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偈頌:受け入れること

喉と心臓を不愉快に刺すもの

今の私にとって それは異物

だけどだんだんと私になる

トゲがとれて やわらかくなって

この身体を 巡っていく



自分にとって不愉快な事実も場合によっては受け入れなければならないこともあります。それはあまりいい気分にはなりません。痛みも伴うし不愉快だと思います。しかしながら、どんなに不愉快な事実であっても人は次第にそのことを消化して受け入れていくことができるようになるはずだという気持ちを込めてこれを書きました。
消化とは、食べ物だけではないですが、要約すると、自分とは異なったものが自分になることです。食事を取るとはそういうことです。しかも食事だけでなく、それ以外のものもたくさん食べています。言葉やその場の空気や感情を食べていると言っていい。もちろんあまり自分のこころの栄養にならないものは摂取しないほうがよいのですが、食べ物と一緒で自分にとってはあまり良いとは思えないものでも栄養価の高いものもあります。あらゆる食べ物が異物のはずなのですが、自分があまり好きではないものはなおさら異物として認識してしまう。不愉快だけれど受け入れなければならない事実も同じですね。
特に人と深く関わる経験をすれば、そのような事実に嫌というほど向き合わなければならなくなり、嫌というほど突きつけられてしまいます。けれどもそれは必ずしも悪い経験ではないはずです。その異物のトゲが取れてやわらかくなるのと同時に、自分自身もやわらかく変容する経験となります。痛みや不快感を伴いながら人は大事なことを受容していくということもあると思います。

「言うことは簡単ですが、行うのは難しい」いやいやそんなことはないのです。時間が経てば消化されるのです。そういうふうに少し楽に構えてもいいのではないかと思っています。

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