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自己成就予言と期待と執着と手放し


自己成就予言

自己成就予言ってご存知ですか?
私は、内容は知っていたけどこの言葉は知りませんでした。


高く期待されれば応えようと高い成果を出すし、低い期待しかされなければ低い成果しか出せなくなる。
低い期待をされた場合には、それに応じて防衛的に努力を行わないようになっていき、かつ失敗に対する不安が高まるために、挑戦するような行動もできなくなってしまう。


というようなことです。ピグマリオン効果&ゴーレム効果ですね。
私これを聞いて、⚡ピシャーン⚡と来ました。
引き寄せとか、RASとか、ミラーニューロンとか、これか!と。これまで、そういう知識はあっても今一つ腑に落ちていなかったんです。理解していたけど朧げにしか実感していなかった。

なんでそんなに⚡ピシャーン⚡と来たかと言うと……
私の経験ですが、「きっとできるよ。期待してるよ」といくら言おうが、これがまぁやらないんです。やってほしいと思いつつ心の底では「どうせやらないんだろうな」という思いを持って対していた人が、です。
心の底の真の期待にしっかりバッチリ応えてくれていたやん!Σ( ̄ロ ̄lll)

腑に落ちて記憶を探ってみれば、自分も「どうせ言ってもちゃんとはやらないんでしょ」との思いが透けて見えた相手から「期待してるから、頑張ってやってみて」と言われたことは、それはそれは嫌々やっていたということもありましたし。

逆に、素直な思いから「きっとやれるよ。やってごらんよ」と期待したことは、自分であれ他の人であれ良い結果に結びついていることが多い。たとえ成果と言えるほどの結果を出せなくても、よい体験ができている。よい体験ができた人は、次も頑張ってみようと思えるし、実際に頑張れるものです。期待を伝える側としても、素直に応援できます。
適切に期待を伝えれば、よいサイクルが回せるってことですね。
そんなこんなで、あぁそういうことだったのか、と腑に落ちたのでした。

期待と我欲

この⚡ピシャーン⚡を共有したくて人に話したところですね、その人は、一定の納得を示しはしたものの「私に言わせれば逆だね」と言いました。
つまり「期待されるためにはまず努力して認められるのが先。頑張ってるなと思うからこっちも期待しようと思うわけだよ」と、こういう考えなわけです。
それも理解できるし卵か鶏かになりそうではあるけれど、私としては、裏で「言ってもろくにやってこなかったじゃないか」とか「どうせダメだろうけどね」思ってるなんてのをなしに素直な期待を持って、先に伝えるべきだろうと思うのですよね。

ここでポイントになるのが「期待」を理解することです。
皆さんは、期待する時ってどんな思いがありますか?

大体が、期待する時って見返りを求めちゃうんですよ。期待した通りか、それ以上のものを求めてる。そうじゃありませんか?
相手に「期待しているよ」っていう時は、相手をコントロールしようとしている時です。自分が思い描く通りになってほしいっていう、ほぼほぼ自分目線。表面上は相手のため、相手の成長のためとか言いながら、その実は自分の利益のため。だから期待通りにいかないと、「こうあるべきなのになんで言った通りにならないんだ」という思いから、苛立ち、諦め、失望、怒り、悲しみ、なんていうネガティブ感情が湧く。
思い当たることが、皆さんきっとありますよね。

誰だってがっかりしたくないし失望したくないから、先に自分で予防線を張ります。それが「どうせやらないだろうけど」との思いです。或いは相手を腐すことでマウントを取りたいということもあるかもしれません。そう思っておけば、相手が期待通りにしてくれなくても「ほら思った通りだ」と自分が損しないで済む、正しさを証明できる。
これ、自分も相手も期待通りになるのでwin winですらあるという……^^;
なんなら、期待を裏切っていい結果を出してくれたら「思った通り」のwinにならなかったことで逆恨みしちゃったりなんてことも。

何故こんなことになるかというと、期待と、執着や我欲がセットになっちゃっているんですね。これは成長の過程を考えると仕方のないことでもあります。
おぎゃあと生まれた赤ちゃんは、お腹が空いたので泣いたらおっぱいを貰えます。これを繰り返すうちに、泣けばおっぱいを貰えると学習していきます。
生きるため、成長するために当然の欲求を満たしているんですが、最初は空腹から泣いていたのが、空腹でなくても泣いたらおっぱいが貰えたりもしているうち、次第に「何かを求めて期待するとそれが叶う」という体験を積んでいくことになるわけです。お菓子売り場で買って欲しくて泣きわめいているのも、この効果ですよね。
わーお、私たちみんな、期待我欲セットの筋金入りのプロっすね!(笑)

だんだんと理性が育つにつれ、何でも思う通りになるわけではないと学習していきますが、無意識に深く「期待する=望みが叶う」図式が刻まれています。この体験や過程は、健全な精神の発達のために重要なステップですので、小さいうちは存分に願いを叶えてあげる時期が必要です。物を買い与えるという意味ではなくスキンシップと愛情を惜しまないということですね。

本当の期待とは

でも本当は、期待って信頼を寄せることだと思うんです。来談者中心療法で有名な心理学者のカール・ロジャーズの言う、自己成長力に対する信頼。そこにいることへの尊重と敬意。他人に対しても自分に対しても。
期待するとは「あなたは(私は)こうできると信じていますよ」ということです。
無意識のうちにやっているであろう「自分がこうしてほしいから相手に期待している」という構造に気付き、こうしてほしいという欲、こうあるべきという執着を期待から切り離す。相手を自分のコントロール下に置こうとするのを手放す。そんなことしなくて大丈夫だよ、自分でできるよ、と自分に教えてあげる。そして相手に侵襲しようとしていた自分の境界を適切に引き戻す。

すると、期待は「こうなるといいね」という希望になります。誰をも縛り付けるものではなく、自由です。

「なったらいいね」「なると信じてるよ」になると、期待をかけた通りになろうとなるまいと、「そうなったんだね」と距離を置いて眺められます。ロジャーズが言うクライエントを信頼するという在り方も、そういうことだと思うんです。「あなたにはその力がありますよ。それを信じていますよ」と、あなたにはできると期待=信頼するけれど、それは「私」のためではなく、そうしたいであろう相手のため。やるもやらないも決めるのは相手。
その在り方は温かく、熱く、慈愛と信頼に満ち、同時に冷静で冷ややかで、他人事。私は私、あなたはあなた。それぞれにできることをやりましょう、という距離を保っている。
期待って本当はそういうものだろうと思います。相手に渡すボールのような。

自己成就予言を使いこなす

相手に期待をかける時は自分の執着、我欲を切り離せれば、高すぎる期待も低い期待も低すぎる期待もなく、「こうできる、こうしてほしいと思っていますよ」とフラットに思えるでしょう。

期待を掛けられているとキャッチした時は、高い期待なら自分をドライブする燃料にうまく使えばいい。応えられれば、ハードルを越えられれば、自分も嬉しいわけですし、自分だけのためより誰かが喜んでくれると思う方が頑張れるものだったりしますし。

「どうせやれないだろうけど」や「やれてもせいぜいこの程度だろ」なんていう裏が透けて見えたなら、そんなものに引きずられるのはくだらないので受け取る必要はありません。勝手にそう思わせておけばいいだけです。
期待に応えるのが癪? 相手の言うとおりにするなんて冗談じゃない?
低い期待をかけられたと感じる時には特にそう思うこともあるでしょうが、まだイヤイヤ期ですか? 大人と見せかけた3歳児ですか? 幼稚ですね。
えぇ、恥ずかしながら私がやっていたことですけれども(笑)

こういう思いが湧いてくるのは、自分を認めてほしいという欲求の表れです。自分が自分を認めていないからなんです。今のリアルサイズの自分を認めて、その上で未来を目指していきましょう!

せっかくなので裏が透けて見えた時のうまい躱し方をお伝えすると、

  1. はい、特製マイ篩(ふるい)を取り出します。
    その篩は透けて見えたイヤラシイ思いをきれいさっぱり濾してくれる優れものです。

  2. 余計なものがくっついた期待の言葉を篩にかけて、文字通りの期待の言葉だけを取り出します。
    地面に落としてもいいし、砂金探しのように水の中で篩うのもいいですね。

  3. 気が済むまで篩にかけます。

  4. きれいになった期待の言葉を、自分にかけなおします。
    何度も口に出す、胸の中にしまう、などしっくりくるお好みのやり方で。

言葉についた汚れが落ちてきれいさっぱり✨するのを、具体的にイメージしてやってみてくださいね。実際に手を動かしてやるのも効果的ですよ。

こんな風に自分に期待して「私ならできる」と自分に伝わればいいのです。そうして淡々とやるもよし、やってやろうじゃないの!と燃え上がるもよし。私たちは、誰かの期待を実現するために生きているのではないのですから。
誰かからの期待は気付きのチャンス。何かしら次のステップへ進むタイミングという合図です。合図をどう受け止め、考え、行動するかは自分が選び、決めています。せっかくならチャンスは捉えて生かせるといいですよね。

人間は期待に応えたい生き物

自己成就予言を改めて考えると、人間はそれが高かろうが低かろうが、全力で期待に応えようとする生き物なんですね。なんていじらしい生き物なんでしょうか、私たちったら(笑)
おそらくこれは本能に組み込まれているものでしょう。
であるならば、この機能を活用しないなんて愚の骨頂だと思いませんか?どんどん期待して、どんどん良くなっていきましょうよ!

「認められて期待されるように先に努力するべき」だの「どうせできないだろうけど」だの御託を並べていないで、見返りを求めちゃってる浅ましさに気付いて、シンプルに「あなたならできると思うよ」「やってみなよ。案外うまくいくよ♪」「やってくれると助かるよ」「自分ならできる」「やれたら成長するよ」「成長できるといいね」と思えばいい。

それぞれの人がそれぞれの場で果たすべき役割があるので、やってくれないと困ることはあるけれど、それはそれでなんとかするさと自分が引き受ければいいのです。期待と言うボールを渡したら、もうそのボールは相手のもの。こちらに渡してくれなければ、別のボールを持って来ればいいだけです。

ぽーんとボールを渡して、そのボールあげるよ。楽しんでみて?
遊び方がわからなかったら訊いてくれれば教えられることもあるよ。新しい遊びを見つけたら私にも教えてくれると楽しさが広がるから嬉しいな♪って。

あなたが力を発揮できますように。
あなたが幸せになりますように。
と願うのが真の期待じゃないかな。
願ったら自分の手を離れているから、あとはもう天任せ。それでいいじゃないですかね。

期待をまとめると

相手と自分の成長と幸せを願って、
「気付きと改善」は、期待する。
「自分の思い通りの行動」は、期待しない。

こういうことかな。

上手に期待して、あなたも私もあの人もその人も、みんなでどんどん幸せになっていこう~(*^-^*)

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