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偈頌:誰かへの癒し

自分のことじゃなくて

誰かのことを祈るとき

気づけば自分も癒やされている

自分すら大事にできないと思っていた

もうそんな自分じゃないんだと気づいた



人はどこまでも自己中心的であるさみしい自分を発見することがあります。どんな決断も最終的には自分を守るため、他の人ではなくて、あくまで自分のため。人は結局はみんな自己中心的ななんだよ、みたいに開き直って殻に閉じこもろうとします。でも、それでも、なぜかそんなふうに生きていると、どんどん自分が嫌いになっていきます。自分を守ろうとしているはずなのに、当の本人は全然自分のその姿勢に納得してないのです。人間の弱さとは、結局は自分を守ろうとしてしまうこと、いやそれだけではありません。そういう生き方をしてもちっとも自分は楽しくならないということ、他との関わりに開かれないと、自分というものが豊かにならないというそのことではないかと思います。だから、1日のほんの数分でいいのです。誰かのために、自分ではない何かのために、祈るのです。自分ばかり優先する自分を少しだけ誰かに譲るのです。なぜかそうすると、自分という存在がより大事にできるような気がしてきます。それは自己中心的になるということではなくて、大事にできるという感覚になるのです。次第に、周りに本当に大切にされている他者の他者としての自分も発見できるようになります。自分は誰かにとっての大事な誰かだと気づけるようになるのです。そうなったとき、自分を優先するだけでは決して得られない癒しの時間がきます。この癒し、祈るということが何なのか、身体を通して、自分を通して次第にわかるようになります。

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