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自己内省

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私の名前は、らば。

子育てパパだ。

ほんの少し前までは発信することにスゴく抵抗が有ってTwitterは見る専門で情報収集ツールとしてしか利用していなかった。

私はツイートをほとんどしたことが無かったにも関わらず、ある人物に出会って発信、副業をするようになって、なぜか自分と向き合うようになったって話をする。

いきなりだけど、もうハンバーガー少女は辞めようと思う。

「らば」はハンバーガーを配る少女

初めましての人は意味が分からないと思うから、順に説明していく。

その人物に出会ったとき、その人物には「皆が稼げる副業パッケージを販売する。このパッケージを売る協力をして欲しい」と伝えられた。
副業迷子になっていた私は、その人物の人となりに惹かれ、二つ返事で協力することになった。

そして、翌日から販売に向けた講義が始まることになったのだ。
勘の鈍い私は「売る協力」も分からず協力することを決め、この講義を受けて「Twitter運用を行うこと」が「売る協力」であることを知った。

こうして「発信すること」を課題として与えられたことで、早速壁にぶつかることになってしまった。

指導者「講義の感想をツイートしてくれ。」

発信することに抵抗があった私(後述するが、原因は後に判明した)は、ツイートすることに戸惑いがあった。
私は頭をフル回転させ、「なぜツイート出来ないか」を指導者に伝えた。

そこでは「感性に自信が無い」と言っていたっけ。

そうやって自分の気持ちを発散すると、ようやくツイートすることが出来たのだが、ツイートの内容は下記の通り。

講義の感想ツイート

繰り返すが、私は子育てパパだ。

特に考えてこのキャラクターコンセプトになった訳じゃない。
たまたま拾ったアイコンが女の子で、ハンバーガーをかじっていたから。

指導者には講義の感想をしっかりと伝えた。

しばらく忙しい日々が続くことを容易に想像出来ました。何よりワクワクしました。
毎日講義・宿題があるのは学生時代を思い出してノスタルジックで楽しくなっちゃってます...
チーム参加前から感じていた人間性そのままの講義で、このまま先生について行きます!

指導者への感想

だが、これを素直に発信することはできなかった。
私は偽りの自分で発信していくことになったのだった。

偽りの自分を演じることで本当の気持ちをひた隠し、何を言われても自分の意見・気持ちとは関係ないと距離を取ることで予防線を張り、自身の未熟さを外界から守っていたのだった。

そう、この時はハンバーガー少女が私の心の陰を映したモノであることに気が付いていなかったのだ。

少女になりすまし、脳死でハンバーガーを配っていた。

そうやって、ここ最近まで、ツイートしていっていた。

そう、このトラブルが起こるまでは。

トラブル発生

些細なきっかけだった。

私はこの副業を始めてツイートをするようになってから、多くの人に支えられてきた。誰も置いていかない。といった信念をもった指導者に付いて行っている私は、目についたツイートにはリプをするように心掛けていた。

「勇気を出してツイートをした人に寂しい思いはさせない。」

この想いがあって、未だリプまっさらだったツイートにリプをしたのだ。

私の勘違いによって、「ツイートを嘲笑された」と捉えられうるリプライをしたのだ。

問題のリプ

「つまり〜」だけ見てもらえれば良い。
すべて自分について語っているリプだったが、元ツイの主は自分が非難・嘲笑されたと感じてしまったようだった。

はじめは仲間からの「何を言っているのか分からない」という指摘からだった。

私「いや、質問に答えただけなんですけど…」
仲間「え、もしかして背景知らずにリプしてる?消した方がいいよ」

この指摘が無かったら、収集付かなくなっていたかもしれない上に、今も未だ自分の弱さに気づけていなかったかもしれない。感謝です。

そうこうしていると、元ツイの主からDM
「非情に残念だ」
と。しかし私は「勘違いですよ!」程度の返答で、謝罪はしていなかった。

私は大きな問題には感じなかった。
勘違いしてるだけじゃん?って。だが実際はそう単純な話ではなかった。

ポイントが2つある。

  • 背景を読み取ろうとすることをせず、いい加減にリプをした

  • 「勘違いした相手の気持ち」を汲み取ろうとしなかった

勘違いしたにせよ、その時、そこには間違いなくツイ主にとって筆舌しがたい気持ちにさせてしまっていたのだ。私は自覚が無いものの、それを理解せず、蔑ろにした。

これは尊厳に関わる問題だ。

普段私は、当日あった出来事をよく妻に相談する。

あまり妻は私のことは否定しない。
だが今回だけは違った。

妻「100%あなたが悪い」

そうして私は人の感情に寄り添うことなく発信していたことに気が付き、自己内省をせざる負えなくなった。

私「私はなぜ人の気持ちに寄り添えなかったのか」
私「私はなぜハンバーガー少女なのか」
私「なぜ私は...」

自分の起源を探ろうとすると、決まって幼少期あるいは家庭環境に行きつくのが相場だ。

感情を偽る子

小学生低学年の頃だったろう、多感な子で、なんでも感じたことをスグに言う子だった。

こんなやりとりがあったことを記憶している。

女性教員「陣痛は腹痛の100倍以上の痛みがあると言われています。男の子は女の子に優しくしてあげてね。」
小らば 「いや、ただの腹痛でしょ!腹痛!」
女性教員「皆さん、らばくんとは結婚しないように」

ところで我が家は都合があって貧乏だった。
私は、その都合のせいで貧乏であると認識していて、嫌だなと思っていた。

ある女性教員は、その都合をどこで嗅ぎ付けたのか分からないが、相反する立場を取っていた。
私が発言する度、他の児童が居る前で「その都合」に触れるか、私を無視するようになった。
私にとっては触れて欲しくない嫌なことだ、普通で在りたいし、無視されるのは悲しい。
私は次第に発言することをしなくなっていった。

正直、その時期の記憶はほぼないが、確か、こう感じていた気がする。

小らば「あ、僕は喋ったらダメで、この世に存在したらいけないのかな?」

幸い、他の児童から「その都合」について触れられることは無かったが、発言したら否定か無視されるという経験は、幼い子どもが自分の気持ちを偽るようになるのには容易なキッカケだった。

そして悲しきかな、家に帰っても
「こんなことがあって、どうだった」
と会話するような家庭ではなく、嫌だった気持ちを聞いてもらえる存在が居なかった。
私の感じたことが救われることは無かったのだ。

小らば「そうだ!何も感じていないことにしよう」

私が自分を偽り始めたのはこの頃からだったか。

私は何も感じてないし、だから何も言うことは無い。
こう自分を偽ってきた。

たまに自分にとって譲れないことがあると、強い物言いをする、あるいは怒り出すことで意見を言わせないようにした。

いつしか私の感情センサーは機能しなくなり、だが少しだけ残っている感情は腫れ物のようで、触れようとする者は排除するようになったのだった。

妻との出会い

そんな中でも私の人生の中には一番の僥倖がある。

そう、先ほども登場した妻との出会いだ。

私は妻と出会うまで人に相談することを一切しない人間だった。

私「相談するって何?いいこと有るの?自分以外信じれるものなんて無いでしょ。」

妻に聞いたが、私のような人物には初めて出会ったそうだ。
こうなってしまったのはきっと家庭環境も大いに関係があるだろうと。

普通、人は会話をすることによって刺激を受け興味・関心が移り変わり、感性を磨かれ人格が形成されていく。
しかし、情報交換が目的の上っ面だけの会話。空を切るお互いの言葉。孤独。停滞。

人と人とは気持ちのやりとりが存在して初めて、人間関係が出来上がる。気持ちのやりとりを小学校低学年で封印してしまった私は、仲が良いと言える友達は居ない。

気持ちのやりとりをやろうとすると、幼少期の「否定」「無視」といった黒く巨大で醜いモノが首をもたげて、こちらを覗いてくる。

私「そうだ、そうなる前に予防線を張っておこう。誰も近づかなければ何も苦しくない。」

幼い頃に封印した感情センサーはぶっこわれていて何も感じず感想無し。そして、すこしでも触れて欲しくない話題には強い発言をし、威嚇する。

そうやって私は人の気持ちを知る機会、感性に触れる機会を失って大人になってしまった。

私の感情表現は小学生で止まっている。私には5歳の息子が居るが、すでに彼の方が感情を表現するのが上手い。

息子「今日、保育園で○○くんと××して楽しかったー!」
息子「この前行った△△公園、めちゃくちゃ良かったから、また行きたい!!」
息子「□□っていうところ、すっごく面白そうだから、次の休みに行こう?」

彼にはこれからも勉強させてもらう。そして、そんな私がまだ人間らしく過ごせているのはやはり、妻の影響だ。

妻はよく怒り、よく泣き、よく笑う。
人の気持ちが分からない私は出来事をよく彼女に問うが、私にも分かるように説明してくれる。
彼女のおかげで多少、感情センサーもマシになってきてはいる気がする。

妻「100%あなたが悪い」

妻に相談することでことの重大性をやっと理解し始めた。これには感謝しかない。

偽りのその先

私はこのように自分を偽ってしまったことで、

  • いい大人になっても困りごとを相談できる友人が居ない

  • 断られるのが嫌すぎて人をイベントに誘えない

  • 無視されるのが嫌いな癖に、人のことは簡単に無視する

これが自分を騙して、偽って大人になった者の末路だ。

そう、私は自分の気持ちを隠すことで自分を守る人間だ。
すると人の気持ちを慮る経験が圧倒的に不足し、結果、人を自覚なく傷つけてしまう。
これは元ツイの主に対してだけではない。

今は間違った行いをしたときに気づかせてくれ、正してくれる妻、そして力強い仲間が居る。
私は一人じゃない。

大人になるまで育てることが出来なかったモノに気づいてしまった。ここがスタートライン。すぐに好転はしないかもしれない。だが、遅れた分は取り戻せばいいだけの話だ。

自分の気持ちに素直になって曝け出し、 人の気持ちに触れること。そして時には傷つくが歩んでいく。これが私に必要なことだ。

それって覚悟あるの?

私はプロフィールを私とは違う者にした。
ひたすら隠し続けてきた自分自身が傷つくのを恐れ、表に出せなかった。
ハンバーガー少女は、自身を偽ってきたがために育たなかった感性の門番。私の弱さの表れだった。

Twitterを見ていると、明らかに嘘で塗り固められたプロフィールの掲示や思っても居ないツイートをしている者がいる。
しかも、それは「こうやって煽ったらカモから搾取できそうだぜ」といった非常に自分本位で、発信に責任が取ろうとする者の姿勢のそれじゃない。

  • まったく稼げてないのに稼げてますツイート

  • 月収100万稼いでますプロフィール

  • 全く満足しなかったゴミ商材のアフィリツイート

もし本当だったとしたら申し訳ないが、嘘をついて発信しているのは、どういう気分だ?

その先に誇れる自分は居るのか?私のように「失われた時」と向き合う覚悟はあるのか?そして、救われる人は居るのか?

新しい経験・出会いで人は変わる

私みたいにに弱い部分を持った人間は大勢いるだろう。そういった人間は弱い部分を受け入れずとも、共に歩んで生きていくしかない。

しかし、私には妻が居た。そして、副業をはじめ、仲間に恵まれた。一人だったら自分の弱い部分を受け入れられずに死んでいたかもしれない。だが、そうはならなかった。

他人からすると、私は人を抑圧・牽制することで感情のやりとりを避けていて、腫れ物のように扱いづらい人物であったに違いない。

しかし、この環境に居るお陰で変わるチャンスに恵まれた。

これから上手く人と付き合って行けるかどうかは、まだ分からない。ただ、このキッカケが第一歩に繋がっていることは間違いない。

先の問題は先方が人格者であったことが幸いし、大事には至らなかった上に、私のこの先に関して時間を取って考えてくれることまでしてもらった。
感謝しかない。

こうして私は「人の気持ちが分からない」コンプレックスに気づいてしまった。もうこれからは必死だ。

こうやって、とある人物に関わり始めてから、お金だけでなく、人生の満たし方により向き合うようになった。

何度も言うが、ここには仲間が居る。
感謝してもしきれない。

さて、時は来た。
第2フェーズの始まりだ。

私はハンバーガー少女を辞める。

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