「成功したから正しい」という論理:闘病生活11日め:日誌(令和二年十二月十三日)1216日目
概要:総合得点5(可判定※体調不良)。良質な休日を楽しんだ。記録開始から1216日目
1:00に起きたものの、すぐに寝付くことが出来て、5:01まで眠ることができた。睡眠の質はきわめて良好。この調子が続くことを願う。
日目標は「休日」とする。
午後は外出して食料を調達してきた。具合は小康状態か。数日この状態が続くのであれば研究に耐えられるまでに回復したとみなしてもよかろう。文献学的研究には莫大なエネルギーを必要とするので十分に回復するまで安静にすべきである。
考えたこと
・ビジネス啓蒙書に共通する「成功したから正しい=正しいから成功した」という図式の思考は本質を履き違えており、わたしはそうした言説には興味がない。
本人の資質と目的に対して適切な時期に適切な行動をとれる人が正しく、かつ成功するのであって、それは人・立場・状況によって異なる。
成功者の成功体験を追体験しそれにすがろうとする大衆の心理は子供だましを信じる素朴さでしかない。
つまり自分の頭で思考するというプロセスをショートカットしているだけであり、努力を避けたいだけである。知識人としての条件を欠くといえる。
・直接的な利害によって施行する大衆には間接的な利害関係(大局観ともいえる)を把握しそれに基づいて思考することは困難である。それゆえに知識人はマイノリティであることを強いられている。大衆との直接的な利害対立について学知に基づいて批判することは知識人としての責務であるが、わかることばを選ぶのも知識人の使命である。ただしこのことは思考の水準を大衆に合わせて落とすという意味ではない。
総評
基礎研究0/総合得点5(可判定※体調不良)
体調が比較的よかったこともあり、良質な休日であった。
令和二年十二月十三日 枯野屋 しるす
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?