パイプカットと性別違和

生まれて初めて性欲が少なくなったって感じたのは、パイプカットの術後でした。射精をすれば、痛みではないけど痛みに近い圧迫感があり、今では以前ほど不快感は強くないものの、かすかに続いています。そして、以前のように「溜まっているものを排泄したい」なんてことは思わなくなりました。

元々性欲は弱い方でしたが、男性の体で生まれてきたからには、この排泄行為から逃げられないのは宿命でございます。それが、パイプカットをきっかけに、排泄の衝動が静かになったのです。実は私は、この静寂がとても気に入っていました。

男性ホルモンを補充することで性欲がパイプカット前に戻るのは想像できました。だけど、ここで私の中の何かが強くブレーキを踏んでこう言いました。

「男らしくなるのは絶対に嫌!」

実は、パイプカットの手術を受けると決めた時、心の中で密かに、「ついでに下半身についてる余計なものを全部取り除いてくれたらいいのに」なんて思っていました。ですが、男性ホルモンが選択肢に上がった時、心が強烈な拒否反応を示し、この不快感が「性別違和」なのだと言語化できるようになるきっかけを与えてくれました。

2024年の今だから、自分の「ジェンダー」を表現することに割と解放的になり、性別の違和感に対する医学的アプローチも一般人の手に届くようになってきました。しかし、昔なら現実を受け入れるしかなかったでしょうし、その苦痛に耐えて生き延びるしかなかったのでしょう。だけど、今は医療が発展し、私のような一般人でさえ体をある程度変えることができるのです。

その事実を目の前にして私の心は激しく揺れました。

私は正直なところ、体をホルモンで変化させることが本当にできてしまっていいのか、って思ったりもします。私の4歳から抱き続けた、叶えることが不可能な夢が叶ってしまうことが本当によいことなのでしょうか。そのように感じるのは、「幸せになりすぎると、どこかで落とし穴が待っているのではないか」という恐れのような気もするし、古い時代から受け継いできた観念のような気もします。それが決して悪いものだという意味なのではなく、冷静な判断を助けてくれる、心の中の貴重な反対者だと思っています。反対してくれる存在がいるからこそ、再考したり、考えを練り直したり、自分を見つめ直すような機会を常に与えてるれるのです。

あとはリスクをちゃんと理解して、自分自身の人生に責任を持てるか。その覚悟が12月(来月)に求められます。ジェンダークリニックの予約が入っている日です。とても不安で、とても楽しみ。

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