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ハーバリウムの裏側

次はこの曲について書きます。記事執筆時点で5.2万回以上再生されており、とてもありがたいです。

さて、制作裏話ですが、この曲はなんとなく生まれました。


これで終わると悲しいので詳しく説明します。

以前制作して、YouTubeにアップロードして200回ほどの再生数を得られていたにも関わらず削除してしまった「月夜の水族館」というインスト曲をアレンジしたものがこの曲です。(以前の曲に愛着を感じていた方がいましたら申し訳ないです)。

「ハーバリウム」となるのに明確な意図があった訳ではなく、久々に聴いてみたら質が低いと感じたため、いかに楽曲のクオリティを上げていくかということを追求しているうちにこの音源となりました。

映像は、写真アプリを見返していたらなんだか使えそうな桜の動画を見つけたので、フィルターをかけたり光を調整したりして遊んでいるうちに水に沈めたような雰囲気になり、スローにしたところいい感じの雰囲気になったのでこうなりました。

スマホで見るとちょうど画面全体に映し出され、そこに収まっている桜の様子がまるで本物のハーバリウムを手に取っているようだったので、それをそのまま曲名に。

元となった動画は↓です

こうしてみると雰囲気ぶち壊しレベルで大分変わることがわかります。人間もメイクアップやファッションで別人のように変化することができ、そしてそれをはずした時に強烈な衝撃を受けることがありますが、これもそれと似たようなものだと感じました。

冒頭で「なんかできた」とお伝えした通り、なんかたまたまできたのがこの曲です。そのためここまでの反響をいただいたのにはかなり驚きました(Google広告を打ちはしましたが)。

沢山の方に届いていることはもちろん嬉しいのですが、この曲が完成するにあたって特に何も悩むことなくスッとできたので、これよりも遥かに苦労して作った曲が全然伸びていないことを思うと、芸術ってほとんど何もコントロールできないし(これは僕の力量不足であることを願う)、難しいなぁと。

受け取る側は「それがいかにして作られたか」を意識して使用することはあまりないと思いますし、同じ人であっても、製品やサービスの形態によってどこまで背景を考察するのかは変わると思います。
例えばスマホの仕組みを考えたことがある人はそこまで多くないかもしれませんが、しかし好きなアーティストの性格やその裏側といったものを追求する人は多いでしょう。

受け取る側のことを「消費者」と呼んだり「ファン」と呼んだりしますが、僕も自分で曲を作り始めてようやく真面目にこれら区分について考え始めたことをよく覚えています。

そんなこんなで曲の解説というより、いつのまにか現代社会について思うことを書いていました。

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