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声、に思うこと

855回目です。φです。

Twitterに実装されたSPACEのおかげで、人の声をたくさん聴くようになりました。今までだと文字だけでしかその人を知らなかったのに、肉声を知るだけで随分と印象が変わる。

面白いですね、声は人の一部でしかないのに、それでもその人らしさを十分に伝える。これが電話の発明に至って、今でも残っている理由なのかもしれません。

声、は声だけを伝えるものじゃない。そう思います。

声につけられる感情だったり、アクセントだったり。話し方だって、その人らしさが出る。さらに2者間や複数人との話だったら、どのタイミングで話し始めるかとか、どう相槌を打つかとか。反応、だとか。

まぁひとりの声を聴くときだって、それなりに伝わる。どのタイミングで何を言うかとかでも、その人の思考の一部がちらりと見えたり。

知っている人が、急に身近になる気分です。相手が話しているだけで、自分とのコミュニケーションがないとしても、それでも相手が分かるってすごいなぁ、なんて思います。

こんな声なんだ。と思うとき、相手をより深く知ることができているんだなぁと思うと、なんだか感慨深い。

正直なところ、私は人の感情を顔で判断しません。顔をどう見ても、私はよく分からない。だから声に注目しがちだったりする。声って分かりやすいんですよ、ちょっとした音のズレで「何か考えているのかな」とか「感情が動いたな」とか分かりますし。

それが正確に私が受け取っているかは微妙、と言うよりも判断のしようがありませんが…今のところ、大きく外れたことは無い気がします。自己判断ですけどね!

私にとって、人の声は得意なものではありません。高すぎるとか早口だったら私はついていけなくなって、少々自分の能力についてネガティブに思ってしまうこともある。声ほど、私が悩むものはないとも言えます。聴き取れないときの方が多いしね。

けれど、嫌いにはなれないなぁと思う。声があるからこそ分かるものがあって、つながるものがあって。その人らしささえ伝えてくれるのですから。

対面ばかりだったら忘れてしまうけれど、対面で話すことが、出会うことが難しくなってしまった今だからこそ”声”の大切さに気付く。困難さは新しい発見を与えてくれるんだなぁ、と思います。

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