#53 72時間カレーを作り続けたときのこと
連綿と続いてきた人類の歴史。カレーの火を絶やすな。
カレーは、我々ヒトを利用して繁殖しているに違いない。そうとしか思えない時がときどきある。果物が美味しいのは動物に捕食されて種を運んでもらい繁殖の機会を増やすためだ、と聞いたことがある。同様に、カレーが美味しいのはヒトに捕食されて繁殖の機会を増やすためなんだろう。
もし宇宙人が地球に来たら、地球上で一番繁栄しているのはカレーで、ヒトはその奴隷としてせっせとカレーを作り出していると思うだろう。
カレーはそれ自体で繁殖する能力を持たないので、ヒトを利用して自らを作らせ、繁殖しているのだ。
いうなれば、カレーはウイルスのようなものかもしれない。カレーはレシピや動画などの情報の中に潜み、人知れずヒトに「感染」している。それが何かの拍子に「発症」してしまうとそのヒトは脳をカレーに侵されてしまいカレーを一生作り続けることになる。
今回は、そんな病気のやつらが72時間カレーを作り続けたときの話である。
時は2020年の年末、カレーシェアハウス「東京マサラ部室」ではカレー力の強化と上記の仮説検証のため3日間カレーを作り続けることとなった。
3日間というと72時間ある。長い。以前、24時間カレーを作り続けたことがあったが単純に考えてその3倍の時間ということになる。秒で言うと259200秒。
この時間をどう過ごすか。72時間で72カレーを作ればよいことにしたが、デカルトが言うようにまず困難は分割しよう。6時間を1タームとして数え、その中で6カレーを作ればよいということにする。
前回は24時間で50のカレーを作るという無理難題に挑戦したため、どうしてもひとつひとつのカレーの質が疎かになっていた。そこで今回は「ICETサイクル」の概念を導入することで、時間をかけながら一つ一つのカレーに丁寧に向き合うことを目指す。
「ICETサイクル」とは、カレー作りにおけるそれぞれのフェーズを定義し、その頭文字から一文字取って名付けたものだ。基本的には各タームの中に各フェーズが1.5時間ずつあることになる。
▼ICETサイクルの流れ
I...IMAGE 情報を集め、作るカレーの完成形を想像し、レシピを固める。
C...COOK カレーを実際に作る。
E...EAT カレーを実際に食べる。
T...THINK カレーを食べた後に反省点や改善点などを考える。
毎回のターム内で、ICETのうちどこにいるのか、現在のフェーズを確認しながら進めていく。
▼進め方
「COOKER(発症者)」はそのテーマに沿ってカレーをIMAGEしてレシピリサーチをし、実際に4人前の分量をCOOKする。食べる専門である「EATER(感染者)」(発症していないだけで、潜在的に多くの人はすでにカレーに感染している)はEATフェーズから参加する。食べた後にはカレーに対するフィードバックを与え、感想や反省点、改善点などをTHINKする。
用意された食材の中から好きなものを各々ピックアップしてカレーを作っていく。
感染対策をしながらのため人数も制限され厳しい闘いとなったが、72時間を最後まで完走することができた。このタイミングで、この企画を一度振り返ってみたいと思う。
マガジン購読者限定で、企画最中のノートや裏事情を見られる『72時間カレーウラ』という記事も公開しています。
https://note.com/philosophycurry/n/n83f3a52bd11d
各タームでは、カレーの着想を得るためにそれぞれ四字熟語のテーマが与えられる。各々それに沿ったカレーを6種類作り、ひとつのターリーを作り上げる。
全12タームのテーマとスケジュールの一覧は次の通りである。
#1 四面楚歌(12/29 12:00〜18:00)
四面楚歌という故事成語は「まわりすべてが敵や反対者で、孤立した状態のこと。味方や賛同者がひとりもなく、周囲から非難を浴びるさま。」というような意味で使われる。
この言葉をカレーで表現する。表現しつつもターリーとしての完成度はある程度維持したいため、全体としてバランスが取れるように豆担当、肉担当、ベジ担当などをざっくりと決め、6種類のカレーが出来上がった。
四面楚歌という絶望的な状況をイメージして作られたカレーが多かったが、割と普通にまとまってしまった。特にキウイのカレーの酸味はチャトニ的な役割を果たし、他と混ぜながら食べると美味しい。
#1四面楚歌ターリー
不可触(ダリット)ベジクルマ
苦渋辛酸Diye Murgi
ほっとラムキーマ
見せかけの怒り 4種のダル
キウイ全面キウイカレー
島唐アチャールの島唐抜き
不可触(ダリット)ベジクルマはどの食材を使うか考えているうちに肉や豆が先に使われてしまい、その時点ですでに四面楚歌な状況。他の人が使ったにんじんの皮やキウイの皮など、クズ部分のみを使いベジクルマに仕上げてみたが味はわりと普通にクルマ。
苦渋辛酸Diye Murgiはベンガル料理の青唐辛子のチキンカレーをヒントに、すりおろし生ターメリックの苦味、人参の葉っぱの渋み、青唐辛子の辛味、レモンの酸味を使うことで四面性を持つように味付けした。ギーの香りが漂いつつ、後味にターメリックの香りが抜ける。
見せかけの怒り4種のダルはチリを4種類使うことで四面性と怒りを再現した。しかし食べてみるとそれほど辛くはなく、四面楚歌の状況においても見せかけの感情に心を任せるのではなく冷静に考えてみた方が良いことを示している。
キウイ全面キウイカレーは、キウイの酸味が立つようにスパイスを控えめに使い、チャトニとラッサムの中間のようなテクスチャーに仕上げられた。表に立つというよりは、サブ的に混ぜて美味しいカレーである。
ほっとラムキーマは、四面楚歌という状況に陥り絶望するとき、実は今までずっと張り詰めていた肩の荷が下りることもあるのではないかという気持ちを表している。
島唐アチャールは、そのときたまたま持っていたコーレグースを使って玉ねぎをアチャールにした。辛味とアルコール感がキリッとしまった四面楚歌の味。
四面楚歌という言葉から着想した各々の死生観がカレーに表現され、最初から趣深いタームとなった。
#2 赤青黄緑(12/29 18:00〜24:00)
第2タームではカレーの着想を助けるくじ引きツールが導入され、食材×調理法×味付けを決定した上でテーマに沿ったカレーを考えることになった。
テーマは四字熟語ではないが赤青黄緑ということに決まった。色彩のバランスを意識しつつ、JKが好きそうなカラフルな見栄えの「カラフル映えターリー」を目指した。
紅芯大根はほんとうに紅い。
赤、黄色、ピンク、緑、青、白をそれぞれのカレーで表現し、ワンプレートの上で同居させるという方針。
#2赤青黄緑ターリー
チリンゴあんこうわるわる
茄子煮ちゃとに
ヨーグルトちきん
おじいちゃんパクチー
白子ぷっとぅ
紅心くーぽた
赤:チリンゴあんこうわるわるはあんこう鍋セットを贅沢に使用。チリで赤みを出し、赤いリンゴをすりおろしてマリネし、衣をつけて揚げ焼きにしたもの。甘辛く仕上がっている。
青:茄子煮チャトニは青担当だったが、よく考えたら茄子が鮮やかな青色になるのは漬物にしたときなのであまり青くはなかった。
黄:ヨーグルトチキンは発酵・漬・辛という制限が与えられた上で黄色い仕上がりを目指した。
緑:パクチーもりもりは、にんにくスライスが大量に使われた、ブロッコリーパクチーがたくさん入ったベトナムのおじいちゃんが好きそうなカレー。
白:白子プットゥはタラの白子を下処理して、南インドのプットゥのように炒めた。白さを出すためにターメリックチリを使わず青唐辛子で辛味を出し、サッと炒め合わせて完成。
ピンク:紅心くーぽたはクートゥとポタージュの融合。紅芯大根を使い甘い優しい味わいに仕上げた。ディルとオリーブオイルをトッピングして見た目も鮮やか。
可愛さを目指して銀のターリー皿を使わず、あえて白い皿に盛り付けた。色彩のバランスを意識したが可愛くなったのかはよくわからないまま。JKは果たしてこんなものが好きなのだろうか。
#3 一刀両断(12/30 00:00)
前のタームが早く終わったため、今回はIMAGEのフェーズが長めに確保された。夕食と夜食が終わり、仮眠を取る前の朝食用のターリーは、一刀両断ターリーとなった。
一刀両断は「物事を思い切って処理するたとえ。また、物事をためらわずにきっぱり決断するたとえ。一刀のもとに物を真っ二つに断ち切る意から。「一刀」はひとたび太刀を振り下ろす意」である。
漠然としすぎてイメージはしづらかったが、ためらわずにきっぱりとメニューを決めた結果ひとつのターリーが出来上がった。
すべてカトリに入れるよりも、直おきでターリーに乗せるアイテムがある方がそれっぽい見た目に仕上がる。
#3一刀両断ターリー
LittiChorkha
半熟卵を一刀両断
バタルミルクスープ
Guguni
鯖(両断)
朝のキャベツナ
LittiChorkhaはビハール州などで食べられているストリートフードで、Littiがチャパティの生地をこねて丸め、中に詰め物をして焼いたもの。Chokraはトマトや茹でたじゃがいも、焼いた茄子など色々な材料をつぶして混ぜ合わせたもので、ほぼボッタのような味。LittiChorkhaという名前で両方セットで食べられる。一刀両断すると断面はこんな感じ。かなり口の中の水分が持っていかれる。
網でじっくり焼いていく
半熟卵を一刀両断アチャールは、レモンピックルのレシピを応用してめちゃくちゃしょっぱいアチャールに仕上がった。一刀両断すると半熟の黄身がとろりと出てくる。
バタルミルクスープはヨーグルトを溶かしながらひよこ豆の粉でとろみを付け、スパイスをテンパリングして香り高く仕上げた酸味とスパイス感のあるスープ。レシピは一刀両断、思い切って決断した。
Guguniはビハール、オリッサなど東インド周辺やバングラデシュなどで食べられているスナックの一種で、レシピにもバリエーションがあるがこのときはじゃがいもとチャナを使ってみた。朝食向きの優しい味。
マチェルジョルは『ベンガル料理はおいしい』のレシピを参考に、鯖を一刀両断して作られた。
朝のキャベツナはキャベツをざっくり一刀両断してあり、さっぱりとした感じ。ごはんと味噌汁と一緒にいただきたいような、和食にも通ずる仕上がりとなった。
あらゆるものを一刀両断したターリー。深夜テンションに陥り作っている時おかしくなっていたが、朝食にふさわしいアイテムが揃っていたように思う。
#4 表裏一体(12/30 6:00〜12:00)
ある場所では正義とされる行いが別の土地では悪とされるように、カレーに正しさなどは存在せず、あるカレーに対して相対的に位置関係が決まるだけなのかもしれない。また、あらゆるカレーには対になるカレーが存在し、2つのカレーがセットになることで初めて1つのカレーと呼べるのかもしれない。
このタームでは表裏一体となるカレーが3セット生み出された。対義語のようなカレーもあれば相補的な関係のカレーもあり、真反対のようでいてむしろ好相性であったりもする。
#4表裏一体ターリー
かつおと大根のみそ汁
塩大根ダール
グレービーでカレーを語る世界観の人が作ったカレー
具材(カリ)でカレーを語る世界観の人が作ったカレー
カレーの片割れ(光)
カレーの片割れ(闇)
例えば、同じ大根という食材があったとして日本の私(あなた)とインドのあなた(私)では違うアプローチを取る。味噌汁が表だとしたら、対の概念として裏側にあるのはダールかもしれない。
グレービーでカレーを語る世界観の人が作ったカレーは、具がまったくなく玉ねぎトマトを中心としたグレイビーだけで完結したカレーで、これこそがカレーだと信じる人にとってはカレーだ。反対に、具材でカレーを語る世界観の人の作ったカレーは、具材の存在感が大きく、蒸し上げた人参や蕪に申し訳程度にグレイビーが乗っているだけだがグレイビーがやたら美味しく、結局なんだかんだ言ってカレーはグレイビーということなのかと思えた。
相補的に、ひとつのカレーの材料を2つに分けて作ってみたらどうなるだろうと思い試してみたのがカレーの片割れ(光)とカレーの片割れ(闇)だ。
4人分のチキンカレーの材料を用意し、油と玉ねぎは共通の材料として使い、材料を2つに分けた。
光のカレーの方はにんにく、ターメリック、コリアンダー、シナモンカルダモン、ヨーグルトを使用し、闇のカレーはクローブ、生姜、チリ、クミン、トマトを使用。
闇と光それぞれ単体でも食べられるが、混ぜることでまた一つのカレーが完成する。しかしそれはもともと一つのカレーとなることを目指して作ったときものとは違う仕上がりとなる。これは、表裏一体のカレーと言えるのではないか。
テーマについて考えすぎて、哲学的かつ実験的な、メッセージ性の強いカレーが並んだ。
表裏一体ターリーは、全12タームの中でも神回と言えよう。
#5 永劫回帰(12/30 12:00〜18:00)
カレーは死んだ。
現代に、絶対的に信じられる、一生すがりついていられるようなカレーなどもはや存在しないのだ。素晴らしいカレーとはどのようなカレーのことだろうか。すべてのカレーを愛することは、どのカレーも愛していないことと同等なのではないか?俺は歪んでいるのでで、自分の好きなカレーを一生懸命エコヒイキしたい。いくらカレーの懐が深いとはいえ、本当にどんなカレーも最高なんだろうか?延々と繰り返す相対主義に陥ってしまった世の中を論駁したい。
そしてダンスのできる神だけを、俺は信じるだろう。
#5 永劫回帰ターリー
サンバルツァラトゥストラ
ループラッサム
シーフードRe:Mix
foreverチキン
infinityマトン
生きていてよかったベジ
永劫にずっと食べていられるカレーはあるだろうか?自分にとってはかつて恵比寿で間借り営業をされていたあしたの箱の、シャバシャバシンプルな手羽元チキンカレーだった。あの味を目指して作ったforeverチキンはそれとは似ても似つかないものだった。同様にinfinityマトンも米がinfinityに必要になってしまうようなマトンを目指して作られた。
ループラッサムも、延々とループ(おかわり)したくなるようなラッサムを目指した。シーフードRe:Mixは味噌バターにさらに鰹出汁を重ね、ボディ強めでシーフードミックスをリミックスしたカレー。
永劫回帰といえばニーチェ、ニーチェといえばツァラトゥストラなので、ゾロアスター教徒つながりでパールシーの料理ダンサクを魔改造してサンバル仕立てにしたものがサンバルツァラトゥストラである。
そして最後に、すべてのカレーは相対的であるというニヒリズムに陥ったとき、絶対的な生の肯定をするための生きていてよかったベジ。
カレーを食べて、生きていてよかったと思えるならばそれは幸せ。
人生はやり直せないが、何回この人生を繰り返してもいいと言い切れるほど、カレーを絶対的に肯定しよう。
#6 呉越同舟(12/30 18:00〜24:00)
敵同士でも、同じターリー皿の上では協力しあうこともあるだろう。
呉越同舟とは「仲の悪い者同士が同じ場所や境遇にいること。また、仲の悪い者同士が一緒に行動すること。さらに、仲の悪い者同士が反目しながらも、当面の難局を切り抜けるために協力し合うこと」という意味で使われる。
ということで今回はパキスタン料理とバングラデシュ料理を同じ舟(ターリー)の上に同居させてみた。いわばバンパキ同皿。どちらが呉でどちらが越なのかはわからないが...。
#6呉越同舟ターリー
ハジビリヤニ
チキンカッチビリヤニ
ニラミシュ
チャナカレー
えびしらすボッタ
インパキ風ゴビカレー
パキスタン風のビリヤニはマリネした立派なチキンレッグに茹でた米を重ね一緒に蒸し上げるカッチ式を作った。
バングラデシュのビリヤニはチニグラ米を使用し、オールドダッカで食べたハジビリヤニ風のビリヤニとした。チニグラの扱いは難しく、一回失敗しかけたものの36時間カレーを作り続けていたおかげでカレーの気持ちがわかってきており、なんとかリカバリーすることに成功した。
副菜たちもバンパキ両陣営に分かれる。バングラデシュ側の陣営はハテドラチングリボッタ(えびしらすボッタ)とニラミシュ(野菜のスパイス炒め)。
対するパキスタン陣営は、ギーで仕上げたチャナのカレーとインパキ料理店っぽいゴビ(カリフラワー)のカレーとなった。
両者は同じターリー皿の上に同居し、最終的にはすべてきれいに平らげられた。
72時間カレー合宿もやっと折り返し地点を迎え、このときには完全にテンションがおかしくなっていた。このときの流行語は「カレーの気持ちがわかる」
#7 大器晩成(12/31 00:00〜6:00)
大きな偉大な人物は大成するのに長い年月を要するように、うまいカレーは出来上がるまでに長時間がかかるのではないか。そういう仮説(都市伝説)は巷に溢れている。「〇〇時間煮込んだカレー」という言葉だけで宣伝文句になるのは、そう信じている人がたくさんいるからである。
第7タームでは完成までに時間がかかる、もしくは大きい器を使って料理するような大器晩成型のカレーを6種類作ってみた。
#7大器晩成ターリー
パヤ
チャナ
牛すじ欧風カレー
豆腐とパニールティッカ
油田(パンのアチャール)
チキンカラヒ
折返し地点も過ぎて午前0時から6時という魔の時間帯にさしかかり、自分以外の発症者が完全に睡眠に入ってしまい、実際は4:30頃まで一人でひたすらカレーを作り続ける孤立無援状態だった。
深夜の一人っきりのキッチンで、俺は一体何をやっているんだろう...と思いながらも、近隣のネパール食材店で買ってきた羊の脚をよく煮込みパキスタン風のパヤを作り、予め水に漬けておいたチャナを炒め、野菜を足して煮こんだ。それから大きい器(インド鍋)を使ってチキンカラヒを炒め、牛すじを2時間以上煮込み欧風カレーを作った。
さらにチャートマサラの効いたパニールティッカと豆腐ティッカが焼かれ、油に漬けてから焼いた油田のようなブン・パロタを食べた。もはや駄目になった脳と疲れた胃袋に、ガソリンのようなカレー達が染みた。
もう何時間ここでこうしているんだろうか。時空が大きく軋みながら、朝日と共に大晦日の始まる音がした。
ガソリンスタンドのように存分に給油ができる朝食で2020年最後の日は始まった。
この頃から生み出されたカレー達が全く消費しきれなくなり、Twitterで里親を募集していた。
カレーは人間を利用して繁殖している。
#8 水天一碧(12/31 6:00〜12:00)
第8タームは大晦日らしく、原価を無視したシーフードターリーの回となった。この頃になると発症者たちはよどみなくカレーを作るようになり、規定の時間よりかなり早くカレー達が出来上がるようになっていた。
水天一碧とは、晴れ渡った遠い海上などの、水の色と空の色とがひと続きになっている様子を表す。
#8水天一碧シーフードターリー
かき酒アチャール
ベンガル風ぶり大根
いかすみスクイットモイリーwithoutいかすみ
スーピータコ
苦いカリア
かにみそヴェプドゥ
今回は食材ボトムアップ方式でそれぞれのカレーが組み立てられ、それぞれの人格がカレーに反映されていることがよくわかった。
牡蠣酒アチャールは紹興酒に漬け込んだ中華風のアチャールで、酒好き、中華好き、脂っこいもの好きなことが伝わってくる。
カリアはベンガルの魚カレー。メカジキを使用したのだが、このときはホールスパイスを入れすぎてかなり苦くなってしまった。カシューナッツの代わりにクルミを入れることで更に苦味が倍増。スパイスというものは基本的に苦いもので、植物が身を守るために生み出した毒であるということがよくわかる。同様にベンガル風ぶり大根も、ベンガル料理に着想を得て大根と魚を炊き合わせたもの。
モイリーはケーララのココナッツミルクと魚介の料理。いかすみスクイットモイリーwithoutいかすみはイカを使って仕上げたが、カオスなキッチン内でいつのまにか墨袋が行方不明になってしまったのでいかすみ抜き。
スーピータコはタマリンドとレモンを使ってダブルで酸味を際立たせつつシャバシャバに仕上げたタコのカレー。
ヴェプドゥはタミルの炒め蒸し料理。大晦日らしくカニを使ってみたが、恐ろしく歩留まりが悪い。カニ味噌をグレイビーに溶かし込むことで濃厚なカニ味に仕上がった。
原価率が一番高かったターリー。魚介類を使うため全体的に油の量が少なく、疲れた胃にはありがたかった。
#9 菜食健美(12/31 12:00〜18:00)
カレーは何故かインド人を呼び寄せる。どこから聞きつけたのかわからないが、「カレー作りまくってるんですか?」といきなり電話がかかってきて急遽マハラシュトラ州出身の友達が参加してくれた。暇だったんだろうな。
第9ターリーはベジタリアンターリー。菜食健美は「ベジタリアン料理を食べると健やかで美しくなる」という意味。全体的に軽やかな料理が中心となった。
#9 菜食健美ターリー
ディルサーグ
アルゴビ
コカムラッサム
ゴビサンバル
揚げタピオカ
レモンライス
サーグはネパール料理などでよく食べられている青菜だが、ディルと一緒に炒めて食べることもあるという。
ゴビはカリフラワーのことで、インド料理では多用される。インド料理を食べていなければカリフラワーの美味しさには目覚めなかったかもしれない、と語る人は多い。そんなカリフラワーは「畑に生えた肉」と呼ばれることがあるが、ゴビサンバルはカリフラワーを使った肉肉しいサンバルである。
コカムはマラバールタマリンドとも呼ばれ、マハラシュトラ沿岸部やマンガロールなどで使われることが多い、スモーキーな香りを持つ酸っぱい果実である。コカムラッサムはマンガロールなどでよく食べられていて、一昨年の旅行のときに出会ったものを思い出して再現してみた。
レモンライスは軽やかな香ばしさと酸味を持つ、バスマティの炒めご飯。
揚げタピオカは別名サブダナワダと呼ばれ、タピオカとじゃがいもをベースに生地を作って揚げたもの。
南インド料理っぽいものが多かったが、とてもカルカッタ。
インド人の友達は「すごく美味しかった。普通じゃない味だった」と評してくれた。(どう受け止めればいいのか)
#10 五臓六腑(12/31 18:00〜24:00)
冷凍庫に、脳みそが余っていた。
比喩ではない。ハラルマートで買った羊の脳みそである。サイズ感はかなり小さいのであるが、調べてみると人間の脳みそと構造的にはほぼ同じらしい。
「水槽の中の脳」
脳以外にも内臓肉のミックス(ブトゥンはネパール語?)、チキンレバー、砂肝などの食材がたくさん余っていたため、2020年最後のターリーは五臓六腑ターリーということに。結果として内臓肉を使ったカレーばかりのターリーとなった。まあ、酒に合うおつまみ盛り合わせセットですね。
#10 五臓六腑ターリー
ブレインマサラ
レバーマリネ
ブトゥンコフタ
チェティナードギザード
ビーフブトゥン
ブトゥングレイビー
ブレインマサラは、ターメリックを入れたお湯で脳を下処理してから出来上がったグレイビーに入れ、あまり加熱しすぎないようにする。見た目以上に味に癖がなく食べやすい。
レバーマリネはチキンレバーを血抜きしてからスパイスやGGでマリネした後にセミドライに仕上げられた。
ブトゥンコフタ。ミックスブトゥンは内臓の詰め合わせであるが、ネパール語だろうか。スパイスを入れながらフードプロセッサーでひき肉にし、ハンバーグ状に焼いてみた。タンなどが混ざっていてコリコリとして意外とおいしい。ミントリーフを臭み消しに大量に練り込んでいる。
砂肝のチェティナード風ギザードは、砂肝をヨーグルト、スパイス、パウダースパイスの半量でマリネし、玉ねぎ、トマトスパイスのベースと合わせたもの。
ビーフブトゥンは牛の白モツミックスを2回茹でこぼししてからグレイビータイプに。ブトゥングレイビーはコフタに使ったものの半分を使って、赤み旨味をしっかり際立たせて仕上げた。
内臓肉はどうしても同じような方向性になってしまい、差異化がしにくいと感じた。ターリーとして一食を完結させるのは厳しい。
リビングにはいままで増殖したヒストリカルカレー達が一同に会した。
#11 謹賀新年(1/1 00:00〜6:00)
あけましておめでとうございます。
66時間このような営みを続けてきて、2021年最初に食べたものはこの謹賀新年ターリーでした。
#11 謹賀新年ターリー
Nagpur チキンカリー
栗きんとんフェイク
数の子アチャール(失敗)
Sabudana Kichdi
Vatarappam
Kheer
チキンカレーはNagpur出身のインド人の友達が即興で作ってくれた。ピーナッツをペーストにして入れてあり、グルーヴ感が素晴らしい。以前この友達の家にお邪魔したときにもチキンカレーを作ってくれたのだがそれが本当に美味しかった。レシピはコチラ。
お正月ということで甘くした牛乳とカルダモン、ココナッツミルクでお米を炊いた甘い牛乳粥、Kheerも。ブッダが断食の修行の後にスジャータに差し入れられたという粥がこのキールらしい。
栗きんとんフェイクは、栗とかぼちゃのボッタを無理やり栗きんとんっぽくしたもの。甘い仕上がりのためマスタードオイルが合わない。
数の子アチャールは塩抜きをしないといけない数の子をそのまま使ったためしょっぱくなりすぎて失敗した。魚卵はインド、マンガロールでも食べるらしい。
Sabudana Kichdiはインドでは断食をしたあとにによく食べるもので、タピオカを水で戻してポテトなどと一緒に炒めたもの。スパイスも少なく、消化に優しい。
スイーツがかぶってしまったが、Vatarappamはスリランカのココナッツプリンで、茶碗蒸しのような食感に仕上がった。
インド人はやはりスパイスネイティブだけあって、レシピを全く見ていなかった。彼らが即興で作った料理は、どうしようもなく現地感にあふれていた。
#12 Final Thali(1/1 6:00〜12:00)
72時間カレーを食べ続け、ファイナルタームでついに発症者がでた。いままでカレーを食べるだけだった人が、家にたまたまあった初心者向けのスパイスキットを使って、初めてのカレー作りに挑戦したのである。
人生で初めてスパイスを使って作ったファーストチキンカレー。
カレーにはやはり人格が出る。人によって材料の切り方も玉ねぎの炒め方も違う。変数がたくさんあるので、材料が同じでもまったく違う仕上がりになるのである。だからカレーはやめられない。
そんなこんなで迎えた最終回。おつかれさまでした。
#12 Final Thali
Final Poha
Final Daal
Final Sabji
Final Achaar
First Chicken Curry
Final Chicken Curry
この終わりは、まだまだ始まりに過ぎない。
72時間を走り抜けて
混乱を極めた2020年が終わろうとするさなか、72時間カレーを作り続けるという後にも先にもないだろう経験をした。現のような夢のような、旅のような暮らしのような72時間だった。
それぞれのカレーに個性があったし、人の作ったカレーや思考を通して毎回新たな発見があった。言いたいことはカレーで言う、というような世界観は近年大きなうねりとして表れてきているように思う。
こんなことに何の意味があるのだろうか、という素朴な問いがあるかもしれない。
いや、そもそも人生に意味なんて必要だろうか。普段、周りのことに意味を求めすぎてやいないか。なにかの目的に向けて手段となる時間を延々と過ごしているだけで、それ自体を目的とした時間を過ごしてはいないのではないだろうか。
カレーを作ること自体を目的とした、空っぽになれるカレー作りの時間は、とても豊かな時間である。
カレーと向き合い、カレーで己を満たすのだ。
Special Thanks
関わってくれた発症者の皆さん、食べ専の皆さん、カレーの里親になってくれた皆さん、ありがとうございました。
こんなことはもう一生やらないと思いますが、やってみてよかったです。
裏話はこちらの購読者マガジンに書いています。