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壊すための素焼きチャイカップを焼いてきた:カレー哲学の視点(22/02/19〜22/02/25)

いつも踏み外さないように歩いていたって、あらゆるところに沼がある。

壊すためのチャイカップを焼いてきたレポ

土の香りのするうつわ

チャイカップを割るためにはまずは作るところから始めなければならないので、熱海の窯に行ってきた。

ヒンドゥー教の聖地であるインドのバラナシや、東インドコルカタでは素焼きのクルハルという器を使ってチャイが飲まれていることがある。いまはプラスチックや紙のカップで代替されてしまったが、素焼きの器は土の香りが付与されるうえに唇へのあたりもよくなるのだ。

ターメリックや牛糞燃料などもそうだが、インド人は土の香りがするものを実に好むという。インドの大地への信仰というか、土地との精神的結びつきは強い。素焼きの器や鍋はネパールやケーララ、スリランカなどでもよくみられる。そういう器の観点からインド料理を見ても面白いかもしれない。

京都のwatte chaiさんで実際に割ってきたときのレポートはこちら。


熱海の窯にて

粘土を必要な分量とる。

まずは粘土を丸める。なんだかこの球の状態には非常に既視感があるね。

ろくろは重い石でできており、慣性で回り続ける。


まずは粘土の塊の中心に指で穴を開け、器の形を少しずつ作る。陶芸は人生最後の趣味と言われるが、簡単に見えるものほど難しい。チャパティ作りが捏ねる禅と言われているように、陶芸もまた禅なのだ。

薄くしようとしてもなかなか言うことを聞かないし、触り続けていると次第に粘土が手の熱で乾いてひびわれてくる。チャパティを捏ね続けて鍛えられたと思っていたが、まったく応用が聞かなかった。

名人の作る動きを見るとまったく無駄がない。まるで頭の中に完成形がすでにあり、それをそのまま取り出してみているだけのようにも見える。途中の工程で無駄がないし、一切の寄り道をしていない。ただ、その裏にはどれだけの経験と無駄にしてきた時間があるんだろうか。その人がいままで何をしてきたのか想像もせずに、才能があるだとか体力があるとか生まれが恵まれているとかで済ませちゃいけないね。

カレーも同じだ。最終的な完成が約束されたカレーはどの時点を切ってもすでに完成している。それは頭の中にあるカレーを取り出すだけの作業だ。

べつに正解はない。リカバリーや回り道をした無骨な器だってそれはそれで美しいと思う。しかし、リーンで無駄がなくソツがないカレーにつきまとう一抹のつまらなさというものだってある。欠点ばかりのカレーのほうが愛せるじゃないか。

一発で完成させられない素人は、こうやって削り取る作業で形を近づけていく。カレーもちょこちょこ最後に味を整えようとしていじっているとどんどんわけがわからなくなるように、器も形が崩れていく。


レトリックは豊富だ、だがロジックはない

知り合いの自称アーティストが以前言っていた。カレーも陶芸も音楽も合気道も、それぞれがひとつの言語である。ロジックがあって流れがあって、必要性の上でその美しさは自ずと決まってくる。

大事なのはただ真似をすることではなくて、考え方の根幹の部分を自分で掴むこと。人は何も教わることはできない。スクラップ&ビルド、創造と破壊のサイクルを短期間でいかにこなせるか、しかないのだと。

確かにそうだと思ったが、そいつは全くロジカルではなかったな。
午前中に器はだいたい仕上がり、昼食にはそれぞれが持ち寄ったカレーを一皿に盛り付けて食べた。

マトンヤクニプラオ、ダヒベイガン、ダール、鮭ハラスマスタード、サグ、キーマなど。

器は使ってもなくならないのに、カレーは食べたらなくなってしまう。どんなに丹精こめて作ったカレーでも、食べるとなくなってしまうのは不思議なことだ。

縄文土器のような器ができあがった。見ているのと実際につくることでは全く違っていて、どんなに手直しをしても不格好なものしかできなかった。それでもこれは自分の作品だし、いまの自分のレベルをまっすぐに反映していると思った。

素焼きにしないものは釉薬をかけて焼く。釉薬には金属が含まれており、花火のように色が変わる。例えば、鉄が多く含まれているものだと赤っぽくなったり。窯の温度や成分によって仕上がりは変わってくるため、仕上がりの感じはコントロールが難しい領域なのだという。

物心ついた時にはこの世に放擲されたあとだったが、世界というのは最初から完成しているものだと思っていた。何かを作るようになってから、この世界は思ったよりもめちゃくちゃで、どこまで行っても完成なんてものはないと気づいた。

沼はあらゆるところに仕掛けられている。というよりはカレーの言語を学ぶことで自分の中にある沼が深まっていくようだ。


小田原のダルバート

熱海までいくこともあまりないので帰りは小田原で寄り道してダルバートを食べた。

居酒屋を改造したような店内。チキンカレーはマスタードが効いており、ポエティックで面白いカレーだった。

ネパール料理屋なのだが毎週のようにイベントの日があり、南インド料理やビリヤニなども出しているようだ。
ヤンベンという地衣類を使ったライ・リンブーのポークカレーを出していたこともあったが、このときは食べられなかった。

こんにちは! 今日も20時までのノンストップ営業です。 テイクアウトも出来ます。 写真は豚肉とネパールのコケの炒め物です。 本日のおすすめワンプレートにも付きます。 今日も宜しくお願いします。 #yangben #小田原カレー #小田原グルメ #湘南グルメ #箱根グルメ #ネパール料理 #インドカレー #インド料理 #nepalifood #limbufood

Posted by ママパパタンドリー&ダイニング on Wednesday, September 8, 2021

ジャウについては、詳しくはこちら。


今度は時間とコストをかけて出来上がったカップを割るための会も開催する。手間をかけて作ったものをわざわざぶち壊すことは、一体どんな気分なのだろうか。

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