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夢七夜

 
 とめどなくイメージや言葉があふれ出てくるので、
 幾らかを書きつけておこうとおもう。

 映画について。ミニシアターについて。映画をめぐる人々と言葉について。 

 きのう3日目を終えた、全国18館のミニシアター連携企画『現代アートハウス入門 ネオクラシックをめぐる七夜』。
 (公式HP: https://arthouse-guide.jp/#theater


 第1夜が『ミツバチのささやき』で、第2夜が『動くな、死ね、甦れ!』。濱口竜介や三宅唱、夏帆らが登壇し、1時間単位で喋り倒す。この時点で極私的に神企画だと気づいたのは、不覚にも第2夜が終わったあとのことだった。あまり気に留めていなかったのでチケット発売日を逃し、彼らが登壇する渋谷会場は満席で買えず、だからこの週末は連日3県をまたいで横浜で観た。彼らの語る姿に生で触れられない残念さとは裏腹に、この遠出が案外、とても良かった。
 


 「『ミツバチのささやき』初見時、じつは寝ました。きょうも寝た。そういう、でもすごく良い映画なんです」

 上映後トークで飄々とそう語る濱口竜介の言葉に、彼でもそうなのかと感じた。いやきっとだからこそ、そこを強調するのかもな、と考えた。アート映画などとくくられお高くとまった感に加えて、いかにも退屈そうな長回しの一部を切り抜いた予告動画など観せられても、刺激物で全シーンを充満させたハリウッド大作とは全く違う良さがあるんだよなんて言葉は響かない。

 『ミツバチのささやき』を奥さんに薦めるとき、「寝るかもしれないけれど、いい映画だよ」と言ったという濱口竜介の語りで会場は笑い声に包まれたけれど、映画へのいざないの言葉としてこれは素敵だ。劇場なりリビングなりの暗がりで不意に落ちて、ふと目覚めた瞬間視界を覆う光景に心を掴まれる。その体験の記憶が、あとあと振り返れば一生モノの財産になったりする。 
 たぶん寝るとおもうけど、まずは観てみて。それでいい。
  


 その反面、十代の頃は、映画を観るのもCDを買うのも真剣勝負だった。同級生に同好の士は稀で、ひたすら孤独に上映チラシを精査する日々。PHS全盛期には手元で観れる予告動画さえ存在せず、試聴ブースは売れ筋CDに占拠されていた。動画データがネットに溢れる前夜のこと、限りある小遣いやお年玉の制約と引き換えに異様な集中力が発揮され、観終えた直後はすべてのセリフを脳内再生できたり書き出せたりもした。18歳くらいになって池澤夏樹が同じことを言うのを目にして、みんなそうだったのかと初めて知った。
 そんなに遠い昔ではないはずなのに、太古のように感じられる。だれもが電話番号十数個を、ふつうに暗記していた時代。

 そのようにして、アテネ・フランセでサイレント映画を知った。
 ユーロスペースで『動くな、死ね、甦れ!』を観た。
 衝撃だった。
 
 神戸の街のそこかしこから戦火のような煙柱が立ちのぼり、サリンが撒かれた霞が関の地下鉄出口からスーツ姿の大人たちが担架で運び出される光景を空撮でとらえるブラウン管。捕虜の日本軍兵士が歌うよさこい節を背に展開する、氷土を舐めるように貧しく暮らす子供のささくれだつ佇まい。それらが一緒くたに混ざり合って体験されながら、家と学校とその周辺だけで構成された日常の外側に広がる世界が、絵空事ではないと知る。

 高校を卒業した夏、18歳の終わりにタイ東北地方イサーンの、電気がまだ来ていない村への滞在で、《自分が動かなくては知られない日々と人々》の物量と熱量に圧倒されてぼくの子供時代は終わりを告げた。いま振り返るならそう言えるという話だけれど、まさかその先に反政府デモや爆弾テロやクーデターが襲うバンコク都心で、夜ごとミニシアターやシネコンの暗がりへしけ込む日々が待っているとは想像もしていなかった。現地レベルでの銃撃・爆破事件は日常化し、世界的に報道される規模の市中爆破が起きた現場の向かいの建物で、当日の夜ビール片手に空いた映画館の客席で夜ごと過ごす自分に、不思議と違和感はまったくなかった。そういうことは何度かあった。

 一国の首都に戦車や装甲車が展開し、平時には超渋滞で知られる都心の大交差点にバンカーが構築された。機関銃で武装した迷彩服の兵士たちが立つ真横を歩き抜け映画館へと潜り込む。もう5,6年も前のこと。
 さらにその先で不意に訪れた、感染症が世界を襲い、緊急事態宣言が各国各都市で発令されるなか、『動くな、死ね、甦れ!』をふたたび観る一夜。

 『ミツバチのささやき』をスクリーンで観るのは初めてで、こんなにも画作りに手の込んだ作品だったのかとその鮮やかさに驚かされた。VHSビデオでの初見時は後半寝て、目覚めたとき目に飛び込んできた水面に揺れるフランケンシュタインの顔を鮮明に覚えている。今回も地味に寝かけたけれど、邸宅内を走る女児ふたりが画面手前から奥へ一直線に扉をパタパタ開いていく場面とか、夢のように綺麗だった。夢かもしれない。

 『動くな、死ね、甦れ!』は、'95年の日本初公開時ユーロスペースで同時上映された同監督作と、一部記憶が混濁していることに気づいた。(ヴィターリー・カネフスキー『ぼくら、20世紀の子供たち』) 監督自身がメタ介入したり、純正の劇映画から外れる面白さもそこかしこに具えることは初めて認識したようにおもう。子供の自分は、たぶんもっと素朴に主人公の少年と少女に感情移入する仕方で、物語に熱中していた。

   
 第3夜『トラス・オス・モンテス』は初見。残念ながら隣席が近年頻繁に出現するヘッドバンクおじさんで、映画に集中できなかった。不定期に後頭部を座席の背に叩きつけ続ける衝撃が直に伝わって極めて不快なのだけど、これに限らず日本の映画館で観客のマナーに悩まされることは、ユーロスペースが渋谷南口の桜坂にあった頃よりずっと増えたと感じる。客層が変わったのか、おしなべて日本人が劣化したのか。この両面とも言えるのは、たとえば件のヘッドバンクは老化による首周りの筋肉劣化が原因ゆえと考えられるからだけど、というわけで本編は次回鑑賞機会に期待をつなぐとして、小田香(『鉱 ARAGANE』『セノーテ』)による同窓生&ペドロ・コスタ語りや、ブラガンサの地勢に始まる柳原孝敦のイベリア文化史語りはとても良かった。小田監督、『サタンタンゴ』をサラエボのアートハウス(ミニシアター)で初めて観たあと、そのままタル・ベーラ本人の講義を受けたとか、アツい。
 

 ともあれ。バンコクへ引っ越してからのこの数年で、驚くほど親しい感覚を具えた映像を撮る同世代の作り手が、次々と現れてくる。そのことに嬉しさと深い安堵さえ覚えるのだけれど、その代表格が濱口竜介や三宅唱であったりする。安堵っていうのはあれです、彼らのおかげで自分が映画を撮る道へ進まなかったことへの、謎めいた罪悪感も解消されたっていう肥大したなにかの。夏帆は極私的にヤバい若手俳優リスト筆頭のひとりなので、この意味では第1夜と2夜でユーロスペースに行けなかったのは痛恨だけれど、痛恨の甘受もまたミニシアター=アートハウス通いの醍醐味だし、それと引き換えに得た久々の横浜散策は諸々良かった。シネマ・ジャック&ベティ初体験だったしね。 

 上映後トークで連日聞かされる、主催者からゲストへの「アートハウス」をめぐる質問は上映作とは全く無関係なため余韻が遮断され、ムードを狂わせる企画側のエゴがやや鼻につく(後日注:遊離して聞こえたのは1,2日目だけだった)。とはいえ小田香の上記逸話などが飛び出たのはこの質問あってゆえだし、新型コロナにより逼塞を強いられた業界からの泣訴の表出を感じとらざる得ない点、事態は深刻だなとあらためて。

 18の上映館に含まれる金沢のシネモンドや京都シネマは、ごく短い間だけれど夜ごと通った時期がある。名古屋シネマテークの永吉直之さんのツイッターアカウントは、pherimの映画ツイートをいつも独特のタイミングでRTしてくれるのが印象的だ。沖縄の桜坂劇場は、オンラインで最近知り合った那覇のゲーム仲間から周辺の土地柄など語られたりして、中継会場からの質問時にこれら劇場名が読み上げられるたびむやみにグッときてしまう。一館一館は小規模ながら、これらが養った文化的創発力の奥深さは測り知れない。   
   
 ユーロスペースはなぁ。15,6歳くらいかな、ここでの『ポンヌフの恋人』鑑賞体験とか、ミニシアター体験の原点そのものだった。今月末のイスラーム映画祭も、全作ここで観つづけてもう何年目かっていう。初めの頃は、この映画祭のために一時帰国日程を調整してメッカから遠くへ移動するという。

 などなど、とりとめもなくなってきたけれど、要は君らに人生変えられたんだ、責任とってね、はあと。みたいな。いや自己責任ですけれど。企画の映画配給会社・東風も、もう何度も取材や試写でお世話になってきたし、今回も事前に打診いただければ記事にしたかったなとか。それなら打診もらえるプレゼンスを身につけよって話ではある。というかきのう会場外で東風のIさんと目が合って、軽く会釈してから初めて誰の企画か気になったくらいで、仕事モードを外れたときの弛緩ぶりはバンコクの夜と変わらないのだと発見。きょうあすは所用で行けないのだけど、ユーロスペースが入るキノハウスには行くんだよね。(今夜のエリック・ロメールひとり語りby深田晃司、めっちゃ気になる)

 第6夜『阿賀に生きる』と第7夜『チチカット・フォーリーズ』は、長らく必見リストに入っているのに恥ずかしながらの未見作。(※未見ではなかった。本稿末尾に詳細追記) ってここ「恥ずかしながら」と書いてしまう感性ね、これがよくないのだけど。眠りにいく心地で観とう。にしても想田和弘のワイズマンひとり語り、楽しみすぎる。上映後トークにありがちな20分とかじゃないところ、良すぎるでしょ。あえてついでに言うならせっかくの神講座、30歳以下1200円+先行販売優遇も素敵だけれど、中高生500円とかあって良かった。そのかわりというか豪華ゲストの1時間トーク付きなんだから、生登壇の渋谷など大人2500円↑でも十分満席になるとおもう。(ちなみに上記アテネの淀川長治講義は、中高生300円くらいでした)

 高校生時に『ミツバチのささやき』などを語り合えた数少ないひとりで、それこそユーロスペースへ連れ立った記憶さえ曖昧に残るある友人とは大学時代、三角関係に近いなにかを経て絶縁状態になってしまった。その後彼は財務省からハーバードへ官費留学する一方、己はなおユーロスペースへ通っているのである。どうしてこうなった。十代半ばの自分にこの真実を伝えたら、いったいどう感じるんだろう。喜ぶのか、悲しむのか。

 まぁ、ね。ほんとうはアップリンクや映画秘宝の騒擾などにも、業界の片隅を見聞する異訪人視点から言及するつもりだったけれどやめておく。そんなこんなのミニシアター街道ゆく人生模様の片鱗ひとつ、ふと書きつけてみる朝でした。



> 夢かもしれない。

夢じゃなかった!\(^o^)/


※追記1:↑pherimによる、東大宗教専攻卒でお坊様との対談本も出している想田和弘監督「観察」映画の瞑想的側面を深堀りしたインタビュー記事です。他にない記事、と監督からも後日好評価いただきましてん。

※※追記2:第6夜『阿賀に生きる』はふつうに観てました。川渡しの船頭さんが細分化された風の名を滔々と解説しだす場面(つまり冒頭)で確信されたのだけれど意図せぬ収穫多き再鑑賞となり、落胆よりも遥かに喜び大きく。語られることのない船大工棟梁の心の内とか、今回初めて想い馳せられた気がする。部分的には3度目鑑賞かも。メジャー作なのにタイトルと映像/鑑賞記憶が乖離する謎現象、たまに起こるんですよね。質問も読まれて、お答えは意外なものが飛び出し来おり、嬉しう。

このため最終夜『チチカット・フォーリーズ』も初見でない恐れを感じたのだけれど、ただいま鑑賞して帰宅直後、満喫しました。想田監督のワイズマン語りは予想以上の熱の入りよう。ワイズマンがいなければ映画撮ってなかったレベルでがっつり私淑されてたんですね。きょうはイスラーム映画祭主催の藤本高之さんへのインタビューもして、充実の渋谷滞在になりました。というわけでイスラーム映画祭6目当てに今月末もユーロスペース通い確定。これもまた人生なりよ。


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