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ヤクルトのドラフト指名を振り返ろう vol.1 ~叶わなかった続・黄金期~

どうもフェグリーです、ほぼ今季終了のような雰囲気が漂い始めましたがその裏で編成達は来る23年度のドラフトに向けて奔走しており来季への戦いに向けて着々と動いていると思われます。
FA市場がどうも鈍いNPBにおいてはアマチュアからの補強はMLBのそれよりも影響力が強いと考えられまして、ヤクルトはよく”編成ガー”なんて言われるのを耳にします。
印象ではたしかに思うような活躍ができていない選手が多いような気もしますが、本当にドラフト戦略にすべての責任があるのかを自分も振り返ってみたいというのもありまして今回の記事にて改めて考えてみたいと思います

前置きとしまして、当時の個人成績に関しての指標面はNPB STATSさんhttp://npbstats.com/team/に記載されているデータを用います。主に守備範囲や失策などを総合的に評価した守備得点と打者として平均を100とした際にどれくらい攻撃面で価値を高めたかのWRC+を見ていきます。WARでもよかったのですが、編成面で明確な狂いが出た時のことを語るにはこちらの方が分かりやすかったので

2005年度

<シーズンの総括・黄金期の残り香と新たな芽と>

太字が30試合以上出場
太字が先発10試合、リリーフ20試合以上出場

ヤクルトの黄金期メンバー(01年とする)から選手の入れ替わりが激しくなっていった。特に野手の世代交代が顕著で、青木宣親が首位打者を獲得したり岩村も3割30本と20代の新参者に加えて黄金期の頃より安定感が増してきたラミレス初年度から3割超えのリグスという外国人がチームを引っ張っていった。捕手は40歳の古田敦也がマスクを被り、遊撃も35歳の宮本、外野には真中控えに土橋、鈴木健といったベテランも健在でこの時点ではバランスが良かった。NPB STATS算出の守備指標データによると岩村の守備力はさておき平均以上の遊撃(リーグ平均を0とすると19という異常値)と平均ほどの二塁守備(0.3)で失点を多く防いでおり、どちらかというとWRC+が86と平均を下回る攻撃面を守り勝つことでカバーするチームだったことが伺える
一方で彼らの後窯はセカンドの田中浩康しか計算できない状態と内野手と若手捕手の補強は急務であった。
先発は20代前半の館山、川島亮、石川に170イニングを投げた藤井という大卒カルテットガトームソン、ゴンザレスの外国人コンビが引っ張る陣容。最後に川島亮や館山が故障するも他球団から見ても十分にローテを回せるメンバーであり20代中盤のローテが揃う陣容に対し即戦力系の先発投手の獲得の必要は薄かった
彼らの特徴はほとんどが内野守備を活かしたゴロPでK/9は藤井の0.8が最高と打たせて取ることに長けたメンバーだった。先述の野手陣と非常に相性が良かったことが垣間見える。
しかし高井雄平や山田裕司といった高卒指名選手が全く伸びず現段階のローテに次ぐ若手投手が計算できない状態であり、ローテ投手が若いためこの段階では急ぐ必要はないが石井一久以降まともに育っていない高卒先発投手のデプス増強も優先したい状態であった。
一方のリリーフは石井が盤石も五十嵐が故障で序盤離脱、河端、花田、佐藤賢といった中堅がパッとせず。更に石井が渡米に意欲を持っており直近の事を考えてもリリーフの底上げ待ったなしの危険な陣容であった

<高校ドラフト>
1巡目 村中恭兵(高卒、先)
3巡目 川端慎吾(高卒、内)
4巡目 水野祐希(高卒、捕)

<大・社ドラフト>
希望枠 武内晋一(大卒、内)
3巡目 松井光介(大卒、先中)
4巡目 高木啓充(大卒、先中)
5巡目 飯原誉士(大卒、外)

辻本には及ばずとも高卒左腕ではピカイチの素材の村中指名で次世代ローテの育成に着手したことやアジア選手権で大暴れした若手内野手の川端、打撃に課題も守備力とリーダーシップが評価された水野の指名で極めて妥当な穴埋めを試みたようにうかがえる。また当時は大卒ドラフトが別であり、六大学で内外野をハイレベルでこなしたアベレージ型の武内にオールドルーキーでシュートを使うゴロPで翌年から投入可能な松井、地方リーグで無双していた技巧派高木と若き大砲候補飯原外野手を迎えて堅実に若手野手の補強と似たようなタイプのリリーフ増強を目指していたことが伺えた。
終盤にかけて川島亮や館山の故障が判明して来季不透明になった先発に石井一久、若干物足りないリリーフに高津と木田のMLB復帰組で補うことでドラフトでは補填できなかった個所を実績十分の選手で埋めるというかなり上手い立ち回りができたように映り、黄金期はまたすぐ来ると予感させるオフシーズンとなった、、、はずだった

2006年度

<シーズンの総括・編成の綻びの序章>

太字が30試合以上出場
太字が先発10試合、リリーフ20試合以上出場

若松長期政権が終焉し、古田選手兼任監督が指揮をとった一年目は編成の思惑が崩れ始めた年となった。前年は攻撃得点が大幅なマイナスであったため超攻撃型の野球を目指す陣容で臨んだ野手はラミレスリグスラロッカが大暴れ、青木岩村は相変わらずで攻撃面はWRC+が86→97と増加して昨年度より充実した
一方で守備得点は前年95に対し-4と指標面でも大幅に悪化、守備が軒並み崩壊して投手の足を引っ張る場面が散見された。これは古田が若手に譲る形となった捕手は誰も奮わず、遊撃も36歳の宮本が怪我の影響もあり前年から守備指標を大幅に劣化させたことやラロッカの守乱によるもので、当たり前のように投手陣に悪影響を及ぼすこととなった。
半ば強制的に世代交代を進めたにも関わらずコアの後継は相変わらずの体たらく、期待の新人武内は期待に応えられずと埋めたはずの穴は塞がる気配が見られず引き続き内野手と若手捕手の補強が必要な状態が続いた。
先発は石川と前年加入のガトームソンと補強した石井一久がローテを回すも藤井の絶不調、川島亮の長期離脱といった誤算に前述のファイヤーフォーメーションも相まって元々K/9が低く打たせて取るのが上手かった投手陣全体の防御率が悪化、たった1年で高卒投手の育成などと悠長なことを言ってられなくなりすぐにローテに入れる投手が必要な状態になった。
リリーフはもっと深刻であり、木田や高津が支えたものの石井がWBCでの肩の故障で長期離脱、五十嵐も不調で終盤から長期離脱と計算できたはずのメンバーが二人も抜けたうえに花田と新加入の松井以外は相変わらず不甲斐ない陣容で館山をリリーフで起用することで何とか凌ぐというひっちゃかめっちゃかぶり。先発と同じく球威で押せる投手を補強する必要があり、特に左腕の枯渇が深刻であった。

<高校ドラフト>
1巡目 増渕竜義
2巡目 -----
3巡目 上田剛史
4巡目 山田弘喜

<大・社ドラフト>
希望枠 高市俊
1巡目 -----
2巡目 -----
3巡目 西崎聡
4巡目 衣川篤史

この年はハンカチ世代と騒がれた高卒に有望株が揃う世代で比較的重複が避けられそうで(したんだけどね)将来的に先発リリーフ両睨みが可能な剛腕増渕の指名に成功。手薄になりそうな先発には”東都の浮沈艦”こと高市を指名したが、これには諸々の事情があったとはいえ今のヤクルトには合わない打たせて取る投手の指名となってしまった。西崎もどちらかといえば技巧派で、課題の左腕や即戦力性のある剛腕系や即戦力内野手の指名は見送る結果となった。
この年のオフにMLB挑戦のために退団した岩村、球団と揉めて退団したガトームソンの穴埋めなど到底できておらず、1年で攻守に課題が山積みとなって来季を迎えることとなり不安しかない幕切れとなった

2007年度

<シーズンの総括・崩壊と別れ>


太字が30試合以上出場
太字が先発10試合、リリーフ20試合以上出場

この年はなにもかもが上手くいかない00年代最悪のシーズンと化した。前年度にあえて内野手の指名を見送った理由が古田のボリバレント方針であったことが判明、余剰戦力だった外野から飯原や宮出を始め多くの選手が内外野色々なポジションに挑戦させられた。ラロッカの穴は田中の台頭で最悪の事態は避けられたものの、岩村の穴を塞げる選手など出てくるわけもなく守乱連発でまともに試合にならないわ、リグスがヘルニアで早々に離脱した穴は本来戦力として計算できたはずの武内(や畠山)も永遠に打てないことで更に決壊。相変わらず古田の後釜も全く出てこずでたった2年で捕・一・三で穴が開いてしまう惨状、ケガから復帰した宮本のおかげで守備指標は良化したものの彼も年齢によって守備範囲が狭くなりどう考えても内野の補強が避けられない状況と化した。
投手は前年の守乱から投球スタイルの変更を余儀なくされず多くの投手が不調に陥った。石川が100イニング行かず石井一久も崩壊、川島と藤井も調子を落としたままで浮沈艦は沈み、三振も取れて差し込めたグライシンガー以外はキャリアワーストを更新、そして前年獲得した剛腕タイプの増渕をいきなりローテに入れて4月に高卒をケガで離脱させるというお笑いもかまして駒不足がより深刻なものに陥った。
リリーフも同様に高津や松井が決壊して館山を先発やらリリーフやら盥回しにすることに。五十嵐や石井が戻る目途も立たず正直どこから手を付ければいいか分からない状態と化した

<高校ドラフト>
1巡目 佐藤由規
2巡目 -----
3巡目 山本斉

<大・社ドラフト>
1巡目 加藤幹典
2巡目 -----
3巡目 鬼崎裕司
4巡目 岡本秀寛
5巡目 中尾敏浩
6巡目 三輪正義

当然ながらこの年限りで退団することとなった古田最後の置き土産が当時高卒最高評価の投手佐藤。意中の球団ではなく会見で号泣したのは有名な話だが、あまりに希望がないヤクルト再建に望みを繋いだ指名となった。同時に指名された山本斉も当時評価が高い速球派で高卒投手でチームを底上げするという意思が伝わった
そしてようやく左腕の指名に漕ぎつけ、先発型の六大学のエース級の加藤とリリーフ可能な社会人岡本を指名、前年の反省から本職遊撃の鬼崎、三輪の即戦力の内野手も指名して一気に課題解決に向かおうとした。
しかしこの年のオフは編成が間に合わないほどの悲惨な有様で、ラミレスやグライシンガー、石井という先発2枚と主力打者が退団。とてもドラフトでは補いきれない穴がまた開いてしまい来季があまりにも不安になる幕切れとなった。

2008年度

<シーズンの総括・新たなる船出>

太字が30試合以上出場
太字が先発10試合、リリーフ20試合以上出場

高田政権になり前年度の攻撃的オーダーから一転、まず後継者が全く育たなかった遊撃と数字が悪いリリーフの補強のため藤井を放出し川島や押本を獲得。ラミレスの後は人的保証で加入した福地を起用したり陣容はオフェンスからディフェンスへ大幅に変化した。この年の守備得点は05年に引けを取らない(90点台)陣容で、投手陣にも好影響となった
一方でガイエルが極度の不振、代わりの飯原には長打が出ずようやく出てきた畠山も微妙な数字で武内は守備職人と化す結果で前年度より長打力は大幅に下がりWRCも90に低下、神宮という地の利を生かした大砲の獲得が必要となった。そして捕手は結局誰も台頭せず、引き続き補強ポイントとなった。
投手陣は守備の改善で数字が良化。石川が最優秀防御率、館山が先発固定で復活した一方で、このあたりから05年に交代した外国人スカウトによる投手不足を誤魔化す術だった外国人先発の補強も怪しくなってきた。これに加えて藤井や石井の穴を埋めるはずだった川島は復活せず、高井は失踪、艦隊は沈んだままとここ最近のドラフトが中々実らない
結局中堅連中が使い物にならず成長途上の村中に100イニング投げさせ、故障明けの増渕とルーキー加藤を無理に起用してケガさせる羽目に。守備が改善されたとはいえ三人もローテ投手が抜けた代償は大きすぎる結果となった。
リリーフは先発で鳴かず飛ばずだった松岡、補強した押本、林が大活躍。五十嵐も復帰してなんとか形になるも相変わらず左腕がいない状況に変わりがなかった。

<ドラフト>
1位 赤川克紀
2位 八木亮祐
3位 中村悠平
4位 日高亮
5位 新田玄気

そして運悪くこの年からドラフトが高卒大社問わず併合、今まで取れた将来性と目先の補強の両立が難しくなった
左腕がスカスカな事態に対しヤクルト編成はここでタフネス技巧派の赤川、速球派の八木、その中間の日高の高卒左腕トリオを指名。捕手も高卒の中村を指名して完全に将来性に舵を切ることとなった。一方で課題だった長打力は外国人、捕手はFA補強で相川を補強するなど外部戦力に頼ることとなり、投手陣は目立った補強ができず今まで指名した投手たちの台頭を祈るしかなくなってしまった。なおこの年のオフからスカウトに八重樫が入閣した。

2009年度

<シーズンの総括・奇跡>

太字が30試合以上出場
太字が先発10試合、リリーフ20試合以上出場

高田政権2年目は07年のことを思えば順調なシーズンとなった。野手は相川の加入が最大の補強となった他、宮本が三塁転向で前年比で守備を改善、デントナとガイエルが長打力を発揮し前年の課題の克服に成功した(WRCで見ると微増で91)。最終的にケガ離脱したデントナ以外の全ポジションで規定に到達し久々のAクラスに初のCS進出を果たした。一方でレギュラーが外れた際の代わりが一向に育っておらず、ケガ人が出たら即終了という今季まで引き継がれている悪い流れはこのあたりから蔓延し始めた。
投手は相変わらず石川館山が引っ張るも、それ以降は高卒2年目の由規をフル回転させる必要があるなど慢性的な駒不足。そんな折に怪我が癒えたユウキや遅球使いの高木が出てきたことでなんとか踏ん張ったが、どう考えても即戦力の投手が必要な状態は深刻さを増していった。中堅が相変わらず役に立たず、育成段階の高卒投手を前倒しで起用してはケガや不調で育成に支障をきたしているので、由規もどうなることやら、、、
一方でリリーフは前年の4人が安定した結果を残していた一方で直近で指名したカツオの幻影を追ったかのような即戦力系の投手は全く出番が来ず、リリーフの指名は引き続き必須であった。

<ドラフト>
1位 中沢雅人
2位 山本哲哉
3位 荒木貴裕
4位 平井諒
5位 松井淳

09年度は前年同様に高卒指名を試みるも失敗、ここから打って変わっての即戦力性を重視した指名となった。まずは深刻な左腕不足を社卒の中澤指名で補填、リリーフとして山本を指名して来季から戦える選手を揃えた
また内野には遊撃をハイレベルでこなせると評判の荒木を指名、宮本や川島の後継者問題に引き続き着手した。
下位で高卒のロマン枠平井、長打が魅力の松井を指名し高卒投手たちが順調に戦力になること前提で足りない個所を満たす指名となったが、肝心な高卒は村中増渕が伸び悩んでおり編成の歪みが徐々に現れてきていたのであった

さいごに

以上がいわゆる高卒4人兄弟を指名した00年代後半のドラフトとその背景になります。
ここまで簡潔に纏めますと、編成現場共に岩村の穴を攻守共に軽視しすぎてしまったことが投打の崩壊に繋がっていったように見受けられます。
編成としては4人もローテを任せられる投手がいて外国人も使えるとなったら次世代の投手育成に舵を切るのは当然だと思いますが、その後は現場のニーズと意思疎通が全く取れていないような指名が散見されました。変則か技巧派の指名が多かったものの、カツオですら引きずってしまった守備崩壊を前にしては彼らがなすすべもなくこうなるのも必然だったでしょう。まぁ編成の意図としては無理やりにでも年齢ピラミッドの若いデプスを補充したかったように見えますが
現場も現場で後先考えない高卒投手の起用が結果論ですが後々の高卒4兄弟の伸び悩みに繋がってしまったように見えます。
さて次回からは夢へと続く道すがらの”八重樫ドラフト”を振り返っていきたいと思います。

それではまた

引用画像:

https://npb.jp/bis/players/91095114.html

http://npbstats.com/team/

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