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自分の成功のための反論

最近、受験の季節になりふと思った。
「成功したいなんて思うから不幸になるって言ってるけど、それ受験生にも言えるのか?」と。
結論。
「言える」

そもそも私は目標を立てることを悪いこととは思っていない。
悪いのは「成功」とされるだけの目標を立ててしまうことだ。つまり、届きそうのない目標設定は、私にとっては悪になる。

そういうほうが燃える、とか、実際そのほうが目標達成しやすいとかいう人もいるかもしれないが、私には無理だ。

目標を立てるならまず、より工程の少ないものを選び、達成することを積み重ねるようにしたい。

たとえば東京から京都に旅行に行く、という目標を立てようとする。
各駅停車で行こうとしたらどれだけかかるだろう。やる気をなくさないだろうか。
でも、新幹線を使うなら数時間じゃないだろうか。少なくともステップは減らせるから、楽なはずだ。

行動の習慣化(続けること)には、やらなければいけないことを減らすほうがよいらしい(やめるときは逆をする)。
そう考えると、ステップが多い目標は続けにくいと思っても無理はない。

成功の話に戻すと、成功者の成功体験には苦労話が多い。「苦労しないと成功できない」というのは呪いじゃないだろうか。
私は、成功は「苦労しないでできることの積み重ね」だと思う。

だから私が、私の成功のために目標設定するなら、まずワンステップで達成できることから始める。
というか、そのワンステップを時間をかけて探すかもしれない。いや、時間もかけない。やり方を知ってる人に聞くだろう。

自分で編み出すのは時間がかかりすぎる。どうせ続かない。

成功体験ではなく、目標達成に向けた便利な方法を探したい。それはつまり、相手の成功をなぞるためではなく、自分の成功(目標)を自らに近づけるためだ。

元々の受験の話に戻せば、例えば志望校の判定が絶望的なら、私だったらそこは諦める。
もちろん、簡単に諦められないだろうが、そもそも、志望校に通うことも、その先にある目標に近づくための手段だろう。
なりたい自分の姿に近づくための手段のひとつが受験だとすれば、よほどそこまで到達するルートが限られていないなら、他の方法を探せばいいと思う。

より少ないステップで効果的にと考えると、藤井さんのような将棋のプロの一手が理想だと思う。
実際には無理だが少なくとも定石は知ることができる。

本当にそのルートしかないのか?
そのルートが無理だったら次どうするか考えないのか?

もちろんそこで犯罪に手を染めるのは間違っている。ルールから外れないところで色々やってみる。省エネで。

東大に合格しなくても負け犬ではないだろう。自分にできるところから積み重ねていくしかない。

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