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ネットの悪意について

私が10代だったころ、知り合いの躁鬱みたいな子が自殺した。直接の知り合いではなくて顔見知り程度の人だった。もう十数年前の話で、インターネットもあんまりなかったころの話。その時代にも考えすぎてしまう人はいて、情報量の多さと質は、人の死とは関係ないと思う。

感受性が豊かな人だった。何かが変われば彼女が生き続ける未来もあっただろう。私は助けることも出来なかったし、近くにいた人だって同じだった。同級生で誰かが自殺したみたいな噂もその頃から増えてきた。若くして死と向き合う年代ってのはある。

この仕事をしてからは「死ぬ」とか「死ね」とか当たり前のように口にしたり、何かに書くまくるような子どもも見てきた。親はどうすればいいか分からないって悩んでいて、教員一年目の私も何が何だか分からないけれども、まあ手は打ってみますって感じだった。

他の先生が「死ね」とか書きまくってるメモを見つけたらどうするとかは分からない。いじめとか自殺が問題になっていた時期だったので一応は報告したけれども、私はどこか他人事というか、その子どもを知っているから、そんなに大げさな話ではないという実感があった。それでもやっぱり、深刻に考える人は世の中にたくさんいる。

私は、子どもの言葉に、特に語彙力のない言葉の意味に対して、何か反応することはあまりない。メッセージを発する意図や感情や事情については知りたいと思うけれども、「死ね」とか「死にたい」とかいう言葉に、自分の中にある「死」の定義と同じものを重ねていいかと言われれば、それは違う。所詮は子どもの世界だ。

実際、その子どもとも何度か話すうちにそういう言葉は使わなくなったし、私も保護者とも仲良くできるようになった。子ども自身、ひねくれてる部分は変わらないかもしれないけれども一皮むけてくれたとは思う。別に特別なことは何もしていない。

不満を聞いて、良くなりそうなことを話して、大人になれって話しただけだ。学校の中の多くのトラブルは、最初の話を聞くステップが弱すぎるのが原因になっていることが多い。話を聞くためには、話をしたくなる人でなくてはいけない。話をしたくなる人ってのはつまり、仲間であること、どんなことも受容できるかってこと。許しを請う神様か仏様みたいなやつってこと。

ネット上にある悪意については、きっと身近にそういう人がいない奴らの仕業だと思う。でも彼らを責めたところで浮かび上がるのは世の中に対する不満であって、魑魅魍魎を相手するようなものである。私は別にそういう仕事だから不満はないけれども、そうとは思ってない人が多いのもこういう仕事の悪い所でもある。

多くの人は自分が生活するうえで真っ当に生きていれば、誰かに批判される謂れはない!って思うかもしれない。でも普通に社会生活ができる時点で、同じように頑張っても出来なかったり、頑張れない事情があった人を蹴落とすことで僻み妬み嫉みが浮かび上がるのは当たり前なんだから言われることだってあるだろう。それくらい想像できろよって思う。

The nights are pretty

The nights are prettiest


夜は怖い? 夜は美しい?

これは受け入れられる人にとっては簡単なことなんだけれども、何か悪いことってのは世の中にはあって、何か良いことってのもあるんだけれども、それって別に人によって違うものだから、どう受け取るかは自分の自由。

誰かが何かを皮肉っても、言葉のままで誉め言葉にしてしまえば良いって感じで。負け犬の遠吠えご苦労様です。って感じ。そうやってやり過ごして、ちょっとだけ傷ついたりする人もいる。

私はもっと根本的に違うと言うかポエマーでアーティストだから、全部が音楽みたいな感じなんだよね。不協和音みたいな音って確かにあるけれども、音そのものに何か悪い音ってあるかって言われたら、それは使い方の問題だよねって。それだけの話であって。

誰かを誹謗中傷するためにリプすることって、そりゃ悪いことだし気分は良くない。でもそれはその人にとって、そうするべきことだったから選んだわけだし、そこに責任能力があるかどうかも分かんない。もっと幼稚なのかもしれない。メチャクチャ嫌になって、でも身近な人を傷つけたくないからネットに嫌なことを吐き出しまくって、誰かを殴るのを我慢できたかもしれない。

悪口って、あってはいけないもの?って考えたとき、私は絶対に、そんなことはない。って伝える。言葉が心に繋がっている限り、良くも悪くもなるものだから。我慢できないときだって、何かが犠牲になるときだってある。


だから、大切なものはちゃんと守って。

大切にしたいものは、ちゃんと、大切にしたいって伝えて。

その思いが届かないときは、果てしない旅になるけれども

届きますようにって思いながら、伝え続けなくちゃいけない。


Now it’s all green, oh
(葉が青々と茂る)

Summer’s on the way
(夏はすぐそこだ)

Don’t think twice, no
(考え直しはしない)

Making out of it
(なんとかするだけだ)


悪意はどこにだって存在する。それは誰かが諦めた分だけ、愛されなかった分だけ、分かり合えなかった分だけ、話し合わなかった分だけ、誰かが抱えているものだから。

不景気だってことさ。それは認めたくないんだろうけれども。じゃあ景気良くしようじゃないか。そのためには何が必要かってのは分かっているけれども、それはお互いがけん制し合うから上手くいかないんだろう。

誰かのせいじゃない。みんなが後先、考えないくらい楽しいことができれば政治家がどうとか言わなくたってすむ。でも、そういうことができないから不満がたまって悪意になって、誰かに向けられる。


そういう遊び方しか教わって来なかったから、こんな風になってるんだ。


本当に何かを訴えたいのなら、訴えるべき相手は政治や社会やウイルスや感染者なんかじゃない。あなたのそばにいる人が楽しめることを、あなたが共有できるようになることだ。そばにいる誰かを笑顔にしつづけることだ。そうすれば、あなたが大切にしていることに対して興味を持ってくれる人が増える。扇動なんて必要ない。


そう、インターネットにいらないのは悪口じゃなくって

知りもしない誰かが、何かを扇動させようとする行為そのもの。

それは心を利用するもので、直接的な悪意ですらない。


自分が出したゴミを持ちかえれないようなやつは祭に来てほしくないし、自分のことを語らないやつがネットなんて使って遊ぶんじゃない。そうやって無自覚に子どもの遊び場を減らしていくようなやつがいる。


私は、おまえが、大嫌いだよ。


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