見出し画像

『ゲーム音楽ディスクガイド』レビュー

遅まきながら、「ゲーム音楽ディスクガイド」を入手することができた。
大変よく出来た本なので、ゲーム音楽マニアのひとりとして、簡単ではあるがレビューなどをしてみたいと思う。

序文から抜粋すると、本書は

ゲーム音楽の歴史に散らばる何万枚ものサントラ盤やアレンジ盤から、これはという名盤たちを「音楽的な」観点から選び抜いた、ありそうでなかったディスクガイド本である。

ということである。

実際、ゲーム音楽(個人的には「ゲームミュージック」という表現が好みなのだが、本書のタイトルに従ってここでは「ゲーム音楽」と記す)と呼ばれる音楽が生まれて40年以上になる(本書によればそうであるらしい)が、ゲーム音楽について著された本や文章の多くはゲームとの関係性を重視したものであって、ある意味それが当然であるとされてきた。実際、「ゲーム音楽はプレイしながら(あるいはプレイ後に)聴いてナンボ」というご意見をお持ちの方はかなりの割合に上るのではあるまいか。それは、言うまでもなくゲーム音楽の存在の起点がゲームそのものにあるからであって、それに触れずにゲーム音楽を語るのは難しい、というかゲームの存在抜きにして語るのがむしろ不自然に思われてきたのが現在までのゲーム音楽レビューの歴史なのである。

だが、本書ではそういったゲーム自体の存在から切り離して、純粋に音楽としてゲーム音楽を紹介している。ゲーム音楽とて音楽であるのだから、それを音楽そのものとして楽しみ、評価することは決して間違ったことではない。だが、上述のような理由や経緯から、そういう観点でゲーム音楽について述べている事例が非常に少なかっただけなのだ。

実を言うと、私はかつてゲーム音楽について評論を行なうブログを運営しており、そこでゲーム音楽を純粋に音楽として評価しようと試みていた時期があった。だが、残念ながら私には音楽的な知識・知見・語彙力が少なかったために、その試みは頓挫してしまった。

そこへ持ってきて、本書の登場である。過去にそういう経緯があったので、本書の目的は私にとっては理想に近いものであり、発売前から期待を抱いていた。そして、私が本書を書店にて探した際に、「ゲーム」の棚を見ても見つからず、「音楽・芸術」の棚でようやく見つけることができたという事実は、ゲーム音楽が他ジャンルと同等の音楽として扱われているという証左であった。発見した時は、ゲーム音楽もようやくここまで来たか、と感慨を深めたものだった。

本書ではサントラ盤やアレンジ盤を950枚取り上げており、かなりのボリュームがある。それら1枚ずつにつき、ジャケットの画像と200~400字程度の短いレビューが記されている。レビューの内容に「このゲームはどうこうでこの場面で流れる曲がどうこうだからいいんです」のようなゲーム寄りの記述はほとんど表れない。収録されている音楽のジャンルや特性、作曲者や歴史的意義等、あくまで音楽アルバムとしての評価が成されている。「ゲーム音楽はゲームの存在あってこそ」と考える方にとっては、ドライな内容で若干寂しく思われるかもしれない。だが、そこには間違いなくゲーム音楽へのリスペクトがある。ゲーム音楽を音楽として愛しているからこそ、語らずにいられない。そんなこだわりに満ちた記述にあふれているところは、非常に好感が持てる。

本書が発売されてからというもの、読者からは「こんなアルバムまで取り上げているのか」といった驚きの声が多く上がっているようである。実際、本書の守備範囲は40年近くゲームとゲーム音楽を追っかけている私のような立場からしても(褒め言葉として)異常と思えるほど広く、ゲームとして成功していたり有名になったりはしていないマイナーなタイトルについても非常に丁寧なフィールドワークがなされている。中にはアルバム化はされていないがゲームのCD-ROMからCD-DAで聴くしかないタイトルのレビューまであり、ここまで来るともはや執念である。著者各位の知見の広さには脱帽するしかない。

ただ、あまりに高密度に情報を詰め込んだせいか、読んでいて不自由に思う箇所もいくつかある。たとえば、索引である。ゲーム音楽を純粋に音楽として評価するというコンセプトのためか、索引で引けるのはほとんどが作曲者名かアーティスト名なのだ。それはそれで必要なことだとは思うのだが、ゲームタイトルごとの索引がないのはゲーム音楽の資料として少々不便なのではあるまいか。要するに、「〇〇というゲームの曲は紹介されているか?」という調べ方ができないのだ。これを知るためには、目次(何となく時系列であったりジャンル別であったりする)の分類でも足りず、ほとんど頭から読み進める以外に方法がない。

頭から読み進めなければならない理由はもうひとつある。それは、レビュー対象になっているアルバムとゲームタイトルが必ずしも1対1対応していないからである。これは、初期のゲーム音楽のアルバムがそういう形式(1つのアルバムに複数のゲームタイトルの音楽が収録されている)であったためしかたがない面もあるのだが、ひとつのゲームタイトル単独でアルバムがリリースされているものがあっても、レビューで取り上げているのが再録盤等の企画もので複数ゲームタイトルと一緒に収録されているものであったりする場合があり、こういう場合どのタイトルが収録されているのかを素早く知ることができないのである。

一例として、メタルブラックを挙げてみよう。メタルブラックはG.S.M.1500シリーズとしてタイトル単独でアルバムがリリースされているのだが、本書ではその再録盤である「『GUN FRONTIER/METAL BLACK/DINO REX』Soundtracks for Digital Generation」がレビュー対象となっており(本書p.41)、そこでメタルブラックの楽曲についての言及がなされているのである。再録盤の方が音質もいいし入手も比較的容易だからという理由もあるのかもしれないが、ゲームタイトルで引くことができないと、こういう場合非常にわかりづらい。
もっとも、本書のコンセプトからすればゲームタイトルとかは関係無しに紹介したいのであろうから、この辺はあまり頓着すべき問題ではないのかもしれない。だが、なまじゲーム音楽沼に足を突っ込んでいる者からすると、資料的な使い方もしたいので、少しでも何とかならなかったろうか、と思うのである。

だが、自らを律する意味でも書くのだが、本書はゲーム音楽マニアが自身のコレクションと見比べて喜ぶためのいわゆる「おっさんホイホイ」的に用いられるべきではない。せっかくこれだけの情報が音楽レビューとして示されているのであるから、過去作品については温故知新、未知のジャンルの作品については開拓するための足ががりとして、興味の幅を拡げてより広く深くゲーム音楽を知るために存分に活用したいところである。たとえアルバムとしての入手が困難であっても、YouTubeでゲームタイトルを検索すれば様々な曲を聴くことができる(著作権的には多々問題もあろうが)。本書を片手に「まだこんなにも聴くべきゲーム音楽があったのか!」とわくわくしながらゲーム音楽の世界を堪能したいものである。

最後に、ひとつだけ気になった記述があったので、それについて記しておく。それは、本書p.96で田中"hally"治久氏がGダライアスのサントラについて述べたレビューである。非常に示唆に富む文章なので、失礼ながら全文を抜粋して紹介したい。

小倉は音源が大きく進化していく中で「ゲーム音楽とは何か」をもう一度問い直し「これが受け容れられなければゲーム音楽はもうダメだ」との覚悟で自身の『ダライアス』最終形態を送り出した。メロディを後景化し、濃密な音響とメタリックなビートが支配する異形のテクノ・シンフォニーは、今聴いても挑戦的極まりなくユニークさも申し分ない。果たしてそれは好評を博したが、本作の精神を受け継ぐ音楽が未だ何処にも存在しないのは何故だろうか。この意味を考えたい。

ゲーム音楽のひとつの理想は、他のどの音楽ジャンルとしても分類できず、「ゲーム音楽」としか呼べないような存在になることである。そして、Gダライアスの楽曲はある意味その理想に到達していると私は思う。だが、その理想へと到達せんとする試みは、私が知る限り非常に少ない。ゲーム音楽は、はたしてどこへ向かうのか。本書で紹介された作品の多くがそうであるように、他の音楽ジャンルのキメラとなってアイデンティティを確立できぬままに終わるのか、あるいはGダライアスがそれを目指したように、新たなジャンルとしての地位を獲得することができるのか。田中氏の問いは、ゲーム音楽を作る者、ゲーム音楽を聴く者、すべてに投げかけられている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?