ビリヤニゼミ開催/うそビリヤニをつくる/セントラルビリヤニ工場:カレー哲学の視点(21/8/1〜8/7)
ビリヤニの夏、八月。八月になってからビリヤニばかり作っている。最近急速に知名度が上昇している気がするが、わかりやすく言えばビリヤニは「スパイシーな炊き込みごはん」である。とはいえその説明にも少し違和感がある。確かにビリヤニは炊き込みご飯だし米料理なのだが、ムスリムの文化圏におけるビリヤニは明らかに「肉料理」である。米はもちろんもりもり食べるのだが、あくまで肉が主役であってそのおいしさを吸い取っているのが米、みたいな。(プラオみたいなビリヤニとか野菜のビリヤニとか例外はいくらでもあるんだけど、グルーヴの中心はあくまで肉だぜ、という程度の話。)
ビリヤニゼミ開催
8月から東京マサラ部室はビリヤニ月間に突入した。
ビリヤニは広く深い。定義に関してもたくさんあり、調べてみただけでもこのような様々な立場があった。まあ、当事者でない日本人だからこそこうやって面白がって俯瞰して見れるのである。南アジアの人にとったら自分の暮らしの中にあるものこそがビリヤニであり、それ以外はビリヤニではない。
・ビリヤニなどない。ビリヤニはみんなの心のなかにある(ビリヤニ唯心論)
・ハイデラバードのものしかビリヤニではなく、その他のものはすべてプラオ(ハイデラ過激派)
・層状に重ねてダムするものがビリヤニである(ダム・レイヤー至上主義)
・ローズウォーター、ケウラーなどエッセンスで香り付けをするのがビリヤニである(香りビリヤニ説)
・ビリヤニは単体で食事として完結するが、何かと合わせて食べるのはプラオである(ビリヤニ豪華主義説)
・出汁やスープで炊くものはすべてビリヤニではなくプラオである。(逆プラオ説)
「作る人がビリヤニといえばビリヤニ」だとか「作る人と食べる人それぞれがビリヤニと認めればビリヤニ」みたいなのはただのトートロジーであって、何も説明していないに等しいと思う。
まあ別にビリヤニの定義はどうでもいいんだけど、とりあえずここでは「米に対して肉などの具材が多く、スパイシーで香り高く、ダムで調理し、単品で完結する料理」を「典型的なビリヤニ」として考えている。これはそこにあてはまらないビリヤニを排除したいわけではなくて、ヒンドゥー式炊き込みビリヤニも含めて、全てのビリヤニをゆるやかなビリヤニファミリーとして考えたいというだけのことだ。
改めてビリヤニのことを調べ始めたら止まらなくなって、とりあえず8月中毎日作れるように東京マサラ部室のホワイトボードに31ビリヤニ書き出しておいた。ビリヤニは幅も広ければ深さもすごい。カレーが宇宙なのと同様、ビリヤニもかなりの宇宙である。
8月は「ビリヤニゼミ」と称して、参加希望者でLINEグループを作ってビリヤニについて知見を共有し合う活動をしている。2日の夜はキックオフとしてオンラインミーティングを実施した。
アジェンダはこんな感じで、資料は購読者パートで公開している。
ビリヤニ作りは孤独な戦いだが、知見を共有し合うことでずっと抱えていた疑問が氷解したり、自分では思いつかなかったソリューションが得られたりなどする。
正直、ビリヤニの生産に対して消費が追いついていない今日このごろである。あと、ビリヤニを毎日食べ続けるのは結構きつい。人生は毎日がハレの日ではないのだ。晴れヤニと地味ヤニを交互に作るような工夫が必要かもしれない。
うそビリヤニをつくる
ホントを作ってしまうから偽物が生まれてしまう。正義の味方がいるから悪の組織が生まれてしまう。正義の味方はいつも怒ってばかりで、他人のあら捜しばかりしている。悪の組織の方がみんなで夢に向かって努力しており、正義の味方は友達がいなさそう。やつらは誰かの野望を打ち砕くことだけが存在意義だ。ああ、正しさとはなんとくだらないものだろうか。ちなみに、ビリヤニの話だ。
ほんとのビリヤニってなんなんだろう。
日本にたくさんあるナンカレーを出すインド・ネパール料理店にもビリヤニが置いてあることはある。しかし、日本米を余りのカレーと炒めているような、実質カレーチャーハンというパターンが多い。ビリヤニの知名度がないこと、米の入手性やオペレーションなどを考えてそうなっているのだと思う。
近所のお店でも、ビリヤニという名前でクミンと唐辛子、香味野菜を油で炒めたあとにカリフォルニア米を炒め、そこに余りのチキンカレーとマトンカレー、野菜カレーを合わせたものが出てきた。
美味しいんだけど、ビリヤニと呼ばれるのはやはり違和感が残る。こういうビリヤニを巷ではうそビリヤニと呼ぶようだ。
そういううそビリヤニについて考える時に最初に思い浮かぶのが、新高円寺のサラムナマステというお店である。
お店ではバスマティを使って炊き込むほんとビリヤニを出したいけど、大量にできてしまうのにあまり売れないし、炊きたてでないと美味しくなくなってしまう。それならば余りのカレーも活用でき、入手しやすい日本の米を使って少量ずつ作れるうそビリヤニをビリヤニと言い張って出すというのがそういうお店の苦肉の妥協点だったのだろう。
だが、あえて言おう。うそビリヤニも美味しい。お店で余り物を寄せ集めたサルベージレシピではなく、はじめからうそビリヤニを作ることに最適化されたレシピで作ったものは、ジャンクでパンチが有り、たまに食べる分には美味しいと思う。(それはビリヤニと呼ぶことはいまだ違和感があるが、うそビリヤニという呼び方はあまり好きではない)
オーバースパイス気味にチキンカレーを作る。ジンジャーガーリックペーストやチリ、パプリカ、油と塩をキツめにして派手な仕上がりを目指す。ごはんがべちゃらないよう、水分は飛ばし気味にする。
香味野菜と油を炒めた後、中華鍋で固めに炊いた日本米を炒め、カレーを合わせる。カレーを入れたら混ぜる程度で仕上げる。
ムラコアツァール、散らしコリアンダーリーフなどと一緒に食べる。塩辛く、パンチが効いていて、汗が吹き出す。
灼熱の東京で激辛の食事をし汗を書いた後、激甘で熱々のチャイを飲みくだせば、なんだかつまらない気分でも全てが一掃されるような清々しさがある。
セントラルビリヤニ工場
そういえば以前、インドのハイデラバードに行って3日間で30ビリヤニくらいを食べたことがあったけど、あの街ではビリヤニが生活の中に溶け込んでいて本当に素敵だった。道行くキッズたちに聞くと、みんな喜んで「今日の晩ごはんはビリヤニだぜ!!!」って教えてくれたし。
チャールミナールの近くにあるカフェではビリヤニを作っていなかった。12時になるとどこからともなく鍋いっぱい、熱々のでかいビリヤニが運ばれてくる。ハイデラバードの街のどこかにビリヤニの巨大セントラル工場があるらしいのだ。たまにそのことを考える。毎日毎日、バカでかいデーグ(鍋)で大量のマトンビリヤニが生産され、ハイデラバードの街のビリヤニ需要を支えている。いったいそこでは、一度に何食分のビリヤニが作られているんだろう。ビリヤニ職人はもはやビリヤニを作り続けることに何の感情も抱いていなく、インド人特有の濃くて険しい顔で黙々と鍋をかき回したりしているんだろうな。
そのお店で作っているわけではないが、そこのビリヤニは頑固一徹塩ラーメンな感じでとても美味しかった。
ほんとにこうやってビリヤニが運ばれてくる
東京産のゴーヤがとれました。
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うそビリヤニレシピ
このレシピを参考にしました。がんばれば40分くらいで完成します。
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