【寝言】 架空琉球 フランス活用案#1


思い付き

独立国家琉球王国の鉄道や都市を考えたい。
色々なシナリオを考えたが仏領琉球→戦後独立はどうかと思い立った。琉球王国は1609年の琉球侵攻で薩摩による間接支配を受け、1879年の琉球処分で日本に併合された歴史を持つ。そのため、独立国家琉球をやるためには琉球処分を回避しなければならず、琉球処分を回避するにはどこかの段階で薩摩の間接支配から引き離す必要があるが、ここでフランスを活用できないかというのが今回のアイデアだ。具体的には幕末期にフランスが琉球を侵略したうえで併合し、日本との関係を強制的に引き離すことで、琉球処分を回避しようというもの。その後は太平洋戦争期に他の東南アジア植民地と同じく日本に侵略され、最終的には戦後アメリカの支援を受けて独立国家となるという流れが良いだろう。

シナリオを考える

では具体的なシナリオを考えて行こう。タイトルにもある通りこれは寝言なので、虚実の入り混じったぼんやりした話として聞いて頂ければと思う。
間違っても歴史の勉強だと思って聞かないよう注意されたし。

寄港地を求めたフランス

まず、なぜフランスが琉球を侵略するのかというところだが、これは東アジアにおける自国の制海権を確立するためということになるだろう。
幕末期は西欧諸国の帝国主義が発露した時代で、東アジアにおいてその主導権を握ったのはイギリスだった。フランスのアジア進出は革命の影響もあってイギリスに数十年遅れるところの1830年代から始まった。東アジアへの進出で重要になったのは「寄港地」だ。寄港地は自国の軍艦や商船を安全に停泊させ、燃料や船員の食糧を補給するために必要なほか、海軍を駐留させることで周辺一帯に睨みを利かせ、有事の際は軍の出撃拠点になるなど制海権の維持にも極めて重要な施設だった。
しかしフランスが東アジア進出を開始したころには既にイギリスがシンガポールを獲得(1819年)していたほか、重要な地点は中世からこの地域を植民地化していたオランダ(バタヴィア)、ポルトガル(マカオ)、スペイン(マニラ)に押さえられている状況であり、フランスとしては他の列強諸国がまだ手を付けていない地域に寄港地を築き、自国船の安全な航行を保障する必要があったのだ。

主な寄港地と支配国(地理院地図に加筆)

琉球を適地に定める

ところで、中世の頃より西欧諸国が食指を伸ばしていたのは中華だった。当時の王朝である清国は巨大な人口を抱え、更に高品質な紅茶や薬種などの生産技術を有していたからだ。19世紀の西欧は産業革命の時代となりあらゆる生産技術の進歩が始まっていたが、それでも中華の魅力は衰えていなかった。フランスの最終目的地も清国であり寄港地もそのために必要だった。
以上のような状況に置かれていたフランスの視点に立つと、琉球はとても魅力的な場所であることがお分かりいただけるのではないだろうか。この時期の琉球諸島は清国の間近にあり船の補給に十分な生産力を有していながら、他の列強は手を付けておらずノーマークだ。そこで、侵略したうえで寄港地にしてしまおうという話である。
1842年に清国から香港を獲得したイギリスが同地で軍港の建設を始めると、いよいよ強い焦りを持ったフランスは、セシュ司令官率いるフランス海軍インドシナ艦隊を琉球に派遣したのである。インドシナ艦隊は1844年、寄港地候補として目をつけていた沖縄本島北部の運天港に到着した。

以上 長いので以降は次回に分割する。

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