の2023年までの間だけでも、いろんなことが変化しました。注射針やランセットが細くなったり、血糖測定にかかる時間が短くなったり。インスリンの注射器もポンプもどんどん新しくなっているし、CGMの進化もめざましいですよね。

 でも、そうやって治療方法が進歩して便利になっていくのが非常にありがたい一方で、どこか焦りや不安が増している自分もいて。

 これだけ優れたデバイスがあって、私はそれを使える環境にいて、主治医や職場の人など日々サポートしてくれる人がいて、やっぱり頑張らないわけにはいかないんですよ。
 実際めちゃめちゃ頑張って、栄養指導や新しいインスリンポンプ&CGMの導入を開始した頃から心境も経過も徐々に変わり、それまで何年も軒並み8%台だったHbA1cは1年かけて6%台まで下がりました。月によってばらつきはあるものの、TIRの割合も少しずつ上がっています。

 良いことですよね。でも、そのぶんプレッシャーを感じているのも事実で。
 これだけ“恵まれている”自分は、弱音なんて吐いてちゃいけないのではないか。優れたデバイスを使っているのに、血糖管理がうまくいかないのは自己責任なのではないか。
 ふいにSNSで他の患者さんが投稿する良い数字や前向きに頑張る姿を目にしては、なぜ自分にはできないのだろうかと落ち込むこともあります。比較するもんじゃないのは重々わかっているのですけれど。


 数ヶ月前、漠然としたメンタル不調が続いた時期がありました。もともと情緒不安定な性格ですし、それなりに思い当たることもいくつかあったのですが、決定的な原因はわからなくて。
 生活にちょっと支障をきたす出来事もあり、糖尿病内科の診察で勇気を出してそれを話してみると、主治医はこう話してくれました。

 「1型糖尿病があって定期的に通院するのは大変なことで、自分が思っている以上に負担はかかっているものですよ。とにかく無理をせず、ひとりで抱え込まないでくださいね」

 たった一言ですけど、ものすごく救われました。そっか、そう思ってよかったんだな、って。こわばっていた心がほわほわと解れて、診察室で危うく泣きそうになったのを覚えています。

 きっと私の中では「普通の生活」という言葉が悪い方向へ膨らみすぎていて、誰に言われたわけでもないのに「頑張って当然、普通に生活できて当然、それができない自分はだめな患者なんだ」と勝手に思い込んでいたところがあったのでしょう。
 「大変だよね、負担かかっているよね」と、一番近くで治療を支えてくれている主治医からそう言ってもらえたのは心強かったです。


 1型糖尿病とともに生きながら様々な場所で活躍されている方はたくさんいらっしゃいます。その姿は紛れもなく希望ですし、素晴らしいことだと思います。
 ですが、それを当たり前だと思ってほしくないのが私の個人的な本音です。
 現在うまくいっている人も初めからずっとそうではないでしょうし、そう見せるのが得意なだけかもしれません。なんにせよ、誰しも見えないところで苦労を重ねています。

 決して、血糖管理が良くないことや病気のない人と変わらぬ生活を送れないことが怠けや甘えとは限りません。そりゃもちろん、疲れていろいろ適当になってしまう日もありますよ。年中無休で病気やっているもんですから。
 ただ、ほとんどの場合は頑張ってもなかなか思い通りにいかない、あるいは頑張りたいと思えるようなメンタルを保てないのが実情です。
 ポンプのカニューレやCGMが血管を100%回避する方法とか、カーボカウントが100%正解できる方法とか、月経前後のホルモン変動に100%対応できるべーサルの設定方法とか、あるなら教えてください。
 ……そんな魔法みたいなことが可能だったら、とっくに治る病気になっているでしょうけれどね。

 どれだけデバイスが進化しても、新しい治療には新しい別の課題がつきものです。昔よりずっと便利になったのは事実ですが、トータルで見れば「負担が減った」とはなかなか言い切れないのではないか、と私は感じています。
 努力だけ・・でなんとかなるような病気だったら、私は今頃この文章もマガジンも書いていなかったでしょう。

 「生きてさえいればなんとかなる」みたいなことを世間はよく言うけれど、私は病気以外のことで何かが苦しくてもしんどくても、逃げたくても消えたくても、インスリンを打ちつづけなければ「とりあえず生きる」という線上にすら立てないんです。マイナスからゼロにたどり着くまでが遠すぎるんです。

 たぶん、私が本当につらいのは、自分が1型糖尿病であるという事実そのものではありません。
 1型糖尿病とうまく付き合っていかなければ社会に適合する権利が得られなくて、その社会にいるのは病気を正しく理解してくれる人ばかりではなくて、それでも最終的に頑張らなくてはいけないのは自分であるという現実です。

 「1型糖尿病とともに生きるのは大変なんですよ」
 ──それでも、「きちんと血糖管理してインスリン注射さえしていれば、普通の人と同じように生活できる」

 「きちんと血糖管理してインスリン注射さえしていれば、普通の人と同じように生活できる」
 ──それでも、「1型糖尿病とともに生きるのは大変なんですよ」

 それでも私は、────。

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