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世田谷の農地を守り、育む活動をしています

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最近の記事

この2年間でやっていたこと

noteで「マイクロ農家への道」を投稿してから、はやくも2年半が経っていてびっくりしています。 この間、何をやっていたかというと、 ① 福田コミュ二ティ農園の立ち上げのお手伝いをしていた この農園は、貸し農園ではありません。 農を楽しみ、体験する「農のあるくらし」を通して、農への理解を深め、農家と農地をサポートするコミュニティをつくることを目的として立ち上げました。 園主福田さんのコンセプトと、コミュニティづくりの福永の経験を合体させ、こんな感じの農園をわいわいとやっていま

    • マイクロ農家への道

      都市で農を残したいという気持ちだけはあるけれど、どうして良いか分からない。いろいろ調べて、論文も読んで、いろんな人に話を聞きました。 都市政策の問題や相続の問題など、多くの課題がある中で、自分として取り組めることは何か? 分かってきたことは、今ある農地を農地として残すためには、農家さんの意思が必要だというあたりまえのこと。しかし、「自分の代で終わってしまってもやむを得ない」今は、そんな風に思ってしまう環境にあふれています。 江戸時代から数百年引き継いできた土地を、自分の

      • 世田谷で農のある暮らしをつくりたい

        世田谷区にはかつて、いたるところに農地がありました。 僕が世田谷の祖師谷に移り住んだのは1965年です。家の前には湧水があり、畑道を歩いて幼稚園に通いました。近所には教育大学の農場があり、僕たちの遊び場でした。 そんな風景も次第に少なくなりました。まちづくりの仕事を生業としながら、そのような変化に対して、特に何もしてきませんでした。今思い返すと、何かすれば良かったのか、でも何もできなかったよな、という忸怩たる思いが自分の中で巡っています。 1992年に指定された生産緑地

      この2年間でやっていたこと