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可能性の話
「もし宝くじが当たったらどうしますか?」
この妄想は楽しい。
「もしあなたの親しい人が余命宣告されたらどうしますか?」
この妄想は苦しい。
「もし同じ人生をやり直せるとしたら、どういう人生にしたいですか?」
この妄想は苦しいし楽しい。微妙。
妄想するのは基本的に楽しい。
だが、現実性が無いことを心配するのは健康的だろうか?
私の知り合いで、プログラマーを目指す50代の人(障害者)がいたが、プログラミングはスクールで習っただけ(経験者とは言えない)、私とともに事務職に就くための訓練を受けていた、という状況の人だった。
50代、未経験、事務職の訓練・・・それでプログラマーを目指す?
個人的には就職できないのではないか、と感じてしまった。
50代は今までの経験から自分の選択肢を狭めて考えないといけないと思う。
少なくとも、未経験の分野に転職ができるとは思えない。
もちろん、何かしら過去の職歴が有利に働くならその限りではないが。
しかしプログラマーへの転職に有利な環境ではなく、事務職への転職に有利な環境に身を置いていた。あまり自分の状況に自覚的ではなかった気がする。
たぶん転職できないんじゃないかなーと思っていた。
実際、かなり苦労していたようだ。結果はわからないが。
私が言いたいことは、「可能性はゼロじゃないけど、まずそれに近づかないことには可能性は上がらないでしょ」ということだ。
よく、可能性は無限大、とか言うけど「動かないと可能性のままなんだよなー」と思う。
人生の現実として、可能性は上げることが出来るが、それは、その可能性を選んだ、ということになる。
例えば、「おやつは300円まで」
個人的にはわくわくするフレーズだが、それは300円で買えるもの(可能性)がたくさんあって、かつその中から選ぶ楽しみがあるからだ。
だがしかし、駄菓子ではない「BIGサイズポテトチップス」とかだとそれ一つしか買えないかもしれない。
可能性は、選んで、そのルートを進んでいく必要がある。
上記だと駄菓子ルートとパーティスナックルートとでも言うのだろうか。
駄菓子を交換し合う楽しみを選ぶのか、みんなで同じものをつつき合う楽しみを選ぶのか、それが重要だ。
そして更に重要なのは、「300円まで」という限界を超えた可能性は選択できないということ(実際にはまあズルして買えるだろうが)。
可能性は無限大!というのは、完全に状況を度外視して、ゼロベースで考えてのこと。
何かを選択した時点で、状況は進んでいる。その中の選択肢しか選べないのだ。
仮にゼロベースで考えるのなら、選択肢のやり直しをすることになる。
それは「300円まで」という前提を覆すところから始まる。かなり苦労することになるだろう。
話が脱線した気がするが何が言いたいのかというと、「可能性は、選んだら基本、戻せない。選んだルートでどんどんその先の選択肢(可能性)は狭まっていく」ということだ。
だからこそ、「自分が選んだルートは何なのか」「夢や目標を現実に近づけるのはどちらの選択肢なのか」を把握することが大事だ。
もちろん、選択肢は戻せないとは言ったが、途中で戻って選択をやり直すことは出来るには出来る。ただ、それは時間やそれまで進んだ状況を失うことを意味する。
だから「最後までやり切ろう!」みたいな本が流行っている気がする。
私がこれまで得た経験のなかで思うことは、「まず選択肢をシミュレーションすること」が大事だということだ。
どっちの選択肢のほうがマシだろう?と想像することだ。
妄想とのニュアンスの違いは、妄想は実現する可能性がめちゃくちゃ低いことだ。
もしくは、どのタイミングに入れればいいかわからないこと。つまり偶然起こること。
偶然起こることについてはまた気が向いたら考えることにしたい。
選択すること(選択肢を狭めること、特定の可能性に近づくこと)は、自分にとって必然でないといけない。
「もし同じ人生をやり直せるとしたら、どういう人生にしたいですか?」
私だったら、「次も同じ人生を選択するだろう」と言いたい。そのために、今の人生をシミュレーションして少しでもマシなものにしていきたい。
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