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偈頌:嫌い?

好きが嫌いを含んでいること

でもその嫌いは自分のなかにいる

泣いてわめいてかまってくれと

置き去りにされた子どもがいる


人間は情けない生き物です。なぜなら、大好きだったはずの人を嫌いになったりします。しかも些細な理由で。もうこの人は嫌い、ひどい、最低だと。お互いに好きあって一緒にいた人たちですら、そんなふうに嫌いになってしまうことがあるのです。どうして嫌いになってしまうのでしょうか。それは投影しているからだと思います。つまりは自分の内側にある過去の傷を相手の中に見てしまっている。それは勝手に自分が見てしまっているだけなのです。相手ははっきり言ってあまり関係がありません。むしろとばっちりをくらうようなものです。自分の過去は相手には見えません。いつも通り普通にしていることが、癪に触ってしまう。それは、自分の過去の傷に対して、相手の発言や行動が触れてしまうからです。そうすると、相手は特になんの悪気もないのに悪い人扱いされてしまうのです。相手に自分の傷ついている部分を見てしまう。そして嫌い、になってしまうのです。
悲しいことですが、それは、お互いが好きになるというような、近しい関係になればなるほど、自分の傷を相手のなかに当てはめてしまう行動が出てきてしまう。情けないことです。僕はこれを何度したか覚えていません。何度も何度も自分の傷を投影して、人に不満を言うことがありました。もうこんな悲しいことやめたいと思いました。つまるところ、これはどこまでいっても自分の問題だったのです。その問題とは、やはりInner Child、内なる子どもの満たされなさ、なのです。このことに気づくまでに時間がかかりました。もう僕は自分の問題のせいで人を傷つけたくありません。だから、置き去りにされた過去の自分の傷や辛さを、改めて見つめ直す必要があると感じています。

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