見出し画像

論理的思考の活用 「選択の自由」の使い方

自由とは

「自由」と聞いて「自由の国アメリカ」というフレーズを思い浮かぶ人は少なくないかと思います。

日本はアメリカほど自由を強調、主張こそしないが、国民には自由が約束されています。

進学、就職、起業、信仰、恋愛、結婚。

もちろん全て自由。
個人の想いのままやったらいい。

日本では、他人の利益を損なう行為やズルをすることは禁止しているが、それ以外の個人の選択を妨げる法律は基本的にない。

行動が禁止されているいくつかのレアケースはあるが、概ね生活に困るような行動の制限はないのが日本の法律。

ここでは、合法の範囲で善人として生活する人を対象に話を進めます。

大半の人は普通の生活をしている限り法に触れることはないため、事実上何をしても良い事になります。

ただし、自由に行動した結果は誰も約束してくれない。もちろん法律も約束してくれない。

思考と選択、そして実行するところまで他人や法律が助けてくれます。

したがって、

  • 思考(思想)

  • 選択

  • 実行

それが「自由」の持つ意味と解釈が出来ます。

自由の側面

では、みんな自由でハッピーに暮らせているのか?
想った事をすぐ実行しているのか?

そんな事はないはず。

定職に就かず世界中を旅している人を見ると、

「いいなぁ自由で」

と思わないだろうか?

やりたいことがあるから会社を辞めて自分で事業をしている人を見ると、

「かっこいいな、人生楽しんでそうだなぁ」

と思わないだろうか?

なぜ、あなたはそれをやらないのだろうか?

なぜなら、「自由」を選択して、望んだ結果を手に入れるにはそれ相当の努力、または犠牲か必要だからです。

全て自由に選択する権利はあるけど、実際は実行できない。だから自然と自由には魅力が生まれます。

もちろん、全ての自由には魅力があるということではなく、魅力が伴う自由もあるということです。

しかし、自由には見落としがちな側面がもう1つあります。

誰だって歌う自由はある。
音痴の人が駅前で大きな声で歌っていた場合どうでしょうか?
魅力的でしょうか?
それに直面した人は不快に思う人が大半ではないでしょうか。

歌うことはもちろん自由ですが、人に聞いてもらうレベルではないため、
人は「ふさわしくない」という感情を抱くのも事実です。
そうです、自由には魅力的の逆、「不愉快」「迷惑」という側面があります。

そうです、他人の「自由」は自分に関係無い場合は魅力に映る場合がありますが、自分に関係する場合は、その逆の感情を抱くことがあります。

同調性を重んじる日本人には、これが社会生活において非常に重要になります。

社会生活における自由の使い方

ここから社会人の実態に沿った話を進めます。

自由に似た概念に「権利」があります。
イメージがつきやすい「有給休暇」について例を挙げます。

会社員の方には、

「有給休暇を取得する権利があり、いつでも自由に行使できる」

が法律でも定義されています。

しかし、多くの会社員の方は「自由に取れない」が実態ではないでしょうか。

そうです、取得する権利はありますが、
「取得するにはふさわしくない時期」というものがあるため、

自由に取得できる権利はあるけど、自由に取得できない

という結果になります。

もう少し深掘りします。

本当に常に忙しい人は稀にいますが、そういう人は自ら仕事を生み出し忙しくしている傾向があります。

そういう方以外は常に忙しいわけではなく、有給休暇を取得できるチャンスはあるが、

「ふさわしい時期」の判断を自分で行うことが出来ずにいるだけではないでしょうか。

わかり易い表現を使うと「人の顔色を伺う」という行為です。

日本人は「集団行動が良い」という間違った文化・教育が根強く、何をするにしてもまず同調しようとするため、人の顔色を伺うという行為が習慣化されてしまっています。

自分で判断して人に「不愉快」「迷惑」と思われるリスクを犯すより、他人に判断してもらって自分の評価を下げないという選択を取りがちです。

そうです、自由より保身を優先する事が多いです。

自由より、周りの目を優先して社会の流れに身を任せたい人はそのままで良いと思いますが、同調圧力が息苦しかったり、もっと自分の人生を自分で選択したい場合はどうすれば良いか?

そこで論理的思考が役に立ちます。

以下の点を考えて下さい。

  • 自分のやりたい選択を阻害してる人は自分の生活を支えてくれる人か

  • 10年後も自分の選択より他人の目の方を優先する人生でよいのか

  • 自分の選択は身近な人に影響を及ぼすか

まず1つ目。
阻害してるのが自分以外なら、その人は自分の生活を支えてくれている人でしょうか?

家族や会社の経営者がそれにあたります。

その場合はその人の話に充分耳を傾ける必要があります。

話し合いの末に決断するのが良いと思います。1つ目の理由として、生活を支えてくれる人では無い場合、無視しても良いでしょう。

つまり判断の基準として、その人の意見に従った場合、あなたに対して何かしらの責任を取ってくれるのかがポイントになります。

次に2つ目です。
10年後の自分を想像してください。
5年でも20年後でもよいです。

過ぎた年月分だけ立派な大人になっていたいと思いませんか?

あなたにとって大人とは、人の目を気にして波風立てないのが大人ですか?
それとも自分で考え、決断し行動できるようになっているのが大人ですか?

もし、後者なら成長する時はまさに今です。
今行動できないなら次も行動できないものです。

何事も反復練習です。人生トライしたもの勝ちです。

最後に3つ目。
身近な人にどれだけ影響があるのか考えましょう。
影響とは明らかな迷惑とか多大な心配、または苦痛を与えるレベルです。

もしそれに該当しているならば事前に自分の考えを伝えて調整をするか、調整が出来ないなら影響を与えないような関係になるしかないです。

普通に生活していたら該当するとしても99%は2つ目まででしょう。

こう考えると自分の行動制約をしてるのは自分だと思いませんか?

上記では3つ挙げましたが、実際には1つ目だけ考慮すればだいぶ生きやすくなると思います。

少なからず私はそうでした。

自分の自分の判断や気持ちより、生活を支えてくれない人の意見に従ったとしても何も良い事はありません。

生活を支えてくれない人に従ったり尽くしているその時間と労力は自分の人生の価値に見合っていますでしょうか?

このように上記の3つを冷静に判断すれば選択の自由を行使することが容易になるかと思います。

一度、身の回りの人がどのような存在か考えてみるの良いと思います。

それでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?