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神として祀られた将帥「東郷平八郎」 - かじぃのポータル再訪紀9 東郷神社

東郷神社

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夏だ!
海だ!!

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コロナ禍の中、皆様いかがお過ごしでしょうか。
オレは8/14に車で5分の実家に帰り、仏壇に手を合わせて親父と酒を呑み、一泊して割とめんどくさいと感じがちなお盆のお役目を終えました。
翌15日、幸いにも「あ?もう帰るとや?」という親父のセリフが出てこなかったので、朝から実家を後にしてどっかに出かけることに決めました。

海を見るべきか、高原で涼むべきか、それが問題だ。
結局「今年も夏を満喫したんだ!」と自分を騙すために海に向かいました。
写真にも記憶にも「夏を満喫した証拠」を残す事によって、全然満喫できてない夏をさぞかし満喫できたかのように見せる。
これぞ詐術。
自分を騙すだけだけど。

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やってきたのは福岡と北九州の間にある福津市の津屋崎。
やっぱ津屋崎の海はいいね。

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で、津屋崎海岸で海を満喫した後、東郷神社に来ました。
Ingressでは2018年に博多がゴールになったグローバルシャード戦で、壱岐から再び博多方面のゴールを目指して上陸する予定だった場所です。
結局Enlightenedさんとの攻防の末、作戦は失敗に終わりましたが。

この東郷神社は、非常に珍しい神社でして。
何が珍しいって、近代史に残る名将を祀ってある三社のうちの一社なわけです。
ひとつが陸軍の乃木希典大将を祀った乃木神社(栃木那須塩原、京都伏見区、山口下関、港区赤坂にある)。
ひとつが陸軍の児玉源太郎大将を祀った児玉神社(山口の周南市と神奈川の藤沢江ノ島にある)。
そしてこの海軍の東郷平八郎大将を祀った東郷神社(渋谷区とここ福岡の福津市にある)。

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東郷平八郎は近代史海戦において、世界的に名を知られる名将で、日露戦争の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を壊滅させた凄い人です。
日本海海戦の海域を望むこの地に東郷神社が建てられました。

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さて参拝。
手水舎を探して見渡してみると黒御影の立派な御神水の水場。
ミネラルクリスターで生成されているらしいですよ奥さん。

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こちらが拝殿。
昭和初期に建てられただけあって、造りがモダンです。
モダンと言えば聞こえはいいのですが、ぶっちゃけた言い方をするとアレです。
コンクリート製で味気ない。
確かに昭和初期の頃であれば、倒壊しない、老朽化が遅い、燃えない等のメリットばっかだったんでしょうけどね。
概ねこの時代の神社というのはこんな感じです。
しかし、この拝殿、かなりユニークな形してますね。
本殿は囲いに覆われていて外から覗き込むことはできません。

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宝物殿の前に行くと、向かって左側に砲弾がありました。
しかし8/15。
宝物殿は開いておりませんでした。
まぁ、当たり前か(;´Д`)
この宝物殿には「三笠」の模型や東郷の書簡、傷痍軍人に贈られた杖や勲章などが展示されているらしいです。

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そして宝物殿の向かって右側には砲筒が。

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旗艦「三笠」の主砲なんですか。
すげぇな。

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そして、東郷神社の中に更に彦六神社という社を発見。
朱塗りのコンパクトな鳥居がキリリと出迎えてくれます。
その隣にある柵はなぜか東郷神社の拝殿に背を見せており、入り口はこの鳥居を潜った向こう側にある様子。

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鳥居をくぐると句碑が。
東郷神社にもいくつか句碑があり、この神社の宮司さんは歌が好きなのでしょうかね。

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で、東郷神社の参道をそっぽ向くかのようにして、彦六神社は祀られています。
なかなか不思議な空間。

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二の鳥居の隣には手水桶。

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んんー?
この手水桶はなかなか凄いな。

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溶岩かな?
溶岩の穴を利用して瓢箪の形にくり抜き、手水桶にした感じ。
けど、この溶岩どっから持ってきた?
しかし、造形がエモいですね。

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二の鳥居をくぐり、高台に登っていくとこんな感じで3つの祠。

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左脇侍のお狐さま。

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右脇侍のお狐様は巻物を咥えて逆立ちしてます。
狛犬のように阿吽の形じゃないんですね。
これはこれでとても不思議な感じ。

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朱塗りの柵の片隅にはこんな感じで石を祀ってあったり。
後で調べて分かったことですが、この彦六神社の縁起には津屋崎の彦六という翁が浜で三体の神像を拾いこれを祀ったことからこの地の地主神として定着したというものが残っているそうです。

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はい、その地主神。
この碑の後ろには柵で塚を丸く囲ったエリアがありました。

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これがこの地主神の聖域ということでしょうね。
いやぁ、こんな形で塚を聖域として囲って祀ってあるのはあまり見たことがないですね。
非常に新鮮で面白い。

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8/15ということで社務所も閉まっています。
その社務所には東郷神社の縁起が書かれてありまして。
拝殿は「はにわ型」と書いてあります。
そういえば、たしかに「家型はにわ」のデザインですな、あの拝殿は。
ってちょっとまって。
なんか本が置いてありますね……。

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なぜ鬼滅の2巻が…?!www
もしかして、この東郷神社には鬼滅の伝承が伝わってるとか!!!
そんなわけないか(´・ω・`)
子供の落とし物ですかね。

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中庭にも句碑がありますね。
なんて書いてあるのか見に行ってみますか……。
……。
…………。
ごめん、お昼寝してたのに起こしちゃったね。
キミ、ここの子?
暑いから木陰で寝てたのね。
あ、警戒されてるっぽいな。
はい、スゴスゴと戻ります。
じゃぁね。

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東郷神社の境内を離れ、大峰山の展望公園に登ります。
途中木々の間から見える海の蒼さに惚れ惚れします。

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展望公園の南側には史跡の案内板。
この近辺は世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島の近所です。
この新原・奴山古墳群も世界遺産の中に入れるかどうかで色々あったそうですが、結果として無事世界遺産として登録に成功したようです。
この大峰山展望台からはその古墳群が一望できます。
そのうちゆっくり巡ってみたいですね。

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津屋崎海岸方面の景色はこんな感じ。
福岡市近隣の海岸は、西の志摩・東の津屋崎。
ほんとキレイな砂浜が広がっています。

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展望台のてっぺんには日本海海戦記念碑。
どーん!とそびえ建っています。

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東郷平八郎の書をそのまま鋳造してますね。

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左側には肖像が。

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北西側に回り込むと沖ノ島に関する説明板がありました。

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この写真のちょうど中央あたりに沖ノ島があるはずなんですが……。
天気良くてもちょっと霞んでますね。

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この展望台の記念碑、降りてよく見てみると戦艦やったんかいwww

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記念碑の北西側には東郷平八郎の揮毫の石碑が立ち並んでいます。
夫婦松。

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賀陽宮恒憲王殿下御登山記念の松。
「かやのみや つねのりおう」ですね。
神宮祭主賀陽宮邦憲王第一王子。
軍人としても陸軍中将に登った皇族。
太平洋戦争後、皇族の臣籍降下を主張し、率先して臣籍降下をされたと聞いています。
この方も面白い経歴を持っていらっしゃる。

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陸軍監視哨之跡。

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石碑も見終わって、さて降りるかなと思い、ふと夫婦松の石碑の足元に目をやると足型……。
東郷平八郎の足かな?
サイズは25センチくらい。
割と小柄だったと聴きますね。

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東郷平八郎は鹿児島県出身で、明治維新期に渡英して国際法を学び、その知識を生かした柔軟な艦隊運用でハワイクーデター、日清戦争、日露戦争という激動の世界情勢に対応し続けました。
その功績は海外でも高い評価を受け、太平洋戦争終結後に米軍のGHQは日本の軍事的なモニュメントの撤去を進めましたが、米海軍は東郷関連のものには一切手出しをさせなかったと言われています。

死没は昭和9年。
陸軍の乃木神社に対抗するかのように出された東郷神社の案に、東郷平八郎は難色を示したと言われていますが、結局その死後、東郷神社は渋谷とこの福津市に建てられることになったようです。
なかなか複雑な気持ちにさせられますね。

次回はこの東郷神社の次に行った「宗像大社」を予定しています。

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