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悪魔の証明×薬剤師不要論

悪魔の証明というのを聞いたことがあるだろうか。

辞典で調べると下記のように出てくる。

悪魔の証明とは、ある主張や仮説が正しいことを証明することが困難であるため、その逆の主張や仮説が正しいとされる論理的な誤謬である。

weblio辞書“検索:『悪魔の証明』”

表題のテーマを持ち出して考察すると、『薬剤師は必要だ』という主張を証明するのは難しく『薬剤師は不要だ』という主張が如何にも正しいとされてしまうということだ。言い得て妙な証明である。

我が国において、こうした話は否定的な意見が注目されることが多いように私は感じる。腹が立つという感情は無いが、どこか肩身が狭くなる気がする。

『薬剤師は安定している』
『薬剤師は楽そう』

医薬分業が進み爆発的に薬局が増えた時代には、“病院の前に薬局を出せば儲かる”と言われていた。そのくらい楽に稼げていた時代があったのも事実であり、どこに行っても引く手あまたで胡坐をかく薬剤師がいたのもまた事実だろう。

そんな時代背景もありながら、現在は国策的に薬局や薬剤師の在り方について議論されている。国家資格として“薬の専門家”の名を与えられているにも関わらず、後追いでその役割の是非を問われているなんて、なんとも歪な構造である。

俯瞰的な見方をすると、“必要だ”と言われる資格や職業はあまり多くないのかもしれない。

少し個人的な意見も残しておくことにする。薬剤師というのは、医師の下請け事業という側面を持つ。原則は、医師の指示(処方箋)のもと調剤を行う導線が定められている。逆に言えば、薬剤師主導で事業を完結する事業というのはまだまだ数が少ない。

言葉を整えると、薬剤師のみで自立したビジネスモデルが少ないというのもまた、不要と揶揄される背景にあるのではないだろうか。自立の反対語は“依存”というのもまた、些か皮肉のようにも感じてしまう。

悪魔の証明と向き合うのは少々骨が折れる。こんなことを考えずとも楽しく毎日を過ごしたいのが本音である。


あぁ薬剤師を辞めたい。

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