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引き算っていつも悲しいのか?

しばらく前のことになるのですが、ニュース記事を読んでいたら某歌壇さんのはお好きなのか何度も引用される短歌が引っかかりました。

確かに小学生で目の前にいた何かがいなくなったら悲しくなる。それはとっても素敵な感性なんだけど、それをそこで止めてはいけないと思うんです。渡り鳥が季節に合わせて飛び去ったのかもしれませんし、それでも見ている人は寂しくても鳥にとってはその方が自然で自由。

それにね、一番気になったのは「いつも」の部分。私は大学で数学を専攻していたのですが、数式はただたんに数式。そこに意味はないです。ですが、その意味のないと思える数字や数式が多くのものを表しています。

引き算も何かがなくなる現象を表していますが、その何かを限定していません。つまり、お医者さんが自分の病院で苦しんでいる患者さんが良くなって退院していくのを見ているときも引き算になります。

奨学金の返済に困っていた人が返済はあと何年、何か月、あといくらというのが減っていく時も引き算です。そういうときも「引き算はいつも悲しい」と言えるのか。

マイナスなものが減っていく引き算は嬉しかったり喜びだったりします。マイナスのマイナスはプラスになる。たかが引き算にもいろいろな応用や捉え方があります。小学生の子が引き算に悲しみを感じてしまうのはOKだと思うのですが、それを回りが賞賛し、そこで止めてしまうのは問題だと思います。

このあたりが小学校の算数教育の問題点の一つかなと思っています。

小学校では一人の先生がいくつもの教科を教えます。だから、一歩も二歩も三歩も先の大学レベルことを理解したうえで教えているわけではありません。だから、かの有名な掛け算論争も起こるのだと思います。逆に数学を専門としたものが幼児教育に詳しくなかったりするのも事実ですが。

でも、周りの大人が誰一人として楽しい引き算もあることを子供に伝えることが出来ないことが私は悲しいです。数学はいくつもの定義を決めたうえでの想像上の学問です。その想像上の数式や数が実は実社会ですごく役に立つ。そこが面白い部分です。

虚数なんてそんな数はない、虚しい数とされたものが実は実社会に大事な概念だったりします。虚しいはずの数が実は虚しくなかった。まだその概念の良さが虚数が定義されたときには理解できていなかっただけ。

引き算も悲しいだけではなく、実は無限に広がりのある数式だとそこを子供たちに教えてあげられる人が増えていって欲しいなと思います。算数や数学はそういうことまで理解できると面白い学問なんですよ。

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