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世田谷で農のある暮らしをつくりたい

世田谷区にはかつて、いたるところに農地がありました。

僕が世田谷の祖師谷に移り住んだのは1965年です。家の前には湧水があり、畑道を歩いて幼稚園に通いました。近所には教育大学の農場があり、僕たちの遊び場でした。

そんな風景も次第に少なくなりました。まちづくりの仕事を生業としながら、そのような変化に対して、特に何もしてきませんでした。今思い返すと、何かすれば良かったのか、でも何もできなかったよな、という忸怩たる思いが自分の中で巡っています。

1992年に指定された生産緑地がまもなく30年の節目を迎えます。今後も生産緑地を維持していくのかどうか、農家は判断しなければなりません。これを2022年問題といいます。

もしかしたら、これを契機に一気に世田谷から農地がなくなるかもしれないと思い、調べ始めたのが約3年前です。調べて見ると、特定生産緑地という形で持続すし、2022年にいきなり農地がなくなることはなさそうだということが分かりましたが、背後にはもっと大きな問題があることも分かってきました。

都市の農地はこれまで、無くなる前提のものと考えられていました。生産緑地に指定することで税制の優遇措置は受けられますが、相続の際には生産緑地以外の土地に大きな相続税がかかります。農業収入だけでは十分な収入を得られない農家はアパートなどを経営しており、その相続税を支払うために、換金しやすい農地が売られていきます。

本当に都市の農地は無くなってやむを得ないのだろうか。今まで、漠然と「昔の風景がなくなるのは残念だな」と思っていたことを紐解いていくと、いろいろな都市の課題が見えてくるのです。

このブログでは、そんな思いと、世田谷に農地を残す取り組みについて記録していきたいと思っています。



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