許しを乞うことは暴力
町田その子さんの「宙ごはん」という物語に
「許しを乞うことは暴力」
という言葉が出てくる。
その言葉に深く共感できる部分があり、
「ごめんね」と口にするとき、
「ごめんね」と言われるとき、
よく思い出す言葉となった。
※※※
深く深く傷つけてしまったのにも関わらず、「ごめんね」の一言ですべて許されようとするのはあまりにも惨い行為ではないだろうか、と私は思う。
傷つけられた人が、自分を傷つけた人を許すという行為は、自分の首を自分でさらに締める行為になる。「許す」ためには、その出来事と苦痛をはっきりと思い出す必要がある。そして、許した後はその苦しさの置き場所を失うことになる。
一度刻まれた心の傷は永遠に癒えることはないということを知っているからこそ、
思い出したくなんてないのに心が弱っているときにふと浮かび上がってくるということを知っているからこそ、
「許しを乞うことは暴力」だと思う。
だから、私が傷つけたと思っている相手に対しても許しを乞うことはしてはいけないと思っている。
傷つけてしまった側としては、許してもらうことほど心が楽になることはない。
しかし、許しを乞うことで、傷つけた相手を再び追い詰めていいのだろうか。
もちろん、「ごめんね」という謝罪の言葉を相手にしっかりと届けることは凄く大切なことである。これは問答無用で一番の優先事項である。
だけど、「ごめんね」という言葉を通して「いいよ」という言葉をもらおうとするのは違うと思うんだ。
そして、
傷つけてしまったという記憶をもって、その事実を受け止めていくことが傷つけた者としてできることだと思うんだ。
すべての人に苦しくて仕方がない場を避ける自由があると思うんだ。
私の考えはまだまだ未熟なのかもしれないけれど。
※※※
成人式には行かないと、
連絡を絶つと、
もう何を言われても気にしないと、
決めた。
これで良かった、と思うんだ。
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