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<第8回>新店挨拶では必ず本を買い求め、お店の袋に入れて持ち歩きます

世間ではいよいよコロナ禍もすっかり明けたかのような雰囲気で(いまだオミクロン株の脅威はあるにせよ)、ここ京都はとくに紅葉見物の観光客でごった返していました。制限解除(人びとの心理的にも)を受けて、私も仕事では八面六臂で活躍しなければならず(できてはいませんが……)、本を読むのも、ちょっとの暇を見つけて、なんとか細切れでも至福のひとときを味わいたいと、もがく毎日です。

≪今月の購入リスト≫
『NOISE~組織はなぜ判断を誤るのか?(上・下)』ダニエル・カーネマンほか著(早川書房)

※アバンティブックセンター京都店で購入
『実力も運のうち~能力主義は正義か?』マイケル・サンデル著(早川書房)
※紀伊國屋書店ゆめタウン下松店にて、新店オープン挨拶時に購入
『理想の書物』ウィリアム・モリス著(ちくま学芸文庫)
※大垣書店堀川新文化店(京都市)のグランドオープン時に購入
『知性は死なない~平成の鬱をこえて 増補版』与那覇 潤著(文春文庫)
※紀伊國屋書店鹿児島店で購入
『旅をする本』丸山 晃著(ラグーナ出版)
※ブックスミスミ オプシア店(鹿児島市)の郷土本コーナーで購入した、星野道夫へのオマージュ本
『海をあげる』上間陽子著(筑摩書房)
※丸善博多店にて、本屋大賞実行委員の書店員さんに勧められて購入

こうしてみると、今月は地方での買い物が多かったですね。ほんとうは、もっと買っているのですが……。じつは、新規オープン書店のお祝いの挨拶に伺うときなどは、必ず書籍を購入させていただき、お店の袋に入れて持ち歩くことにしています。些少ながら初日の売上げに寄与し、お店の宣伝にも貢献できたらと願っての心がけですが、おやおや11月は新店が多く、みるみる蔵書が増えていきました(苦笑)。あと、地方の書店に伺った際には、郷土本コーナーは必見ですね。

■11月6日
『稲盛と永守』⇒日本的経営の王道は京都にあり⁉

本連載の第1回で採り上げた名和高司著『パーパス経営』(東洋経済新報社)に続き、同著者の『稲盛と永守~京都発カリスマ経営の本質』(日本経済新聞社)を読みました。著者の提唱する「志(パーパス=Purpose)」に基づく「志本経営」の体現者としての稲盛和夫(数えで卒寿90歳)、永守重信(喜寿77歳)を採り上げた書です。


資本主義の破綻が明らかな現在、その先に見えるものとして理想の経営を実現しているのが両者の率いる京セラ、日本電産です。著者の言葉では、平成の30年間、欧米型資本主義に迎合し、ROE経営やコーポレートガバナンスなどに翻弄されて徐々に力を失っていった日本企業のなかで、両社のみ正しい経営からぶれることなく社会価値と企業価値の両立、向上を果たしてきたといいます。ときに時代錯誤やブラック企業と揶揄されながらも、いまや最先端の経営を実現している、と。
京セラ、日本電産のいまに至る実績が圧倒的なため、説得力があります。しかも、稲盛和夫と永守重信はともに、「思いを言語化するパワーが抜群」「自分ならではの言葉で生き生きと表現することに長けている」といわれ、なるほどなあと思いました。松下幸之助、ジョブスなども、もちろんそうですね。本書は、新たな日本発・世界標準の経営論を築こうとする端緒になるのではないかと期待します。
京都は、日本を代表する企業を数多く輩出しています(百年企業もあまた)。京セラ、日本電産、村田製作所、任天堂、オムロン、ローム、島津製作所、堀場製作所、ワコールなどなど、本書で紹介された堀場厚著『京都の企業はなぜ独創的で業績がいいのか』(講談社)が面白いので紹介します。京都企業の独自性は、室町時代から続く職人文化の四つの特徴に根差しているといいます。

曰く、①人のマネをしない、②目に見えないものを重視する、③事業を一代で終わらせず、受け継いでいくという考え方、④循環とバランスという考え方。山崎正和によれば、室町時代に、いまの日本の文化を形づくった原型があるといいます(講談社文芸文庫『室町記』)。京都の企業こそ、日本の伝統に根差した企業経営の保守本流なのかもしれません。

稲盛和夫のキーワードは、「京セラフィロソフィー」(目的①市場に直結した部門別採算制度の確立、②経営者意識を持つ人材の育成、③全員参加経営の実現)と「アメーバ経営」(「リーダーは、同じ会社で働く同志として、会社全体の視野に立ち、『人間として何が正しいのか』という1点をベースに判断しなければならない。自らのアメーバを守り、発展させることが前提だが、同時に、会社全体の事を優先するという利他の心を持たなければ、アメーバ経営を成功させることはできない」日経ビジネス人文庫『アメーバ経営』)です。

一方、永守重信のキーワードは「3大精神」(①情熱、熱意、執念、②知的ハードワーキング、③すぐやる、必ずやる、できるまでやる)と、3大経営手法」(①家計簿経営、千切り経営、井戸掘り経営)、そして、買収後の会社再建には「3Q6S」(社員の質、会社の質、製品の質の三つのQuality。整理、整頓、清潔、清掃、作法、躾の六つのSの徹底)が欠かせないといいます。
また、稲盛和夫が得度した臨済宗妙心寺派の禅寺、達磨堂圓福寺の西片擔雪(たんせつ)老師に教えを受けていたことや、永守重信が八瀬の九頭竜大社に参拝している(神頼みではなく、神前で心を清め決意を述べる。神様が見ている前で自らを律し、戒める)ことも、やっぱり重要なことではないかと再認識しました(二人にとって、お母さん、母の教えが経営の原点になっているというのも、素晴らしいと思います。財界研究所『母の教え』参照)。

さらにいえば、どちらも中国との親和性? が高く(松下幸之助もです)、稲盛和夫の著作『生き方』(サンマーク出版)は中国で300万部を超えたといわれ(日本国内130万部)、日本の盛和塾が解散したいまも、中国では若手経営者など、まだ7,000名も塾生が在籍しているそうです。すごい話です。一方、永守重信は「中国は必ず伸びる。世界一のEVメーカーは中国から出てくる」といい、コロナ禍の最中に1,000憶円かけたEV用駆動モーター工場建設に着手しています。

本書の著者、名和高司さんも永守重信のグローバル経営大学校に協力されています。同校は日本電産の次世代の人材を育てる、研修としては最上位の位置づけの重要な役割を担っているそうです。次世代を担う中国の方が経営者候補として学ばれているのかどうかは知りませんが、盛和塾にグローバル経営大学校、中国はリスクファクターではあるとはいえ、二人の先達に学ぶことで、新たな東洋流の経営の王道・覇道が中国国内から生まれる可能性もあるかもしれません。どうでしょう。

本書の中ほどにある著者の主張を紹介します。
成長企業のタイプ分けを行なったなかで、四つの類型があるうち、現代のような構造変化期に適している経営モデルとしてKEYENCE(キーエンス)の事例を挙げます[第5章]。
「現場のベストプラクティスをアルゴリズム化し、それを常に進化させ続けている。同社の市場開拓モデルは、他社にコンサルティングできるほど“仕組み”として完成度が高い。また、同社の収益構造は、自社のなかには知恵だけを蓄積し、有形資産は他社のものを使い倒すという典型的な無形資産型のアセットモデルが基軸になっている」。そこで、日本電産のもつ現場の「たくみ」の知恵を組織の「しくみ」へと転換し続けていくことが鍵となり、これをマーケティングとイノベーションの領域においても実現できれば、今後とも指数関数的な成長を持続させることができるはずだ、と説きます。果たして、そうでしょうか。
私は、京セラや日本電産の素晴らしさは、アナログ的な職人の手作業を思わせる「モノづくり」が原点であり、それがゆえに、デジタルや形而上学的な広がりがありえるのだと思うからです。アルゴリズムも効率化には有効でしょうし、なくてはならないと考えますが、アルゴリズム(論理)も絶対ではなく、最終的には「モノづくり」に従事する「人」によるのではないかと思います。
著者も終章で、デジタル社会の先に要請されるものとして、倫理や正義、利他や共感の価値を高めていかなければならないと説きますが、ここが考えどころかなと思います。

■11月13日
『知性は死なない』⇒それにしても、精神医学は難しいものです

まったく話が変わりますが、今月購入した与那覇潤『知性は死なない』(文春文庫)は、「鬱」を経験して立ち直った現代の知識人の稀有な記録です。自分に対する認識と世界(社会、他者)に対する認識の関心を高めることが病からの回復のポイントだったのかな、と思う書でした。また、いまさらながらですが、鬱という病は「やる気」の問題ではなく、機能的な「能力の低下」をもたらすものだと知りました。

本書のなかに、「人間に対するアプローチには"言語"と"身体"の両極がある」というくだりがあって、なんとなく目からウロコが落ちました。アカデミックな言論界では、90年代のジャック・デリダ(フランスの哲学者/1930年~)からの「脱構築」の流れが、既存の言葉を組み変える知の技法として行きすぎてしまい、著者によれば「他人のあげあしとりばかりして、積極的な提案のない」ことで退潮してしまったといいます。
そのあとに出てきたのが、言語より身体をモデルにして社会を分析したり、自分の提言を述べたりする流れだといいます。代表的な論客としては、哲学者の鷲田清一さん、合気道の道場主でもある内田樹さんです。なるほど、なるほどです。
著者は、言語(病の論理的理解)と身体(水泳、プールでのウォーキングなど)の両面を鍛えることで機能回復を果たされたようです[私見]。
本書で挙げられている医学の書籍に、精神医学者の木村敏(本年8月ご逝去)と中井久夫があり、ちょっと読んでみたことがあります。どちらも理系の先生ですが、哲学や文学にもめっぽう造詣が深く、素人読者には、まったく歯が立たない先生方でした。人の心の病は最大の学際的な課題なのもしれません。

とはいえ、中井久夫の著作『分裂病と人類』(東京大学出版会)があったので、引っ張り出しました。精神医学の長大な歴史以外の記述では、二宮尊徳と大石良雄、森鴎外へのちょっとした言及が興味深いです(分裂病の本のはずですが)。ここでは、先妻と離別して北九州の小倉に左遷された森鴎外(1899~1902年。名作『即興詩人』を訳した時代。「圭角がとれ、肝が練れて来た」森潤三郎)が記した詩(ポエム)、「沙羅の木」を備忘録として挙げておきます。

褐色(かちいろ)の根府川石に
白き花はたと落ちたり
ありとしも青葉がくれに
みえざりし さらの木の花

中井久夫は、この詩は鴎外全詩のなかでも、例外的に緊密な構成を持っているといい、押韻、頭韻、中間韻の美が交差して、音楽性をもっていると讃えます。3年足らずの小倉退隠時代、鴎外はボードレール(家庭教師をつけてフランス語の勉強)と仏典に勤しんだといわれます。

いまも小倉に残っている旧住居には沙羅の木が残っており、鴎外はその花をいたく賞(め)で、所説によれば、鴎外死去の年、その木はひときわ多くの花をつけたといわれるそう(仏陀の涅槃時のよう)。この後、中井久夫による桎梏な分析が続くのですが、ここでは、この詩が、鴎外が日露戦争での自らの戦死を悼んだ詩であるという著者の見解に感動しました。一度は自らの死を覚悟したわけです。
実際に鴎外は出征し(1904~1907年)、戦死こそしませんでしたが、帰国後、文筆家としては沈黙ののち、1909年の『半日』を皮切りに豊熟の時代を迎え、1916年の『渋江抽斎』『空車』まで自己抑制を強めていくことになります。
なかでも歴史小説の『高瀬舟』『阿部一族』『興津弥五右衛門の遺書』は、名作だと思います(PHP研究所でも、古くは吉野俊彦の『権威への反抗―森鴎外』をはじめとする評伝や、長尾剛編『鴎外の「武士道」小説』傑作短篇選/PHP文庫がありました)。

■11月20日
『NOISE』⇒アルゴリズムを絶対視するのは、ちょっと待って

個人的な感想ですが、デジタルによるAIに代表されるアルゴリズムの進展は驚異的です。おそらく出版業界は、この点、ずいぶん遅れた業界だろうと思いますが、では、果たしてアルゴリズムを絶対視していいのか、と危惧してしまいます。
たとえば、人の心を打つ書籍企画をAIに創造できるのか、全国の立地、客層、販売力の異なる書店さんに適正・的確な配本、補充がデータ解析で可能なのか。Amazonの進化するアルゴリズムは有名ですが、人間の手仕事、直感、想いは、いったいどうなるのでしょう(現実的にはデータ処理は、もはやマンパワーで時間をかけたり残業したりでは、とても追いつかなくなってる、とは思いますが)。
あくまでも個人的な、イメージレベルの拙い感想ですが、そんなことも考えながら書店店頭に行くと、『NOISE~組織はなぜ判断を誤るのか?(上・下)』(ダニエル・カーネマンほか著/早川書房)という新刊が目につきました。
試しに開いてみると、こんなことが書かれていました。「これほどアルゴリズムが優秀で、それを裏付ける証拠も数多く存在するとなると、なぜもっとアルゴリズムを使わないのかとふしぎになってくる」(上巻・P193/第10章「ルールとノイズ」)。私の答えは、それは人間の判断に対する信頼があるからじゃないか、と言いたいところです。すでに時代遅れかもしれませんね。やれやれ。

■11月27日
『おばあさん』⇒むかしの暮らしの知恵を体現する「おばあさん」

児童書に癒しを求めて、先月の岩波文庫のハイヂから思いたって手にしたのが、ニェムツォヴァーの『おばあさん』(岩波少年文庫130)です。はじめは、おそらく小学校のクラスの学級文庫(学校図書館かも)で出合ったはずです。幼いながらも感激したのを覚えています。口絵が秀逸でした。

おばあさん口絵

主人公の「おばあさん」は学もなく、資産もない、市井の人でありながら、その確かな信仰に裏打ちされた高潔な人格と人生の豊かな知恵によって、関わる誰をも感激させ、感銘を与える、共同体にとってなくてはならない存在でした。誰もが納得できるパーフェクトな理想の女性像です。
そのおばあさんの、夫とともに戦場に赴き、夫を戦争で亡くしながらも、晩年、孫たちに囲まれる人間として豊かな生活が、著者の分身たる利発な子供・バルシカの眼を通して描かれます。
読み進めながら、自分の大事な祖母を思い出したからかもしれません。いったい、どこまで小学生の自分が内容を理解できたものか、いまとなっては心もとないのですが。その後、大学生のころ、岩波文庫で手にすることになりました[こちらは少年文庫では割愛されていた、他国の駐留軍に蹂躙(?)され、狂人となった娘の哀しい悲話が載っています。第6章。実はじわじわ怖いストーカーの愛です。すでに精神に異常をきたした娘が産まれた嬰児を川に投げ捨て、子守唄を歌うシーンはトラウマになりそうですが、おばあさんの優しさが引き立ちます〔本章を、とても子供には読ませられないと、当時の岩波少年文庫編集部が判断したのは正解かも〕。
ですが、これまで読んできた物語のなかでも、心温まる精神安定剤のような本でした。原書はチェコ語。プラハも行ってみたい土地ですね。なにしろ、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」とスメタナの「わが祖国」(第2曲の傑作「モルダウ」はドイツ語、チェコ語では「ヴルタヴァ」)の国です。チェコは歴史の過程で、現代に至るまで地政学的にもさまざまな国際政治に翻弄された国でした。

本書の「はじめに」を、備忘録として写します(来栖継訳)。

 わたしが最後に、あのやさしい、おだやかな顔を見、あの青ざめた、しわだらけの頬にキスし、善良さと愛情がありありと出ているあの青い目に見入ったのは、もうずいぶん前のことです。おばあさんの年とった手が、最後にわたしを祝福したのは、ずいぶん前のことです。あの善良なおばあさんは、もうずっと前から、冷たい土の中で眠っているのです!
 しかし、わたしにとっては、おばあさんは死んでいません! おばあさんのおもかげは、わたしの魂の中に、まざまざと焼きつけられています。わたしの魂がすこやかであるかぎり、おばあさんはその中に生きつづけるでしょう! なつかしいおばあさん、わたしに絵筆がうまく使えるなら、わたしはあなたの姿を別の形で、りっぱに世につたえるでしょう。しかし、ペンでかかれたこのスケッチ――ああ、わたしは、これがだれの気に入るか知らないのです!
 けれどもおばあさん、あなたはいつも言われましたね。「この世の中には、みんなの気に入る人はない。」と。そうです、わたしは今あなたのことを愛情をこめて書いていますが、同じような愛情で、あなたのことを書いたこの物語を読んでくれる人が、ほんのいくたりかでも見つかれば、それでよいのです。
【ボジェナ・ニェムツォヴァー】

驚くべきことに、本書のチェコでの初版は1855年。日本では明治維新前の安政年間に、すでに散文小説として確立されていたのでした。舞台のチェコは当時、オーストリア帝国の支配下で(徴兵のために仲を引き裂かれた恋人たちの挿話もあります)、公用語はドイツ語でした。たとえ国家が蹂躙されようとも自国を愛する心が、本書のような母国語(チェコ語)にこだわる、ある意味、抵抗文学を生んだのだといえます。まったく、西洋は進んでいたものですね。毅然とした精神と民族の誇りを謳いあげていて、チェコの国民文学だといわれるのも納得がいきます。以下の引用は、ネタバレです。

行列が見えているあいだずっと、公爵夫人の悲しそうな瞳がそれを見送っていましたが、公爵夫人はカーテンをとじると、深いため息をついて、ささやくようにひとりごとを言いました。
「幸福(しあわせ)な人だこと!」

本書の最終ページをそっと閉じるとき、人間にとって、ほんとうに幸せな生き方とは何かについて考えさせられることでしょう。名作だと思います。

■12月5日
「江利チエミの声」⇒日本歌謡曲の黎明期のドラマ

暇に飽かせて、つい最後まで見入ってしまったのが、BS朝日制作『ザ・偉人伝 江利チエミ・笠置シヅ子・淡谷のり子~人生を変えた歌』(再放送)でした。ドキュメンタリー番組です。読書日記でなくて、すみません。
じつは江利チエミは、小林秀雄がファンだった歌手で、「私は江利チエミさんの歌で、一番感心しているのは、言葉の発音の正確さである。この正確な発音から、正確な旋律が流れ出すのが、聞いていてまことに気持ちがいい」(『小林秀雄全作品24』所収「江利チエミの声」/新潮社)、「語るように歌う」名人だと書いています。小林秀雄が歌謡曲も聞いて、レコード(SPレコードでしょうか? 「江利チエミの声」の初出は1962年の『朝日新聞』なので、LPですね)まで購入していたのは驚きです。

江利チエミの生涯を概観すると、番組タイトルの3人のなかで最も不遇な晩年で、改めて番組と一緒に辿ってみると、ほんとうに胸が痛みました。日本歌謡史の黎明期に、敗戦後の日本を活気づけた立役者であるにも関わらず……なのですが、歌声を聴く人たちがいるかぎり、幸せな生涯だといえるのではないでしょうか。カントリー・ミュージックの名曲「テネシーワルツ」日本版(ヒットはパティ・ペイジで有名)の誕生秘話を知り、30年ほどのちに高倉健(元夫)が映画『鉄道員』のなかでこの曲を口笛で吹いたことを思うと、感慨深さがいや増します。「テネシーワルツ」の曲は、願っても叶わない恋人の喪失を歌う哀切なものでした。
また、笠置シヅ子の、長女を産む数日前に連れ合いの夫(吉本興業創業者・吉本セイの長男で9歳年下)を亡くした生涯も不運でしたが、歌手に限界を感じたところで、すっぱりと歌手生活をあきらめ、俳優として一から出直し、立派に忘れ形見の娘を育て上げたのには、たいへんな苦労があったのだろうと思います(ドラマで観たかも)。いずれも時代に翻弄された女性の生涯でしたが、その生き方には素直に感動できました。されど母は強し、ですね。

■12月11日
『現代思想』10月号⇒進化生物学の味気ない現在について

先月、『現代思想』10月号(青土社)を丸善博多店で購入していました。特集タイトルが、「進化論の現在」、これは木村敏の追悼特集号でもありました。そこで、巻頭の長谷川真理子さんの寄稿から、「進化をめぐる誤謬のまとめ」を備忘録として記しておきます

⑴「進化は種の保存のために起こる」は間違い
 進化というプロセスには目的もなければ、全体計画もない。普通に考えれば、すべて個体の利益を優先に進化は起こるのである。だから、ヒトにおいて、なぜこれほどまでも「集団のため」という志向が強いのか、そちらこそ考察せねばならない。
⑵「進化的適応は完璧を作り出す」は間違い
 自然のプロセスにはさまざまな変動があり、それぞれの状況で有利なことは、互いに矛盾することもある。だから、完璧は生じえない。
⑶「進化は進歩である」は間違い
 生物進化のプロセスは、場当たり的、刹那的な「有利さ」の積み重ねに過ぎないので、確実に次の世代が良くなっているとは限らない。場合によっては、退化も進化の一形態である。

だそうです。うーん。通説の誤りを指摘するということは、大事なことが残されているはずです。ヒトは生物学的個にあらず、いろんな運と縁に結ばれた集団とともに、志(意志)をもって生きるんだと、学説はさておき個人的には主張したいところです(失礼しました)。

■12月19日
松下幸之助と関わった人たちの発言録⇒日本の現代経営史の宝の山

またまた、読書日記から離れてしまいますが、松下幸之助名義の著作はたくさんあります。松下幸之助に関する評伝や参考書も数限りなくあります。が、じつはPHP研究所には、松下幸之助が戦後、PHP活動を始めてからのさまざまな場所での公の発言が、すべて記録として残されているのです(速記録、オープンリール等々)。
弊社の京都本部7階の書庫にあるのですが、ほんとうに壮観です。松下幸之助が、どれだけあらゆる場所であらゆる人たちを前にして思いを込めて話をしてきたことか。手前味噌ながら、圧倒的な人間力であり、偉大な経営者と評されるのも十分に納得できます(1964年、アメリカで800万部発行とされる『ライフ』誌で紹介された際は、産業人、最高所得者、雑誌発行人、ベストセラー作家だけでなく、思想家ともいわれています)。松下幸之助の発言録は、社屋の耐火措置の施された一角で厳重に管理されているのですが、いわば国の重要文化財、国宝だと言っていいと思います。
同じ京都本部には、松下資料館(見学無料、要予約)が併設されていて、こちらでは松下幸之助本人、関わった側近、部下の人たちの講演の一部がアーカイブとして視聴できます(一部は、YouTubeでの公開も始まっています)。どれも必見です。便利な時代になったものですね。機会があれば、ぜひ京都本部にもお越しください。タイミングが合えば、ご案内させていただきます。

さらに、弊社で所蔵するものには、正式刊行物としていない非公式な冊子も多数あって、なかでも松下幸之助とともに働いた人たちの講演録がたいへん勉強になります。いまから1世紀前になる創業のころから、産業人の使命を自覚したころ、戦時中のころ、戦後すぐの世相が混乱してGHQの活動制限を受け苦労を重ねたころ、高度経済成長のころ、有名な熱海会談の前後、松下政経塾の設立等々、松下幸之助と同時代を一緒に歩んだ方たちの生の講演録です。
なかには、終戦前年、サントリーウイスキーを飲みながら「この戦争負けやで」と敗戦を予見した松下幸之助は、占領軍の目をかいくぐり、「阿呆劇団」という移動劇団を結成、赤穂浪士など日本人の忘れてはならない精神的支柱を演目にして日本全国を公演して回ろう、たとえ植民地になっても日本民族精神の高揚をはかろう(後年、本件を問われ、松下本人は否定も肯定もしなかったそうですが)といった、ナショナル宣伝研究所社長(1979年当時)竹岡リョウ一氏のじつに興味深い話もあります(「感動の経営」/『PHPゼミナール特別講話集~続々 松下幸之助に学ぶこと』)。
ウイスキーを一杯やりながらも、大真面目に「君はひとつ、そのつもりでいてくれないか」と語る松下幸之助を想像すると、楽しいですね。日本再興の憂国の思いは、戦後、PHP研究所の設立、後年の私材を投げ打った松下政経塾につながるともいえます。

感動の経営

どの歴史的記録を手に取っても参考になり、いま読んでもすぐ実務に役立つものばかり。学ぶ意欲さえあれば、PHP研究所自体が日本の現代史(経営史)の宝の山だと思います。あまり時間がありませんが、私が学んだことについては機会があれば、またご紹介したいと思います。
なお、戦前の松下幸之助の自伝は『私の行き方考え方~わが半生の記録』(PHP文庫)に詳細に記されていますので、併せて一読をお勧めします。