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見ててくれ その2

A君はオフィスの方を振り返ろうとして、やめた。
どうせ自分にしか見えていないのだ。

男はA君と目が合っている。
確実に、
男はA君が自分に気づいていることを認識していた。
男の口がぱくぱく、とかすかに動く。

「……え?」

A君が問うと、今度はなぜか、
かすかにだが男の声が聞こえた。ように思えた。

「――み・て・て・く・れ?」


瞬間、男は足場からダイブした。
A君が思わず息を呑んだ。
――と。
17階の高さから下へ飛び降りたはずの男が、
なぜか上空から猛スピードで落下してきた。
そして、
先ほどまで自身が足場にしていたコンクリートの出っ張りに、
凄まじい勢いで頭から激突した。

ぐぁばっ、とか、びしゃっ、といった、
下腹に堪える重い、嫌な音がした。

A君の見ているすぐそばにまで、
脳漿の混じった濃いオレンジ色の血は激しく飛び散り、
スライムのようにガラスにへばりついた。


A君が息をするのも忘れて見入っていると、
男はひいひい言いながらコンクリートの足場で体勢を整え、
異様な方向へねじ曲がった右足を器用に使って立ち上がった。
男の頭蓋は半分がたひしゃげ、
うす桃色の中身が丸見えになっていた。

(……だ、め、だ。なんべん、やっても……したにお、ちれない……)

男の声がA君の脳内に届いた。
男はA君をじろり、と睨んだ。

(……みててくれ……)

男は再度、足場から飛び降りた。
直後、また男は上空から現れ、
出っ張りに激突した。
コンクリートで大きくバウンドした男の身体は窓ガラスにぶつかり、
ガラスに人型の血のスタンプをべちゃりと残した。

男の身体はゆっくりとガラスからずり落ち、
コンクリートに倒れ伏した。
ガラスに、
消しゴムほどのサイズの白い何かが付着している。
見ると、それは砕けた頭蓋骨の一部だった。
頭髪がごっそりこびりついている。


コンクリート一面、血まみれだった。
血だまりの中心で、
男は間欠的に痙攣している。
A君の目は男にくぎ付けになって、
動かせなかった。
後ろのオフィスでは普通に電話がばんばん鳴り、
誰かがそれを取って、元気に応対している。
「あの件どーなってるーっ⁉」
という誰かの声も聞こえる。
今しがたの激突音がオフィスの全員に聞こえていないのが不思議だったが、
実際に聞こえていないのだからどうしようもない。

男の頭部、こめかみから上辺りは全部、
すでに原形をとどめていなかった。
下あごはでたらめな方向に大きくズレ、
折れた歯が何本も唇や頬を突き破って露出していた。
首も曲がった姿勢のまま、
元の位置に戻っていない。
左足はすねの部分でへし折れ、
骨が皮膚を突き破り20センチほど飛び出していた。
不自由な両足で、
男はまたひいひいあえぎながら何とか立ち上がった。

(……だ、め、だ。なんべん、やっても……したにお、ちれない……)

男の声が聞こえた。
先ほどと一言一句変わらなかった。
男は、
すでに潰れてしまって無い両目でA君を睨む。

(……みててくれ……)

また男は飛び降りた。
直後、男は上から現れ、出っ張りに激突した。
男の飛び降りを三度目撃した直後、
A君の両脚からは力が抜け、
大げさな音を立ててオフィスの床にへたり込んだ。
その音に驚いた上司と近くにいた数人が、あわててA君に駆け寄る。
A君の意識は朦朧としていた。
――大丈夫か⁉ 貧血? という声をぼんやりと聞きながら、
A君は再度、窓に視線をやった。

男は、
いびつにひん曲がった血まみれの両手のひらを外側から、
ガラス面にべたりとつき、
A君を凝視していた。

いや。
すでに両目とも無かったので、
見ていたかどうかはわからない。
が、A君にはその様子が、
男が自分を心配しているように見えたらしい。


A君はその日そのまま早退し、
翌日は1日寝込み、3日目に辞表を出した。
経験上、あれが一番強烈かつ悲しいやつでしたよ、とA君は言う。
とにかくそれ以来、
高層ビルにオフィスがある職場を選ぶのはやめたらしい。



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