航空写真で古墳を鑑賞する(巨大古墳と色々な形の古墳編)
古墳とは、今から約1700年前から1300年前の間につくられた昔の人の墓である。今回は巨大な古墳といろいろな形をした古墳に注目し、航空写真で各地の古墳を見ていこう。
巨大古墳
まずは巨大古墳を大きい順に観察してみよう。日本最大の古墳は大阪府堺市の百舌鳥古墳群に含まれる大山古墳だ。
中央上の大きい古墳が大山古墳である。宮内庁は第16代の天皇である仁徳天皇の墓だと考えているため、仁徳天皇陵古墳とも呼ばれている。しかし、詳しい調査が行われておらず、はっきりしたことはわかっていない。
拡大して見ると、鍵穴の形をした古墳の様子がよくわかる。これが前方後円墳の形である。周りの家屋と比べると、この古墳がいかに大きいかがよくわかる。盾の形をした堤に囲まれている形が美しい。
2番目に大きい古墳は大阪府の羽曳野市と藤井寺市にまたがる古市古墳群の中にある誉田御廟山古墳だ。古市古墳群は2019年に百舌鳥古墳群とともに世界遺産に登録されている。
中央に写っている誉田御廟山古墳は古市古墳群の中では最大の古墳で、宮内庁は仁徳天皇の父である応神天皇の墓だと考えている。
この古墳をよく見ると、東側のくびれの部分がいびつな形をしているのがわかる。これは誉田御廟山古墳をつくる前に、この部分に既に小さな古墳が造られており、先に造られていた古墳を避けようとした結果、このような形になったという。
3番目に大きい古墳は再び百舌鳥古墳群の中にある。大山古墳の南西にあり、同じ方向を向いて並ぶように位置している古墳が全国3位の大きさを誇る古墳だ。名前はミサンザイ古墳や石津ヶ丘古墳、百舌鳥陵山古墳などと呼ばれている。宮内庁は仁徳天皇の息子の履中天皇の墓だと考えている。
巨大古墳の1位、2位、3位は大阪府にあるが、4位は岡山県にある。岡山市の造山古墳が日本で4番目に大きい古墳だ。
造山古墳は1位〜3位の古墳とは違って皇族の墓だとは考えられていないため、墳丘に立ち入ることができる。墳丘に登れる古墳の中では日本最大だ。近くには豊臣秀吉による水攻めで有名な備中高松城があり、戦いの際には秀吉と敵対する毛利方の陣地が古墳の上に築かれたそうだ。
5番目に大きい古墳は、再び大阪府に戻る。百舌鳥古墳群と古市古墳群の間に位置する河内大塚山古墳である。
河内大塚山古墳も、かつて城として使用された歴史がある。また、江戸時代には前方部に村が存在しており人が住んでいた。大正時代に皇室の墓と定められたため、住民は立ち退きを求められ、現在は墳丘に入ることはできなくなっている。
さまざまな形の古墳
ここまで見てきた巨大古墳には大きな共通点がある。それはいずれも前方後円墳であるということだ。大きな古墳は前方後円墳の形をしていることが多いが、ここからはそれ以外の形の古墳も見てみよう。
最も一般的な古墳の形は円墳である。下の画像の中央に写っているのは埼玉県行田市にある埼玉古墳群の中の丸墓山古墳だ。
丸墓山古墳は日本最大級の円墳である。戦国時代には近くにある忍城を水攻めにする際に石田三成が陣を置いた場所だと伝えられている。ちなみに丸墓山古墳の東側に写っている前方後円墳は国宝の鉄剣が出土したことで有名な稲荷山古墳である。
四角い形の古墳は方墳という。千葉県栄町の龍角寺岩屋古墳は日本最大級の方墳である。上から見た様子はピラミッドにも少し似ている。
また、そのほかにも数は少ないが前方後方墳や双円墳、上円下方墳、八角墳といったさまざまな形の古墳が存在する。
航空写真で古墳を見ると、その大きさや形がよく観察できた。全国に所在する古墳の数は16万とも言われているが、今回紹介したもの以外にもぜひ航空写真で古墳を探してみてほしい。きっと意外な面白さに夢中になってしまうことだろう。
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