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「ありがとう」を伝えられているのでしょうか

りあです。相手に感謝を伝えるって、いろんな場面で大事ですよね。ちょっとしたときに「ありがとう」と言葉にするだけで、いろんなことがささやかですが変わってくる。

正直、私は日々「ありがとう」を言いまくっている感があります。「おかげさまであれこれ生きていられます」という気持ちが強いからかもしれない。ひとりじゃすぐに「さよならっ!」なことになってしまうので…(笑)

ひとりで乗り物に乗るのもいまいちできない。必ず駅員さんとか運転手さんとかに「助けてぇぇぇ」状態だし。警察署に入って、警察の人に「地下鉄ってどこから入ったらいいんですか…!」と朝6時前くらいに聞いたこともある。

デパートとかに行くと、とにかく迷う。インフォメーションの人たちには毎度お世話になっているレベル。

まぁそんなこんなで、みなさまのおかげで私は成り立っているわけです。人様の数倍「ありがとう」を言わないと、感謝を伝えられないくらいに。


しょっちゅう「ありがとう」を口にする私ですが、たまーに不審な目で見られる。それはトイレの清掃員の人に「ありがとう」と言ったとき。

私はトイレで清掃員の人を発見すると、大体「きれいにしてくれてありがとうございます~」と声をかける。なぜって、きれいにしてくれているから。

これを言い始めたのがいつかは覚えていない。確か、私が中学生の頃に、先生たちから「清掃の人がいるからこそ、学校がきれいに保たれている」という言葉を聴いてから、だと思う。

「清掃の人に会ったときはお礼を言うように!」ということも、言われた。当時、あの広大な学校を掃除している人たちの存在を知って、「清掃の人、すごい!」と思ったものです。いやはや、脱帽とはこのこと。

私は中高一貫校だったため、中学校と高校は同じ校舎で過ごした。大学も、ほぼエスカレーター式に入学したため、ほぼ同じ場所。つまり、清掃員の人への意識は変わることなく、22歳まで続いた。12歳くらいから中学生だから、10年間。

掃除をしてくれる人には必ず「ありがとう」。私自身が汚していなくても、私が普段使わないような場所であっても。誰かのためにきれいにしてくれている人たちには、「ありがとう」を言ってもおかしくないじゃないですか。

しかしながら、びっくりされるんですよ。清掃してくれている人たちからは。「え!?」みたいな。そんな反応をされるので、思わず私も「え!?」になってしまう。超なぞの空間ができあがります(笑)

周りに人がいないときは、「きれいにしてくださっているな~と思いまして」みたいに説明をする。清掃の人の驚いた顔が笑顔になって、「ご、誤解を解くことができた…!」と正直私は安心します。不審者として認識され続けるのはちょっと嫌なので。

私が10年間通った学校では、感謝を告げることは一般的。「ありがとうございます~」「いいのよ~」みたいな会話は日常茶飯事。たった一言だけれど、お互いに笑顔になれるんですよね。

よくよく考えると、普段目にしない状況だと思う。なにかをしてくれている人に「ありがとう」と言って、相手が返事をする、ということは。お店の人が「ありがとうございました」を言って、お客さんが無言で出ていく…というのは日常茶飯事だけれど。


私たちは、ちゃんと毎日感謝を告げられているのでしょうか。いただいているものを認識して、それに対してお礼を言えているのでしょうか。当たり前、と認識して、なにも告げていないことばかりではないのでしょうか。

どんなことでも、誰かのおかげで成り立っている。彼らの行為を直接目にすることは、きっと少ない。毎日電気が使えるのも、それを行ってくれている人のおかげ。でも多くの人は、彼らの仕事を見ることはありません。

野菜だって、農家さんが作ってくれているおかげ。農家さんが野菜を耕している場面を多くの人は目にしません。だからこそ、「おかげさまで」という気持ちを持ちづらいのかもしれない。

もちろん、毎日感謝を告げられている人もいるだろうとは思う。けれど、もっと多くのことに言葉に出して感謝を伝えてもいいんじゃないかなぁって。

少々えらそうなことを言った気がしますが、なんといいますか…ちゃんと伝えていきたいよね、って思います。

Have a thankful day

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