”孤高のサウンド” 世界に誇る日本製


#創作大賞2024 #お仕事小説部門
*:初めに・筆者の実体験ベース記載で当時採用名称などをリアリティ
出すべく記載してある。
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早朝の東京12チャンネル(当時)のビジネスニュース番組で当時、日本にて馴染み薄いベタ記事が数秒映像と一緒に紹介される。その内容こそ世界を日本製品が制覇の第一歩であった。
「今年のインディ500決勝進出車両33台中、何と32台が日本製IHIターボチャージャー採用エンジンという快挙だったそうです」。
僅か1台は当時のルールで混走認められていたストック・ブロックV8エンジン予選通過、決勝でも桁違いの速さで500マイルレースを完走し3時間の壁を破るのは時間の問題と見られた。

 当時、日本車へのターボチャージャーは日産の430セドリック・グロリア系が初めて採用し同系列、日産UD4トン積載トラック・コンドルへ一足早く国産初のターボ採用車両としてデビューしていた。ターボチャージャーは米国・ギャレットエアロサーチ社製で航空機等の実績高い日本製IHI(石川島播磨重工)採用はない、後にHONDAがF-1のターボ車両で世界席巻した際は二輪・四輪を含めて世間認知急上昇し、誰もが知り憧れブランドになる。

1970年代~80年代の前半、日本車が車としても・メーカーとしても強く凌ぎを削ったのはWRCへ代表される「国際ラリーの世界」。相手となる欧州有名メーカー・チームに度々勝利してきた、しかしサーキットになると話は異なる。初期オイルショックの1973年以降にワークス活動止めた各大手メーカーのサーキット・レース活動がこの遅れになった声を時に聴く。
 そして豪雨の1985年富士スピードウエイより本格的な耐久レース開幕しモンスター・マシンの共演となる、他方でこの車両規格グループ5(ファィブ)はル・マン24時間レース等に出る目的のみならず将来市販される目的という意図の開発コンセプトのマシンでもあった。
車体は市販のシャシー・メーカー専用より購入もあれば、完成品マシン購入・走行(ポルシェC956シリーズ等)メーカー・ワークス開発(日本メーカー後に採用)エンジンも独自開発、市販レース用、市販チューニングと多岐に渡った。
 C1クラスという国産勢やポルシェ勢のハイパワー・マシンにその格下のノンターボ(NA)エンジン主流活用なC2クラス、米国IMSAレギュレーション下で参加実績あるMADZA等もエントリー、因みに
このIMSAは”International-Moter-Sports-Assosiation”の頭文字4文字を取って略したもので最高クラスはGTP(当時)MADZAはRX-7
ディトナ24時間クラス優勝記録保持もあり同車両のGTS/GTU(当時)エントリー&ルマンで戦う実績保有していた。
予選で西陽の差しかける頃のFISCO最終コーナー入口・立ち上がり
(当時)、500mmレンズを構えて絞り込む。晴天時はRDPにEPR
そしてPKRとフィルム実行感度に合わせMF操作で絞りを絞り込む、
ピント合わせながら待つと甲高い音が右手より響く。F-1でも活躍した3リッターエンジンの”カム乗り音”は良く・速く走れている証”で、
C-2クラスのスパイス・コスワースが通過する、伝統のコスワースサウンドはどの車種でも音色が心地よく芸術的だ。
 周囲の音を吸い込み吐き出すかのリリーフバルブにウエスト・ゲート
ブレーキ音が同時に聴こえるマシンこそC-1クラスのターボ車両。まだ熟成段階の日産ターボ・トリオは予選速いが決勝は今一つ。

 予選終える頃にひと際、ワンオクターブ高い音が聴こえてくる。オペラのように響くその音源は日本製しか成功例のない、ロータリーエンジン。コーナー立ち上がり様子をレンズ越しファィンダーより鋭い視線のレーサー目線が見える瞬間、別の金属音が僅か数秒間に響く。この僅かなる瞬間を撮影する緊張場面ではなく当然の光景でなければ長玉(超望遠レンズ)使用し手持ち撮影で被写体撮影は出来ない。
モータースポーツ撮影は日本に特有な美しさを求められるし必要でもある、MFフォーカスでデジタル・カメラの無い時代はよりそこがフィルム現像するまでが大切であり撮影神経も使った。目前を通過するレーシングカーの音とシンクロしたのは当時愛用カメラのシャッター音である。
参考までにこの時期迄の非売品報道機関向け、ハイスピード・モータードライブ採用ボディですら秒間9コマ/秒(他社で最大12コマ)迄しか撮影出来なかったので現在の一眼レフデジタルカメラは標準的に秒間約
10コマ/秒、ミラーレス・タイプはこの倍以上の撮影能力性能秘めており(最高機種=フラッグ・シップモデルは桁外れ性能)時代・技術進歩凄さが伺える。無論、高性能さは非常な高額さにも出ている。

       ”伝統の直6にターボで武装の神話”

会場へのバスは毎員御礼のみならず道路も出来立てにて未舗装、渋滞激しく乗客は途中下車しメインゲートに急ぐ、スポーツランド菅生で開幕するグループA選手権へ復帰したGT-R(BRN-32)見たさに全国よりファンが押しかける、筆者も渡米撮影合間を縫って訪問した。
日本のサーキットはほぼ山岳部設置であり天候急変が悩みの種、予備カメラには場所を選ばないフィルム、Tri-X400をチョイスする。この便利な白黒フィルムは100フィート缶(約33mm)巻を購入し使い古した現像時にあるフィルム・パトローネの再利用で自分好みに36枚撮りや急ぎ現像したいもの用等で24枚撮りを作れる利点ありコストも安上りという基本中基本を活用。天候良い場合は減感、曇天時に増感処理撮影でシャッター速度に絞り込みを自在コントロール対応出来る利点がカラーポジフィルムという出版向けフィルムより幅が広い利便性ある。
(ネガ・フィルムもこの点は同じ、DPEなら60分で現像終えた時代がこの頃は世界共通で日本だと急げば30分未満で可能だった)。
さてレンズを構えると本命より騒々しい音がする、四発エンジン採用したマシンでそのクラスが行うバトルは相応に楽しい。
V-TEC採用したシビックEG-6と今もアニメより影響あるハチ・ロクのバトルである。NAで4気筒ツインカム1600CCエンジンはレース用にチユーンし全開走行するとさすがに耳栓欲しい音となる。
 そこへBRN-32が走行すると歓声沸き立つ、時のオールド・ファンにはケンメリGT-Rの幻レース参戦以来になるからだ。確かにDR30型RSのスーパーシルエット人気は凄かったが、東北から北のファンは見れずにいたし「Rは6気筒」という神話も少なからずあったのも事実。
 ツーリングカーレース用としては稀有サイズのタイヤが悲鳴上げる程トルクフルな走りが何より魅力を伝える、4WD採用されたサーキット走行マシンは市販車でもある。
菅生はドラマの起きるコースで知られ何度も足を運びまた名勝負生まれている、トップ独走をよそに観客を釘付けとした三位争いこそ今なお語り継がれる名勝負で出世レースとなった、土屋 圭一のタイサン・レーシング時代活躍である。ファンを魅了の走りは撮影者側にも同じく他には無いキャラクターを反映させ後にGT-Rを駆った際、無理な音が聴こえない記憶がある。これは長く慕い同チームのパートナーとして共に戦った名手・高橋 国光の影響に思える。撮影しているとレーシングカーの悲鳴みたいなものが聴こえてくる、その時はエンジンブロー等にてアウト・オブ・レース(リタイヤ)に終える。コンピューター・電子制御デバイスが殆ど完璧機能する昨今ではこうした第六感は無い、だが時として当たって欲しくない感や音は事故という形で稀に出る。皮肉かなそんな時、使用中のカメラシャッターが飛び壊れるという事もある、(予備機種含め二台以上使用はこうした事態の予防策)。精度の高いものとて人間が製造している以上、何の前触れもなく壊れる事は起きる。

”世界の舞台・最新技術へ”

オートフォーカス・デジタルカメラの普及により便利さと不便さが混同するようになる。全ては「バッテリー依存」となり電源無しに稼働しないある意味で致命傷持つという事、逆に速報性等は各段に向上して個人用途であるなら自在の補正で綺麗な加工も可能で便利となる。
 カメラとレーシングカー共通点にあるのは「恐ろしく軽量化された半面、操縦者(レーサー)が楽になった」だろう。かつての長玉は600mmクラスはレンズ単体で5Kg以上+カメラボディで2Kgが普通でいたのが今では双方合計しても5Kgへ満たない。音の皆無な操縦性、シャープな反応はMF操作のカメラ&レンズ同様、車のMFシフトミッション採用とセミ・オートマなパドル・シフトでは後者が楽、小指でもハンドル回る位のパワステ装備が今や普通になった。しかし、面白さに楽しさが欠けてしまう。

 名機と呼ばれた初代GT-RのエンジンS20型はカムシャフトがギア駆動採用していない、プリンス技術のチェーン駆動である。箱スカGT-RのレースモデルでかつてのFISCO6km時代バンク疾走経験ある知人は生前・こう語っていた。
「あそこは廃止するべきじゃなかったんですよ(割愛)直線からはアクセル抜けないですからね、少しでも緩めると壁から車が落っこちる所なんですから。当時はバイアス・タイヤしか無かったですし、あのS20
エンジンが高回転になれば唸りから静かになるカム乗りが最高だったんです、今の(BRN-35)では味わえないですね多分」。
*:この方が乗った当時のマシンはセミ・ワークス存在のRである。

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 HONDAのF-1とインディ双方を総合制覇した後、WRC世界ラリー選手権で日本車は他国車を寄せ付けなくなりルール変わった、現在も北米にての他モータースポーツ注力するTOYOTAがWRC活躍しているのは周知な通り。まず北米で絶対的な人気誇り各種グッズ類の売り上げ込みだとF-1を凌ぐNASCAR(ナスカーと呼ぶ)について活躍しているTOYOTAにこのカテゴリー魅力を述べよう。
 エンジン・サプライヤー単体でTOYOTAはインディ500最初に制覇の日本メーカーながらすぐ撤退しNASCAR参戦理由は北米市場30%以上が日本で馴染み薄いピックアップ・トラックにあるから。
同社の同型ハイエース北米モデルはAWD(四論駆動)存在しながら北米マーケット苦戦していたのと米国南部が主市場であり、開催地が南部ディトナ中心のNASCARである点が合致し名門チーム多数あるノースカロナイナ州シャーロット近郊地域の拠点・チームと提携開始する。因みにこの街も5月最終日曜日15時スタートするNASCAR最長レース開催される(シャーロット・モーター・スピードウエイにてのコカ・コーラ600=600マイル・レース、途中よりナイターレースになる)。
 このNASCARは時代錯誤と思うような方々も多いが「ハイテク禁止」ルール運営で有名、キャブ車・ボディはペイントの鉄板で叩き出しに貼り合わせ(市販車面影残すルールあり)タイヤホィールも鉄製で専用ボルト禁止(よってボンドにて仮止め)、ガレージジャッキに重い燃料タンクをフェールマンが担いで給油などなど面白い。
市販車並みに重いがオーバル(楕円形)専門に開催、年二度の例外コース開催以外は雨天時順延。使用燃料も同一でオクタン価高い、V8ストック・ブロックエンジンはOHV(ツインカム・DOHCはない!)なのにド迫力な音、時速200マイル(約320km)簡単に出る。上記したボディ構造でもマシン回転予防で天井が自動的に空気抜ける設計になっている、カーボン等は採用なく事故になればバラバラとなるが無傷で脱出のレーサーが普通(昔は喧嘩する方もいましたが)。
 TOYOTAは伝統のディトナ500という開幕戦でビックタイトル
NASCARシリーズタイトル獲得後に取った、さらにNHRA(通称
ドラッグ・レース、プロのゼロヨン・レース)への参戦し名門にエンジンサプライヤー(これもV8-OHV+スーパーチャージャー)であり
南部の市場固めている。米国訪問された方にはTOYOTA名の体育館などがあるのへ気が付いた方々いると思う(例:テキサス州ヒューストン等)実はこうした活動成功例の一環だ。

 NASCARやNHRAはそのルール上、野性味のあるエンジン・サウンドを堪能出来る。決して日本では味わえない醍醐味で、このDNA注入されたマシンはスーパーGTのGT300で走行中のスープラだろう
(確かV8エンジン採用と聴いた、サウンドもアメリカンV8と同じ)

ただ車と正反対に感じるのはミレーレス化の激しいカメラは各社の特徴埋没して見えにくい状態へなりつつあるように思える、連写時の音がもはやカメラではないような感覚に感じる気配が強い不満を覚える。