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有名人について

好感度が高い人だ。という広い認識と、
ほんのりとにじむ形容しがたい印象をもつ。
聞くところ一度命が危うかったらしい。
追っている人には有名な話だし、公言もしていた。

作風に色濃く出たが生き方や考え方もだいぶ変わったようだ。
自分が恒久に続くというのは当たり前で、恐ろしく尊いことなのだと実感することはなかなかないものだと思う。

そういったものからくるのか、現在わたしの目に映るその人はなんだか人間ぽくない生き物が人間くさいものに塗れたくてしょうがない行動をとっているような不思議さを持っている。
何かをもう知ってしまったような。

それは知ってる言葉だと、肚が決まってしまった。
というやつなのかもしれない。
なんだかこの世の誰をも妬んでいない、世界を恨んでいないとでもいうのだろうか。形容する言葉が無いのだ。

自分を見て欲しいという激しい思いは変わらない気がするけれど、以前の作品に触れたときの自分はここにいるとか見つけ出して欲しいとかいうのでは無くなったように感じる。

自分はここで生きてる、そちらも生きていてくれてありがとう。よかった、今日も世界が続いてるね。
みたいな。
大きい愛だと言えばそうだし、自分の生きる世界への参加の強要の様な粘ついたものも感じる。

さわやかでカラッとしているはずなのに感じる違和感みたいなものの正体はここなのではと勝手に妄想するが、真実は誰にもわからないな。


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