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石田省三郎写真展「TSUKIJI JONAI」

PHOTO GALLERY FLOW NAGOYAにて2022年2月2日から20日まで石田省三郎の展示「TSUKIJI JONAI」を開催しています。

この文章は、ギャラリーディレクター個人の考察であり、作品の意味は多様にあります。ご自身でご確認して見出して頂ければと思います。

石田省三郎は、東京銀座のIGフォトギャラリーの主宰でありながら、自身でも撮影を行う作家である。
経歴も異色で、弁護士として多数の有名な難事件に関わってきた。
この展示作品は、その様な経歴の作家の見ている地平を垣間見れたような気がする。

今回の展示は、ご存知の様に今は無くなってしまった築地場内市場の写真である。築地場内がなくなる前には沢山の写真家が撮影を敢行しているであろうと想像できる。
それらの写真の場合によくある状況として、市場の活気や生活を記録するための躍動感のある写真である。

しかし、石田の作品にはその様な人間の躍動感は感じられない。

この作品は、築地にある物、道具を撮影しており、そこに関係する人間は徹底的に排除されているのである。

人間のいない風景は、つい最近の自粛期間に置いて、我々は経験した事象なのだが、この作品はコロナ禍以前の築地である。
作家は何を見て何を訴えかけたかったのか。石田は、いまはもう無くなってしまったであろうそれらの物に対してこう答えている。

《永年にわたって培われた習慣やノウハウが凝縮されている》


こういった経験はないだろうか?

街が再開発され、今までの古い街並みが無くなり、電線が地中化され綺麗な舗装と街路樹などが並んだ街になった途端、いままでそこに居た人たちの姿が見えなり閑散とする。新しい駅などができた時にはよくある光景の様に思う。
今作品は、このような現象にクローズアップしていると感じる。

新たに開発されるために、元々存在していた物質を失う。
この行為に深い意味はない様に感じられるのだが、日本人特有の考え方にアニミズムと言う感覚が備わっている。

アニミズムとは、生物・無機物を問わず、全ての物の中に霊魂や霊が宿っているという考え方である。

手足の様に使い込まれた道具には使い手の魂が宿っており、その人の身体の一部として機能している。

そう考えた時、人はその人だけでは生きておらず、使っている物や道具を含めてその人物を形成しているのである。
物を一新すると言う事は、自身の身体を切り売りすると言うことである。
当然ながら新しい物にはまだ魂が宿っておらず、命がない。活気がない。

そうした理由により、人は無機質となった街から離れていく現象が起こるのではないかと想像する。
新たな街に新たな魂が宿った時に人はそこに帰ってくるのだと。

石田の過去の作品には、東日本大震災の帰宅困難地域の撮影や、電力問題に対して批判的な作品も多い。
電力という目に見えない道具に対して慣れきっている現状。道具を使うと言うことはどういった事なのかと我々に問い掛けている様である。

当ギャラリーの近くには古くなった柳橋中央市場をかかえており、最近施設を一部改装して大きなパチンコ店になりました。
昔からある物が無くなるのは、物に宿っていた命が失われたと言うこと。
使い込まれてきた築地には人だけではなく、物質的なパワーがあって、命があったといえます。その命が源となって人間を下支えしてきたと思います。

人は人だけで生きていると考えがちですが、様々な物によって生かされていると言う観点がみえてきます。

石田省三郎写真展。2月2日から20日まで。

https://www.photo260nagoya.com/


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