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抜毛症と向き合い続けてかれこれ8年が経つそうです。

2022年夏、私は人生で初めて、ショートヘアにした。

今までの私とはかなり雰囲気が変わった新しい髪型は有難いことに周りの人から好評で、私自身も予想以上に私に似合っていると感じたのでとても嬉しかった。

中学生の頃からショートヘアの女の子がずっと憧れだった。ショートヘアにしている女の子は運動部に所属している子が多くて、運動が全くできない私にとっては凄く格好よく映っていた。

「私も、ショートヘアにしたい」そう思っていたけれど、踏み切れない大きな理由があった。


※※※

中学校1年生になったばかりの春、新しい友達がたくさんできた。小学生の私は割と内気な性格だったため友達ができたことが本当に嬉しかった。

しかし、次第に彼女たちとの関係はこじれて、よくある女の子のグループ内での派閥が起こった。鈍感だった当時の私は事が大きくなるまで自分がされていること、そして一緒にいた友達がされていることに気がつけなかった。このときの後悔から、私は周りの発言や行動に凄く敏感になったんだと思う。このこじれて複雑な人間関係は卒業するまでの3年間ひっそりと、それでも確かに続いた。今でもたまに思い出す。

 それと同時に、勉強面で私は自分に負荷をかけていた。それは小学生の頃の近くにいた人の言葉によるところが大きいと思う。「運動ができないのはどうしてだ」と会うたび迫られていてた。怖くて言い返すことはできなかったけど、心の中でそんなこと私でも分からないよ、と思っていた。そして、彼らの口癖は「勉強なんてできなくていいよ」だった。当時、大の天邪鬼で負けず嫌いだった私は「だったら私は勉強を頑張る」と意気込んでいた。一方で何故か「可哀そう」と思われたい気持ちが小学生の頃からあった私は更に色々受け止めてこじらせていた。

そんな日々を繰り返しているうちに入学して2カ月くらい経った頃私の体に異変があった。頭部の一部から髪の毛が無くなってしまった。それも、勝手に抜けたのではなく、無意識のうちに私が自分の手で髪の毛を抜いていた。いつからかゴミ箱は髪の毛で溢れるようになった。

それに気がついた母にどうしてこんなことするのか、と問われたけれど私でも分からなかった。理解し難い人も多い感情なのだろうけど、ただ髪の毛を抜くことで和らぐ感情があった。母に対しては「髪の毛の量が多いのが嫌だったんだ」としか言えなかった。


母に言われて以降私の行動はおかしいのだと気がついた。だけど、止めることはできなかった。

そんなとき、仰天ニュースで私と同じ症状を抱える人が取り上げられていた。そこで「抜毛症」という言葉を知った。

原因は様々だけれど環境や精神状態に起因することが多く、思春期前後に発症する傾向にあるらしい。



最も酷かった時期には、学校でも髪の毛を抜いてしまい、それを見たクラスメートに気持ち悪いと言われてしまったこともあった。

どうして、頭についている髪の毛はとても美しいものとして扱われるのに、頭からとれてひとつひとつの髪の毛になった瞬間気持ち悪く見えてしまうのだろうか。

私自身も夢中で髪の毛を抜いてしまったあとの机の上、ごみ箱の中の私から分離した髪の毛を直視することはできなかった。


今もできない。





それから、抜毛の症状が治まることはあっても無くなることはなかった。



どうやら、あれから8年経過するらしい。




髪の毛が無くなってしまった部分を隠すために症状が出てからずっと、縛れる長さの髪の毛を維持し続けていた。



思い切ってショートヘアにしたけれど、
だから抜毛の症状が無くなるということもなかった。



きっとまだまだ向き合い続ける必要があるのだろうと思う。




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