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新薬「サクビトリルバルサルタンNa水和物」についてまとめてみる

 2020年8月発売の、新規機序心不全治療薬。
 作用機序的には、アンジオテンシン受容体ネプリライシン阻害薬(ARNI:Angiotensin Receptor Neprilysin Inhibitor)。
 サクビトリルとバルサルタンという二つの物質を組み合わせたちょっと特殊な薬剤だが、いわゆる「配合剤」ではない。
 1分子中に両薬剤をモル比1:1で含有する結晶複合体とされている。
 構造式は以下の通り。

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 構造的には「塩」と同じようなものなのかもしれない。
 例えばアムロジピンンベシル酸塩(ノルバスク®)やエドキサバントシル酸塩水和物(リクシアナ®)のような。
 下図はリクシアナ®の構造式(添付文書より)。

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 これまで心不全治療で使われてきたARBやACE阻害薬、β遮断薬や利尿薬、ジギタリス等に次ぐ新たな治療薬となる。
 NYHA分類でⅡ~Ⅳ度の適応とされてはいるが、後述の通りⅢ~Ⅳ度での効果は優位差がつかなかったため、軽症例での使用が推奨されているとのこと。

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 ※心不全の病態理解については、「駆出率が保たれた心不全」(HFpEF)というのがある?・・・でも、そもそも心不全って駆出率が低下したものをいうんじゃないの? も参照のこと。

ネプリライシンとその阻害作用

 サクビトリルの主作用がネプリライシン阻害。
 厳密には、サクビトリルはプロドラッグなので、活性代謝物であるsacubitrilatがネプリライシンを阻害する。
 ※サクビトリル服用後、3~4hrでsacubitrilatに代謝されるそう。
 このネプリライシンはナトリウム利尿ペプチド(NP:ANP, BNP)を分解するペプチダーゼで、体内に広く分布しており、細胞膜上に発現している。
 つまり、sacubitrilatはANPやBNPを増やすことで心不全の進行を抑えることになる。

 ANPもBNPも血圧や血管抵抗を下げたりリモデリングを抑制したり利尿作用を示したりして同じ効果を現すが、ANPは心房筋からBNPは心室筋から分泌される
 ※BNPは豚の脳内から発見されたから「『脳性』ナトリウム利尿ペプチド」と命名されているが、実際は心室から分泌されている。
 ANPは心房に負荷がかかった時に、BNPは心室に負荷がかかった時にそれぞれの筋細胞から分泌される。

 ちなみに、ANPは腎輸出細動脈より輸入細動脈を強く拡張させる作用があることから腎保護作用が期待されている。

 多くの心不全では左室の機能不全を来すことから、BNPが主な指標となる。
 今回の新規成分sacubitrilatのネプリライシン阻害作用も、ANPは横に置いておいて「BNPを増やす作用」と考えてもいいだろう。
 BNPは心不全が悪化したら増加するマーカーというイメージだったのに、BNPを増やすことで心不全の進行を抑えられるとは・・・なんか矛盾のようにも感じるが、以下のように考えれば納得できそう。

 ANPもBNPも前述したように心保護作用を持っている。
 心機能が低下したり、心臓に何らかの負荷がかかった時、自らNPを分泌して、心臓の負荷を軽減しようとする・・・なので心不全になったら血中BNP濃度が上昇する。

 ちなみに、サクビトリルバルサルタンNa水和物を投与すると、血中BNPが増えることが想定されるが、排尿量は特段増えることはないとのこと(大塚製薬MR情報)。

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 さて一方で、ネプリライシンはアンジオテンシンⅡを分解・不活化する作用も併せ持っているため、sacubitrilatだけを投与するとアンジオテンシンⅡが増加してRAA系が亢進し、血圧上昇や血管抵抗増強など心不全悪化の要因を増やすことになる。
 そこで、バルサルタンとの複合体にすることで、RAA系を抑制しつつBNPを増やすという作用機序に期待されている製剤である。

 さらにネプリライシンはアルツハイマー病脳でのレベル低下が複数の研究で報告されている。
 ネプリライシンがアミロイドβを分解する作用も併せ持っているためで、sacubitrilat投与によりアミロイドβが増加することで、アルツハイマーの発症へ懸念が報告されているが、明確なデータはなく、結論は出ていない(2020年8月現在)。

 ネプリライシンは「ペプチダーゼ」なので多くのタンパク質(酵素等)を分解してしまい、前述以外にもブラジキニンやサブスタンスP、エンドセリン等の分解も促進するため、痛みやアレルギー症状にも関与がありそうだが、今のところ臨床応用との関係性は不明(2020年8月現在)。
 ただし、サクビトリル投与でブラジキニンの濃度上昇は容易に想定されるため、血管浮腫のリスクには気を付けておく必要がある。
 実際、ACE阻害薬とsacubitrilatを併用するとブラジキニン濃度が上昇して血管浮腫のリスクが高まるとして併用禁忌になっている。
 ブラジキニンが増えると、痛みの増強等にも気を配っておくべきだろう。

 ANPに腎保護作用があることから、sacubitrilatにも腎保護作用が期待されている。

サクビトリルバルサルタンNa水和物の詳細

 添付文書やインタビューフォームに書かれてないであろうことを中心に記載していく。

 PARADIGM-HFという大規模臨床試験で、サクビトリルバルサルタンNa水和物は、心不全による入院と心血管死の発現リスクをエナラプリルより優位に低減したそう。
 過去30年間、どのARBもACE阻害薬もエナラプリルに優越性を示したものはなかったそうだから、この結果は大きい。

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 しかし、75歳以上の高齢者と、NYHA分類におけるⅢ~Ⅳ度では有意差が確認されなかった(下図参照)ため、エンレスト錠®は重症患者と高齢者への使用は推奨されないとのこと。
 下図で、「≧75歳」と「Ⅲ~Ⅳ度」の項目のみで有意差がないのが分かる。

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 上記エナラプリルとの比較試験はHFrEF患者だが、HFpEF患者での検証も行われている。
 PARAGON-HFという大規模臨床試験で、心不全の入院・再入院と心血管死をバルサルタンと比較しているのだが、優越性は残念ながら得られなかったとのこと(下図)。
 下図を見るとほとんどの項目で有意差がついてないのが分かる。
 特にLVEFの項目で、「≦中央値(57%)」では有意差がついているのに、「>中央値(57%)」では有意差はない。
 これは、「HFrEF症例では効いたが、HFpEF症例では効果が見られなかった」と解釈できる。

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 ただ、同じくHFpEF患者を対象としたPARAMOUNT試験ではバルサルタンよりNT-proBNPの低下が大きいことが報告されているので、HFpEF患者にも効く可能性は秘めているがまだ結論は出せないところ。
 ま、現状ではHFrEF患者対象になるだろう。
 HFpEF症例は、ARBもACE阻害薬もミネラルコルチコイド受容体拮抗薬も効かず、「手の打ちようがない症例」と言われており、このARNIに期待されていた部分があったのだが、今後の研究結果次第か。

エンレスト錠®投与時の注意事項

 まず、「ACE阻害薬またはARBで慢性心不全治療を受けている患者」が対象なので、新規心不全患者にいきなりエンレスト®投与はできない。
 また、ARBからエンレスト®に変更するときはスムーズに変更していいが、ACE阻害薬からの変更の際は36hrのウォッシュアウト期間が必要・・・つまりACE阻害薬中止後2日ほどはエンレスト®は投与できない
 これはACE(キニナーゼⅡ)もネプリライシンもブラジキニンを分解する酵素だが、ACE阻害薬とsacubitrilatはそれらを阻害するので相加的にブラジキニンが増加して血管浮腫の発現リスクが高まるから。

 エンレスト錠®の用量については添付文書上は以下のようになっている。

6. 用法及び用量
通常、成人にはサクビトリルバルサルタンとして 1 回 50mg を開始用量として 1 日 2 回経口投与する。忍容性が認められる場合は、2~4 週間の間隔で段階的に 1 回 200mg まで増量する。1 回投与量は 50mg、100mg 又は 200mg とし、いずれの投与量においても 1 日 2 回経口投与する。なお、忍容性に応じて適宜減量する。

 ここで常用量とされている「1回200㎎」だが、バルサルタンの量に換算すると1回102.8㎎に相当する。
 これはバルサルタンを1日200㎎以上投与することになり、日本でのバルサルタンの極量「1日160㎎」を上回ってしまう。
 上の添付文書にもあるが、エンレスト®の1回200㎎(1日400㎎)は「容認性が認められる場合」なので、バルサルタンの用量なども考慮すると、1回50㎎~100㎎(1日100㎎~200㎎)で処方されることが多いのではないかと考えられる。
 この製剤は「1分子中」にサクビトリルとバルサルタンがモル比1:1で含有されており、分子量比だと「サクビトリル:バルサルタン=433.464mg:479.486mg」となり、この比は変えようがないので、いわゆる「配合剤」のように一方の成分だけ減量という訳にはいかない。

 また、バルサルタンを1日2回投与する・・・つまりこのエンレスト錠®は「ARBの1日2回投与」を保険上認めることになってしまった。

【1日1回投与はどうか?】
 sacubitrilatの血中半減期は約13hr、バルサルタンは約19hrなので(いずれも単回投与)、sacubitrilatは24hr後には血中濃度がCmaxの30%近くまで落ちてしまう。
 反復投与のデータはCmaxとAUCしかなく、有効血中濃度も記載がなかったから詳細は不明だったが、sacubitrilatのT1/2を考えると、やはり1日2回投与が妥当か。

 ACE阻害薬との併用は禁忌となっている。
 前述したようにブラジキニンの濃度が高まり、血管浮腫のリスクが高まるためである。
 また、バルサルタン含有のため、糖尿病患者におけるアリスキレンとの併用も禁忌。

 エンレスト錠®投与中は、どうしても血中BNPは上昇傾向になるため、BNPを心不全のマーカーとしては使いにくい。
 そのため、臨床試験等ではNT-proBNPで心不全の評価を行っているし、今後もそうなっていくだろう。
 別の見方をすれば、BNPが上がっていればエンレスト錠®が効いている証拠にもなるので、BNPは今後そういう使い方もされるかもしれない。

【参考資料】
ネプリライシン DOI:10.14931/bsd.3557
心不全治療の新たな展開
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仕事より趣味を重視しがちな薬局薬剤師です。薬物動態学や製剤学など薬剤師ならではの視点を如何にして医療現場で生かすか、薬剤師という職業の利用価値をどう社会に周知できるかを模索してます。日経DIクイズへの投稿や、「鹿児島腎と薬剤研究会」等で活動しています。