見出し画像

偈頌:生まれる必然

偶然ではなく 

生まれくる子どもらに

この世界へようこそと 笑顔で言うためには

怒りをこの世界に投げないことです

苦しみをこの世界に生まないことです

必然として呼ばれた生命なのだから


人が生まれてくるのは偶然でしょうか?この問いはこの世界だけ見ていても答えが出てこないような気がしてしまいます。運命ということについて、様々な人が様々にいろんなことを言いますが、結局はわからない。だからあえて、僕は必然なのだということにしました。とするならば、この世界に生まれてくるあらゆる生命が、祝福されていられるように、そう願わざるを得ません。なぜなら、生きていること自体がすでに難儀なことだからです。生きるということに「つらい体験をする」ということが含まれていると僕は思っています。それを仏教では八苦と呼んでいますね。生苦、老苦、病苦、死苦。さらに四つ付け加えて愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦。人間が生きるということそれ自体にこの苦しみが含まれているとして、さてそれに加えて、さらなる苦しみを世界に産む必要があるでしょうか?小さなことで言えば、職場で敢えてきつく人にあたること、言わなくてもいい余計な一言をいうこと、自分の心の内側で永遠と人の悪口を言うこと、自分はダメな人間だと自分に言い続けること、YouTubeのコメント欄に罵詈雑言を書き込むこと、Twitterでクソリプを投げつけること、わざわざする必要がありますか?僕はしなくていいと思います。生きるということ自体が大変なことなのに、もっと大変にする必要があるでしょうか?そんなことしなくたって、人生はそれ自体が大変です。「苦労は買ってでもしなさい」という言葉があります。そしてその言葉を曲解してわざと人にきついことを言って苦痛を生み出す人がいます。「苦労は買ってでもしなさい」というのは、他者が命令することではありませんし、不必要に吹きかけるものでもありません。そうなってしまうのが人生だということでしかないと僕は思うのです。この世界に怒りや苦しみを新たにつくり出そうとなんてしなくていいのです。そうではなくて、生きること自体の苦しみをともに助け合うことのほうがずっと大切ではないでしょうか。そんなふうに思えたら、生まれくる命に、祝福を込めて、この世界にようこそと言えないでしょうか?僕はそういう世界を望んでいます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?