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はやみね論考アップロードします

知恵は多い方がいい。どうも、神山です。

はやみねかおるの新刊「令夢の世界はスリップする 赤い夢へようこそ前奏曲」を読んで物語のチカラに打ちのめされているところです。

今回は、はやみね作品の振り返りをかねて、かつて自分が書いた論考とマチトム13巻読了時の感想記事をまとめて流します。論考はPDFになっておりますので、ダウンロードしてお読みください。もう5年以上前の文章で恥ずかしい限りですが、あれから5年で一気にはやみねワールドがおわりに向かっていることがわかります。note用に書き直したものをアップロードしました!

-------------------------------→2015/12/21

「都会のトム&ソーヤ⑬ 黒須島クローズド」読了記、あるいはヴァーチャルの果て

※本エントリは13巻を含めた都会のトム&ソーヤシリーズのネタバレを含むかもしれません

 今回取り上げるのは、はやみねかおるによるマチトムシリーズ13作目、『都会(まち)のトム&ソーヤ⑬ 黒須島クローズド』。
 物語は一通の招待状から始まる。差出人は黒須幻充郎―ゲーム業界では、かつて「異世界への案内人(クーリエ)」と呼ばれていた伝説の人物―、それは内人と創也をゲームパーティに誘うものだった。目的地は黒須氏によってバブル期に作られ、廃墟になってしまったとされる無人の人工島『黒須島』。
 その島を舞台にして、命がけの宝探しゲームが始まる。
 ゲームマスターは浦沢ユラ。命を天からの借りものと考えている美少女。
 ひとりは言った「ゲームは、命がけで楽しむもの」と。
 ひとりは言った「プレイヤーの安全が保障されなかったら、それはゲームじゃない。現実(リアル)だ」と。
 ゲームとは何か。究極のゲームを創ることを目指す『南北磁石』竜王創也と内藤内人は、命を懸けたこのゲームで何を手に入れるのか。

 It’s a showtime!

都会のトム&ソーヤ⑬ 黒須島クローズド/はやみねかおる
 
 本文に入る前に過去に公開した拙稿「夢見るこどもと赤い月・マチトムパート」より、マチトムシリーズがどういったものかを振り返ろう。

「都会のトム&ソーヤシリーズ(以後、マチトムシリーズ)」は講談社YA!ENTERTAINMENTから刊行されている、中学生によるゲーム開発を題材にした冒険要素がある推理小説のシリーズ作品である。[…] 本作の特徴は同時期同レーベルから出版された、あさのあつこのジュブナイル近未来SF作品『NO.6』と同様に主人公が男子二名なことである。よって、これまでの多くのはやみね作品とは異なり、「おとこのこ」の視点が中心となる(これまでも夢水シリーズにてレーチが一人称のエピソード等はあったものの、メインの語り手は亜衣であった)。[…](中学二年生とは思えない能力や知識を有していても)単なる「子供」二人組が、伝説のゲームクリエイター「栗井栄太」や、謎の計画立案集団「頭脳集団(プランナ)」と対決したり、トラブルに巻き込まれたりしながら、「究極のゲーム」を作るという目標を叶えていく物語である。(拙論「夢見るこどもと赤い月」より)

 さて、ここでいう「究極のゲーム」はテレビゲームやコンピュータゲームなどの仮想現実(バーチャルリアリティ)でのゲームにはではなく、現実世界を舞台にしたR・RPG(リアル・ロールプレイングゲーム)である。そこで創也あるいは栗井栄太が目標としているのは、ゲームと現実の境界線をなくす(=はやみねかおる全般に通じる「赤い夢」を現前させる?)ということ。
 本作で登場する黒須幻充郎は、かつて『遊戯盤』と呼ばれるボードゲームで、それと似たようなことをしている。

 遊戯盤は、黒須氏が考えた世界をゲーム盤の上に再現したものだ。ゲーム内のキャラになりきるため、衣装やBGMのカセットテープまでついていたそうだ。プレイ中には、追加コマンドをきくための電話番号まで書いてあって、彼の遊戯盤は現実とゲームの境界線をなくすと言われていた。遊戯盤の世界で探偵になったり超能力者になったりしたプレイヤーは、ゲームがおわっても、その気持ちからぬけられない。それほどの影響力があったんだ

 その黒須氏が人工島で建設しようとした『クロスランド』と呼ばれる遊技場、その跡地で、開かれるR・RPG「黒須島クローズド」。前口上に記した通り、ゲームマスターは命を大切にしない存在であり、頭脳集団に所属する浦沢ユラ。彼女の在り方は内人の「何があっても生き延びる」という信条と真っ向から対立する存在である。命を懸けたゲームに対して、内人だけではなく栗井栄太の一人である神宮寺も次のように怒りを露わにする。

ゲームはゲーム。おれたち作り手は、それをわすれちゃダメだ。プレイヤーの安全が保障されなかったら、それはゲームじゃない、現実(リアル)だ

 これまで子供のように描かれることの多かったキャラクターが、死というリアルに触れることで、大人として振る舞っていく。神宮寺だけではなく麗亜も、「大人らしさ」を見せる。

 とびこんで助けたいって気持ちはわかるわ。でも、気持ちだけじゃ、人を助けることはできないからね
 現実は、ドラマや映画みたいにあまくない。技術や覚悟もないくせに、ヒーローになった気持ちで飛び込めば――死ぬわ。よく覚えておくのよ

 そういった、大人たちの中で創也や内人は成長していく。
 しかし、それは大人たちのいう「安全な」方向ではなかった。終盤の内人と創也のやりとりから、それを汲み取れる。

そう、ぼくは楽しかった。
クロスランドの数々のアトラクションを前にしたときとは、ちがう楽しさ。安全が保障されたスリルや、入念に計算された動きのおもしろさとは、真逆の楽しさ。
へたしたら、死ぬ。
いつ大波をかぶるかもわからない。
でも、海へ入って、ぼくは楽しかった。

 11巻にて、栗井栄太は、現実世界は退屈で、だからこそ「究極のR・RPG」は現実世界をまるごとゲームフィールドに変えることだと考える。そのゲームフィールドはおそらく、安全が保障された上での面白さがあるだろう。しかし、内人は現実世界を退屈だとは考えていない。安全でないこともまた楽しさだと気付いてしまった。創也はこれまで、栗井栄太と同じ立場だったかもしれない、しかし、内人がその手を引くことで彼らの作るゲームの可能性が広がってしまった。
 二人の作るゲームは、人類の未来によくない、と頭脳集団に所属するトキミは口にする。その危険性を排除するために、ユラは二人をゲーム作りから離すために、死の恐怖を突き付けてきた。しかし、二人は彼女に突き付けられたからこそ、より強固に「究極のゲーム」へ向かうことを決意した。してしまった。
 物語の最初では、自分たちの能力を疑い苦悩し怯えていた二人が、終わりでは立ち直り、明確な目標ができた。

 ぼくらのつくるゲームは、ステージをクリアするたびに、プレイヤーをリアルに成長させる

 彼らが作る究極のゲーム『夢幻』がどうなるのか、そして世界はどうなってしまうのか。二人が作り出そうとしている「赤い夢」はなんなのか、これからもマチトムシリーズから目が離せない。

-------------------------------→2020/7/26

 以上、過去に書いた文章でした。興奮冷めやらぬので、明日ザワを見たら令夢感想も書いていこうと思います。はやみね考察とかもいつか形に出来たらいいですね。こわいけど。

ではでは。


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