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R6/6/23 日曜日(慰霊の日)

おはようございます♪
部屋の窓を開けて空を見る!
雲☁️の動きをずっと見ていたくなる空です。
気持ちいい日曜日の朝ですが?
あー!もうお昼過ぎているので、こんにちは♪ですね!笑

今日は沖縄戦から79年となる慰霊の日。
毎年この日は12時に黙祷を捧げる。

私の祖父
見た事もない祖父も沖縄戦で戦死しています。
28歳でした。
私の母が1歳、叔母が0歳だったと聞いている。
祖母は戦後、1人で母と叔母を育てた。
実家に2人を預けて出稼ぎに出ていたと聞いている。
小学生の頃、慰霊の日の前になると、学校で作文を書かされた。戦争を体験した人から話しを聞いて書くと言う課題。
私はいつも祖母に聞いていた。おばあちゃん、戦争って?どうだったの??と聞いた。
2人を連れて必死で逃げた事、食べ物がなく途方に暮れた事、防空壕の中で身を寄せ合って隠れていた事、あの時、小学生の私は正直、ピンとこなかったよ。
祖母からの話しで今でも覚えている事がある。
私が、「おばあちゃん、おじいちゃんが戦争で亡くなって、1人で母ちゃんとおばちゃんを育てたけど??
他の人と再婚しようとは思わなかったの?」と聞いた。祖母は「おじいちゃんがかわいそうだからだよ」と。おじいちゃんの事を考えると他の人と一緒になる事は考えられなかったと。
小さいながらに、胸が痛かった。
祖母はおじいちゃんを愛していたんだな?と。
23歳と24歳で結婚して、なかなか子供ができなかったが?戦争の1年前に母が生まれ、祖父は母をとても可愛がっていたと。仕事から帰ると母を抱えて村中を歩いていたと。
祖父はその当時では珍しく車の免許も持っておりお茶の行商をしていてバリバリ働く青年だったらしい。村の人の憧れの的だったらしい😊
写真で見る祖父はハンサムでかっこいい人だ。

祖父です!あの時代に撮った写真は貴重です。

祖父が戦死せず、生きていたら?母ちゃんと叔母はいい暮らしをしていただろうと言っていた。
母ちゃんと叔母は父親の事はもちろん覚えていない。
2人がいつも話しをしていたのは、お父さんがいなくても、おばあちゃんが愛情いっぱいで育ててくれたから寂しくなかったよと。
母ちゃんと叔母ちゃんが寂しくない様に育ててくれたおばあちゃんには感謝しかない!
優しい人だったからね??私はちゃんと覚えているよ!

戦争で人々の暮らしが変わり、激動な時期を経験した人達も、少なくなって来ています。
私達が、できること。戦争の悲惨さを忘れてはいけない。次の世代にも伝えていかないといけない。
いつまでも平和が続く事を願っています。


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#平和の礎
#戦争がない世界
#毎年この日は心が痛い
#おじいちゃんおばあちゃんに会いたい
#母ちゃんにも会いたい
#創作大賞2024
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