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夢を描いてパリへ行く

まさか、本当にこんな素敵なドレスを私が作るとは思わなかった。それもこのパリで。

私には、幼い頃からずっと抱いていた大きな夢がありました。それは、ファッションの都パリで、オートクチュ-ルのドレスを作ってみたい。あの映画に出てくるような、細かいビーズ刺繍がキラキラと輝く、豪華で優美なドレスを仕立てるという夢でした。

「ローマの休日」や「ティファ二-で朝食を」の中で、オードリ-ヘップバ-ンが着ていたあの高級注文服(オートクチュ-ル)、パリにはオートクチュ-ル組合というものがあって、そこに加入できるメゾン、いわゆる高級ブランドだけがオートクチュ-ルのファッションショ-を開くことが出来ます。
パリ・オートクチュール協会の正会員には、日本のファッションデザイナーの森英恵さんと中里唯馬さんがいらっしゃいます。

世界中の王族やセレブ、ファーストレディが顧客なのですが、1950年の全盛期には2万人もいた顧客が、現在では残念ながら4千人近くにまで減少しています。

幼い頃の私は、おしゃれが大好きな女の子でした。まだ、小学生にも行っていない頃から、妹と私は母と3人おそろいの洋服をよく着ていました。

そのワンピ-スの生地ときたら、かわいい小花模様だったり、黒字にダイヤ柄の生地だったり、白いレースが襟元と袖口に丁寧に縫い付けてありました。母が生地を選んで、街の洋装店に注文をしてくれていたのです。その影響もあり、小学校5年生の時には、とうとう父に頼み込んで、足踏みミシンを買ってもらいました。当時は今のようなポータブルミシンとは違い、四角い家具調のがっしりしたものでした。それでも私は、そのミシンを使って誰にも教わらずに、自己流で洋服を作っていました。真っ赤な生地に大きな水玉模様の布を買ってもらって、自分のためにスカ-トやブラウスを作っては、それを着るのがとても楽しみでした。

その頃、出会ったのが、細川知栄子さんの描いた「あこがれ」という少女漫画でした。物語は佐渡から上京した主人公が、ファッションデザイナ-を目指し銀座の洋装店で働き、数々の苦難を乗り越えて成功し、幸運をつかむまでを描いたもので、全5巻で完結していました。

クライマックスでは、世界的に有名なデザイナ-、ピエ-ル・カルダンが審査委員長を務めたファッションコンク-ルで、主人公が見事に1位を獲得し、パリに招待されるという素敵なスト-リ-でした。秋田の片隅でその漫画を初めて手にした時の衝撃は今でも忘れられません。東京も知らない私にとって、何もかもが夢の世界でした。

でも、この時点では全く知る由もありませんでしたが、実は、私の人生はこの物語に導かれるように進んで行くことになるのです。「私もフランスのパリでファッションの仕事をする」と決意した瞬間から、その夢はもう実現すべきものになっていたのでした。

年を重ねるごとに「フランスに行くことは、もうすでに決定した事実、あとはいつ行くかが問題だ」考えるようになっていたのです。実は、私自身も漫画の主人公と同じように銀座で働くことになり、その後パリに渡った際には、なんと「ピエ-ル・カルダン」氏とも不思議なご縁を持つことになったのでした。
人生って本当に不思議ですね!

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